301 王女からの招待
翌日の昼下がり、ソファでくつろぎながら本を読んでいると、新しい服を手にしたエドナが意気揚々とやってきた。今回は逃れられそうもない。
シャーリンは本をパタンと閉じ、ため息をつくと立ち上がった。王女から招待を受けたのだからそれに見合う格好をしなければ礼儀を欠く。
エドナはすでに外服に着替えていた。一見、内庭に出かけたときと同じような印象を受けるが、あらためてよく見れば、明るい紅褐色のスカートには細腰と裾に銀色の飾りが入っている。
上は二色使いで淡黄に茶褐色の斜格子模様が美しい。
髪は真っ直ぐに下ろして黒のスタブを丁寧に編み込んで、銀色のスライダでまとめられている。格段に上品でおとなっぽい装いだ。まあ、彼女は十分におとなだけれど。
「このドレスを着ていただくようにとイサベラさまがおっしゃいました。こちらは重ねになっており歩きやすいです。それに内服に使われているのと同じ裏地が付いているので、肌衣の必要もなくすっきりしています。イサベラさまのお好みのスタイルなのです。今度はお姉さまにも気に入ってもらえるはずです」
彼女もいろいろ考えてくれたのがわかりうれしくなる。それが伝わったのか、彼女にパッと笑顔が広がった。
「あ、走るのはだめですからね」
渡された下穿きをしばらく凝視した。これを身につけるの?
手の中に収まった薄布は、以前に目撃したものより格段に小さく頼りない。
この色と感触から想像するにドレスとセット、いやドレスの一部なのだろう。
この手の服はいまだによくわからない。結局、外服は着せてもらった。
軽くて体にぴったり合ったドレスは、確かに内服のようにしっくりするが、胸元も背中も開きすぎ。
試しに足を振り上げてみればスカートが両側に滑り落ちた。
エドナが顔をしかめた。
「いけません、お姉さま。はしたない」
ああ、重ねってこういう意味か。ひだに見えたが、実際には分かれた薄布が層になっている。軽くて肌触りもよく足にまとわりつかない。色使いが同じ理由も納得した。
静かに歩けばきっと上品に見える。気をつけよう。
いつものように鏡が立てられ感想を聞かれたので、露出が多くて心許ないと答えた。
「夜のドレスはそういうものです。これは控え目なほうですよ。確かに外は寒いですから、車を降りたときにはこれを使いましょう」
そう言いながら、肩掛けを広げて見せてくれた。それ、屋内でも使っていいかしら……。
椅子に腰を降ろすと、またスカートがはだけてしまう。
「お姉さま、こうすれば美しくしとやかに見えますよ」
どこに手を添えてどう座ればいいかを教えてもらい何度か練習した。
そう、こうした振る舞いも身につけなければ。
この服は以前に着せられた散策用の内服とおそろいの正装用外服で、しかるべき晩餐のときにだけに使う特別なものらしい。
色使いは若干強めで、やや濃い紫に青の色違いが重ねられ白黒金で描かれた幾何学文様はあの意匠と似ている。
細腰は複雑な紋様の金刺繍が施された幅広の帯で締められた。
鏡越しに観察すれば、すぐ横に立ち髪を梳くエドナの細腰に施された模様と同じに見える。
ひょっとしてどちらもカムランを示す紋様なのかしら。
彼女はいつもより念入りに髪を結い上げ、スライダを使ってまとめた。
青に銀色の縁取りがある金属製で重厚な趣を持つがレンダーではない。しかもその上にスティングまで挿す念の入れよう。
頭を振ると先端の青い飾りがかすかに揺れるのが見えた。
二段にする意味がまったく理解できないが、小ぶりの鏡を広げて後ろに立つエドナの満足そうな顔から察するに、これが正しい風儀なのかしら。
***
日が傾き前方の山が赤く輝き始めたころ、こんもりとした丘陵が現れた。
「もうすぐよ、シャーリン。あの丘の上に建物が見えるでしょう。あそこが目的地。何とか夕暮れに間に合ったわ。冬は日没が早いから」
車が上り坂に差しかかると、窓から真っ直ぐ差し込んだ日の光にイサベラは目を細めた。
赤紫の流線文様があしらわれ白を基調とした袖なしドレス。その絞られた細腰から広がるスカートに艶のある濃淡模様が浮き上がった。
移ろう光が深く開いた胸元を赤く染め上げる。
こちらにちらっと向けた顔に憂いを感じたのは光のせいだろうか。
透き通るような薄衣に揺らめく陰影がイサベラの体型を露わにした。その色合いの美しさに思わず息を呑む。
下ろした髪はスライダで高い位置に結われている。振り返って外を眺めているので間近に見えた。
その優しい印象は金属とは思えない。石? それとも木製かしら。何となく懐かしい感じもする。
全体的に白っぽいが少しだけ茶色の筋が混じり、光が当たった瞬間、表面に濃淡の揺らめきが現れた。
外側のでこぼこが影を作り出し、神秘的な雰囲気を醸し出している。しかも亜麻色の髪とよく調和していた。
身を乗り出して見とれていると向き直ったイサベラが尋ねるような顔を見せた。
スライダについて質問してみると、やはり全体が木で覆われているらしい。
父親すなわち国王から成年の祝いにもらったものだと言う、イサベラは聞かれたことがうれしい様子。
きっと大事な宝物でいつも身につけているのだろう。
***
「イサベラさま、本日はようこそおいでくださいました」
「また、よろしくね、カタリーナ。こちらはシャーリン。わたしの大切な客人よ」
「お初にお目にかかります、シャーリンさま」
カタリーナが腰を屈めた。
「いつもの場所はあいているかしら?」
「はい、ございます。今宵はアリアが古の歌を披露することになっております。そちらのお席もご用意いたしましょうか?」
「あら、それは珍しいわね。ぜひお願い」
彼女の頬がほんのりと染まっている。
振り返ってこちらを見たイサベラの目が輝いていた。
「ねえ、シャーリン、今日はとても縁起がいいわ」
何が縁起がいいのか聞く暇もなく歩き出したイサベラの後ろに続く。
前方には連なる山並み、左には草原の中に沈みゆく太陽が見えていた。
案内された小部屋の外室に入り、床まである大きな窓に向かってイサベラと並んで座る。テーブルの左側にタリア、右側にエドナが腰を降ろした。
衛事たちはすぐ後ろの内室に陣取る。
彼らのうち何人かがハルマンから派遣されたケタリシャであることを知ったのは出発間際。ケタリを守るのがその使命だという。
なぜ自国の衛事だけでなく他国の者たちも王女の護衛なのだろうか。この国の仕組みをまだまだ理解できていない。
ほどなく飲み物が運ばれてくる。
細長いグラスに薄い桃色の液体が半分ほど入っている。
「さあ、グラスを取って。あなたたちもよ。では……シャーリンの封じられし記憶が戻ることを願って……」
一口飲むと、とても爽やかな甘い香りが口の中に広がった。
「ザマラというのよ。口当たりがいいでしょう?」
この味、以前に飲んだことがあるのかな。何となく思い出が蘇ってきそう。
「ああ、これは実においしい。とても懐かしい味がする。知っている飲み物なのかもしれない……」
「味覚の記憶は体に刻み込まれるというから思い出しやすいかもしれないわ」
「それはいいね」
「ほら、ちょうどよ」
見ればほぼ地平に隠れた太陽の端が大きく揺らめき、突然、衝撃が走ったようにあたりが黄金色に包まれ、しだいに橙から赤みを帯びていく。
ちらっと横を向けば、イサベラの薄紫の瞳にその真っ赤な世界が燃える火のごとく映し出されていた。
隣のエドナから大きなため息が漏れた。
「ああ、すてきです。こんな光景が見られるなんてとても幸せです」
イサベラはふふっと笑みを漏らした。
「エドナは何にでもすぐ感動するのだから。そういう開放的なところがわたしは好きよ」
「あ、ありがとうございます……と申し上げて間違いないのでしょうか」
イサベラは首を縦に動かし、ついでタリアに目を向けた。
「あなたたちは本当にお似合いよ。ふたりが来てくれてよかった。ああ、ルイも連れてきたかったわね。それはまた今度ね」
「と、とんでもありません、イサベラさま」
タリアの頬がほんのり染まっている。ふと反対側を見れば、わずかに身を乗り出したエドナの目がキラキラしている。どちらも夕日のせいとは思えない。
「ねえ、タリア、シャーリンのことをよろしくお願いね。わたしと同じように」
一瞬、怪訝の表情が浮かんだものの、すぐに答えが聞こえた。
「かしこまりました、イサベラさま」




