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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第4章

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302 古の歌

 食事が終わりデザートとお茶を堪能(たんのう)したところで、カタリーナがやって来た。


「間もなく始まります。ご案内いたします」


 全員が立ち上がり彼女に従う。

 タリアがさっと前に出てイサベラの左後ろについた。ぞろぞろと店内を横断して反対側の棟に進むと、すり鉢状の客席が現れた。

 前方に小さな舞台が設けられ、その先には大きく張り出した窓しかなく、まるで空中に浮いているかのように錯覚する。


 階段を下りる際にイサベラが少しよろけるのが見えたが、タリアがさりげなく片腕を差し出した。その腕に手を置いて歩むイサベラは、さらに数段下ったところで仕切られた小部屋に入った。


 そこから舞台と客席全体を見下ろせる。

 席は二列あり、シャーリンはイサベラと並んで前に座り、後ろにはタリアとエドナが腰を降ろした。

 どうやら、ほかの者たちは来ないようだ。護衛の役目は後ろのふたりに託されたことを意味している。


 とはいえ、ケタリになったイサベラは作用者としては強大な力を使えるはずだし、わたしもそれなりに力を発揮できることは確認済み。

 もし直接襲われたり対作用者用の武器が使われたりした場合は、後ろのふたりの出番に違いない。


 最初の一撃のみ防げれば、上で待機中のケタリシャと衛事がなだれ込んでくるはず。ほかの人たちへ迷惑をかけないために違いない。

 それにしてもイサベラはどうしてタリアとエドナを同伴させたのだろう。




 隣のイサベラはほかのことなど忘れてしまったかのように、ただ目を輝かせて前方に登場した人物を見ている。

 すぐに会場が暗くなり舞台のみに灯りが残された。

 上を向くと空が見えた。天井も透明だったのか。まったくすごい。月明かりは弱く冴え渡る冬空にみるみる星が増えていく。それらは帯のように連なり半天を輝かせた。


 歌い手に目を向け吟味する。とても若く見えるが、それはこの雰囲気や可憐な衣装のせいかもしれない。所作は何となく年配の女性にも感じられる。

 食事をしながらイサベラから聞いた説明によれば、彼女はアアルの(ふもと)の森に住む、イスの旧王家の末裔(まつえい)だという。とても信じられない話だ。


 書庫の本に目を通して記憶が活性化していなかったら、そのすごさを理解できないところだった。

 イスといえば、マゴリアとイリオンの二大帝国時代より前の現在の知識ではガムリア最古の大国と言われている。

 その子孫がアアルの山中でひっそりと生き延びてきたとは驚きというよりまさに奇跡としか思えない。




 最初の数曲はゆったりと流れる音楽にのせたきわめて現代的な歌だった。もちろん、この歌の記憶があるわけではないが、受けた感覚に間違いはない。

 少し間があいて舞台の灯りが落とされた。

 次の歌は音楽なしに始まった。先ほどと異なり低い歌声は何を言っているのかさっぱりわからないが、しだいに心が奮い立つような感情を覚える。


 これが(いにしえ)の歌。

 どう表現すれば適切なのか。歌声が直接力髄に伝わり胸が共鳴で震える感触を受ける。どうしてかわからないが体が揺さぶられ熱くなってくる。

 もちろん彼女は作用者に違いない。もしかすると強制者なのかもしれないと気づく。

 歌による語りを直接届ける……。意図してなのかは不明だが、心にじかに語りかけてくるものがある。


 その言葉はわからなくても、なぜか意味するところを理解する。

 間違いなく感謝の歌だ。作用の根幹を成す四素、広大な森と豊かな水、それに爽やかな大気と溢れる光がまぶたに浮かぶ。

 今や失われつつあるこの世界に対する謝意。これがイスの偉大で古き作用力の心髄なのかしら。


 自分の中に封じられた記憶が揺れ動き解放されようとしている。この歌が封印を破ってくれる予感を覚える。

 最後まで朗々たる響きで歌い上げ、余韻で会場全体が打ち震える。

 灯りを落とした会場はまさに宙に浮いている。満天の星が取り巻き、その中を歌声が駆け抜けた。星の世界でイスの末裔(まつえい)が響かせる古の歌。

 すべてが終わると会場から何ともいえないどよめきが上がった。




 イサベラからも満足に打ち震える大きなため息が聞こえる。

 思わず涙が出そうな歌声だった。何かを思い出しかけたときのような不思議な感じ。今にもすべての記憶がどっと戻ってきそうな予感すら覚えた。


「すばらしい。こんな感動的な歌とは思いもしなかった。ここがまだ震えている」

「シャーリン、わたしは彼女が本当にイスの真の伝承者だと確信しているの。ここにいる人たちがどう感じたかはわからないけれど。そのうちカムランに招待してゆっくりと話をしたいと思うの。シャーリンも興味あるでしょう?」

「うん、もちろん、同じだよ。数百年、いや千年の時を越えて披露された歌でしょ。その間、彼女たちはイスの文化を守ってきたわけだよね。並たいていの努力ではないと思う。彼女も、そして、彼女まで脈々と続く祖先たちも」


 イサベラの頬は赤く染まっていた。感動なのかそれとも何度もおかわりしたザマラのせいなのか。

 振り返って、タリアとエドナを見ればふたりとも満足そうな顔はしているものの、わたしたちのように圧倒されたといった様子ではない。

 やはり、あの歌は作用者に向けられたものに違いない。


 アリアが退場すると人々が立ち上がり始めた。ぞろぞろと全員が出ていくまでそのまま席で待つ。




 しばらくして、カタリーナが現れた。その後ろからアリアがやって来るのに気づく。


「アリア、すばらしかったわ。あなたをカムランにご招待したいのだけれど、受けていただけるかしら」


 こちらに一瞬目を向けたアリアは口を動かした。


「はい、イサベラさま。レムリアの姫さま方のご招待とあらば、お受けしないわけには参りませんわ」


 レムリア? レムルの聞き間違いかな。それなら覚えがある。あの本にも載っていた。旧メリデマールの主家。いや、それともガムリアと言ったのかな……。


 気づけばアリアはすでに去ったあとだった。

 カタリーナに出口まで案内される。タリアが先を歩きエドナの腕に手をかけたイサベラが続いた。ゆっくりと階段を上り護衛の一団と合流する。

 車に腰を落ち着けカムランに向かって走り始めると軽く吐息を漏らした。


「うまく言えないけど、あの歌を聴いている間に、どんどん壁が低くなり向こうが見えるような気がしたの。封じられた記憶がどっと押し寄せてきそうなゾクゾクする感覚を味わった。あの歌がもう少し続いていたら、わたしの心が記憶で押しつぶされたかもしれない」

「そんなふうに感じたの? すばらしいわ」


 彼女の顔はまだ火照っていた。


「ねえ、イサベラ、少しお酒を飲み過ぎたんじゃないの?」

「いいのよ、シャーリン、今日は。今宵だけは。お姉さまと一緒にいられるのも今だけかもしれない」


 いったい何の話をしているの?




「ねえ、イサベラ……」

「シャーリン、どうしたの? そんな心配そうな顔をして」

「今晩は少し変じゃない?」

「あなたに話さなければならないことがあるの。わたしたちのこと。実はわたしも記憶が時々飛んでいるのよ。昨夜もあなたの部屋に行くまでの記憶がぼんやりとしたまま。どうしてかしらね」

「それは……」

「今日はうまく切り抜けられたわ。カムランに着くまでまだ時間がある。だから、その前に少しだけ横にならせて。これを抑え込むのは結構大変なの」


 突然イサベラは体を倒して、シャーリンの膝に頬をつける。しばらくもぞもぞしていたかと思うと吐息を漏らした。目の焦点が定まっていないように見える。


「ありがとう、お姉さま。しばらく休ませてね。お願い……」


 手をだらりとさせた彼女からすぐに寝息が聞こえてきた。

 シャーリンは唖然としてイサベラの寝姿を見下ろした。

 顔を上げると向かいのタリアと目が合う。彼女はかすかにうなずいたが、隣のエドナは目を見開いたまま固まっている。


 ずいぶんたってから、エドナのつぶやきが聞こえた。


「お姉さまってどういうこと……」


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