297 ひとりではできないことも
もう同調なしに流れは続いている。ジェンナの力が落ち着いてきた。
見るからに疲れが見えるが、初動の時はそういうものだとダレンが言った。疲れるだけで問題ないと保証してくれた。
マリアンの力髄は少し持ち直している。まだ弱々しいが。
癒者は本人の治癒力を引き出すだけ。加速させるだけ。マリアンが生き抜こうとする限り回復するだろう。ジェンナはマリアンのために全力を出している。彼女が倒れない程度に自由にさせよう。
ダレンの声が聞こえた。
「少し明るくなってきた。もう上から一人ひとりを狙える」
カレンは顔を上げて空を見た。木々の隙間から灰色に揺らめくものが見える。
「申し訳ないです。こんなことになってしまって」
「ははっ、これくらいでいちいち謝っていたら皇妃なんぞ務まらんぞ」
「もう、皇妃ではないかも」
「ああ、だとしたら上妃だ」
「こんなところでおしまいになるなんて思ってもいませんでした。あなたの言ったとおりになってしまいました」
「こういうこともあるさ。しかし……ちゃんと別れを言ってこなかったな」
「あ、ご家族にですか?」
「ん? まあ、そんなとこだ」
突然、木々の隙間から日が差し込んでくる。そして、別の音がかすかに聞こえてきた。
「来たな。もうこっちがはっきり見えるはずだ」
上から光の束が降ってきた。あたりが真っ白に輝き視界が閉ざされる。
次の瞬間、もっと強い光が木々の向こうに炸裂した。何度か爆ぜるような音が続く。
「なんだ、あれは?」
急にあたりが静まりかえった。上から聞こえていた風を切るような音も消えた。
ふいにドキドキしてきた。これは……。
次の瞬間、上空を何かが横切っていった。
「空艇だ。別の部隊か……。エルナン……なのか?」
ここからでは何も見えないしわからない。
気がついたときには、周囲を囲んでいた人たちの気配が遠くなっていた。
疲れ切ってしゃべるのもままならないといった感じのジェンナのつぶやきが聞こえる。
「カレンさま……どうしたんでしょう?」
「わからないわ」
周囲からの攻撃がなくなった。あれが最後の一撃だった。
しばらくして偵察に出かけた正軍の分隊が戻ってきた。敵がいなくなったとの情報を携えて。
すでにメイとティムは地面に伸びて眠っていた。フィオナは横になったジェンナのそばに座って何やら話しかけている。じっと見ていたら、顔を上げたフィオナから笑みがこぼれた。
あたりは妙に静か。時折、遥か遠くでかすかに雷鳴のような音が聞こえるだけだった。
***
日が昇り、破壊された車から食料をかき集めてなんとか食事らしきものを終わらせたとき、瓦礫の向こうに輸送車が現れた。協力して障がい物を撤去して通れるようにする。
大勢の人たちが亡くなったことを聞かされた。これが戦争という悪行がもたらす現実。前線でトランサーと戦って死ぬ者たちもいるが、ここで見た光景はそれよりずっと凄まじい。
目に見えるものとそうでないものの違いなのだろうか。火の燃えさかる惨状が脳裏に焼き付いたまま離れない。
***
ハルマンの空艇団に救われたと知ったのは橙色の船が下りてきたときだった。
エルナン軍はやすやすと前進したが長く伸びた車列を襲われ、たった一台のエストーではどうすることもできずに壊滅的な損害を被った。そのエストーも破壊された。
ハルマンの救援がなかったら全滅の可能性すらあった。
すぐにマリアンは医術者の治療を受けた。重傷だが命に別状はない。
空艇に収容された人たちは椅子で眠っていた。
イオナとエミールに挟まれたカレンは、明るい日差しが降り注ぐ大地を見つめた。
「ありがとう。あなたたちが来てくれなかったら今ごろ……」
「必ず助けに行くと約束したから。でも遅くなってすみませんでした」
エミールが頭を下げた。
しばらくしてイオナが口を開いた。
アデルを訪れたディオナに救援を依頼されたと。
「そもそもどうしてハルマンの軍がローエンに? エルナンの人たちを助けたら戦争になってしまうのに」
イオナがゆっくりと首を振った。
「いや、少し違うのよ。確かにディオナから援軍の要請は受けましたが、それは断りました」
「だったら、どうして……」
「トランを訪問したわが国の皇女をローエンの主家の軍が攻撃して亡き者にするところだった。ハルマンとしては当然、自国の姫を救出するために軍を派遣しただけ。エルナンを助けるためではない。まあ、結果的にそうなったことは……単なる偶然よ」
「えっ?」
「とにかく、間に合ってよかった。姉さまに何かあったらと思うと……」
「ああ……」
この作戦の背後にはオリビアがいるに違いない。もしかして最初からこうなることを見込んで姉妹結びをさせた?
「気が気でなかったわ。本当は完全に準備が調ってからあなたに知らせる予定だったのよ。姉さまがフェルンに上陸したところで空艇団を派遣して救出する。あなたに危険がないようにするはずだったのに、あの朝、姉さまから連絡があって、計画が狂ってしまった。ディオナはかなり動揺していたし、母さまはといえばロザリーに直談判に飛んで行ったのよ。それでも出発まで二日かかった」
ああ、やっぱり……。一生お母さまには頭が上がらない……。
「ご迷惑をおかけしました」
「何を言っているのよ? まあ、とにかく、トランを公式訪問したわが国の外事を殺害しようとしたトランの横暴は決して許せない。そろそろ、わが軍がワン・ナントに入るころ。先行した空艇団が制空権は確保したから、トランを制圧するのも時間の問題。第二陣の輸送艇もほどなく出発する」
ずいぶん事実と異なるけれど、このような屁理屈が通るのかしら。
「あのう、もしかしてわたしのすることは全部お見通し……」
「姉さまがザナンを見捨てないのはわかっていました。母さまに代わって謝るわ。姉さまを皆で利用したことを。妹としては恥ずかしい限り」
「トランはどうなるのですか?」
エミールが説明する。
「ぼくたちのつかんだ情報によれば、ローエンの国王は王女の伴侶、サイラスの影響下にあると見ている」
「強制?」
「ああ、ノアがさらわれたことでいろいろ調べてわかったんだよ。トランの内情が」
「実際に国王と対面すれば確かになる。もし強制下にあったなら……」
「彼は間違いなく持続的な強制作用を施せる。何と言っても三つもちよ、あの人は。恐ろしい人」
「三つもちか……。会ったことないな。ならすごい力があるのもうなずける。ノアを助けるためとは言え、そんな恐ろしいやつのところに姉さんを送り込んだなんて、本当にすまない。やはり、あのとき軍を派遣してノアを奪い返すべきだった」
「それはだめよ」
「そうだよなー、やっぱり。……とにかく、トランの王が影響下にあるかはすぐに判明する」
「もしそうなら解除しなければ。ザナンとわたしで何とか」
サイラスの陰謀だとしたら、ハルマンとエルナンの結託も見過ごされる……ことはないわよね。けれども、結果的にローエンの民に利益がもたらされるのなら、少しはわたしたちのしたことに対する贖罪になるかしら。
「そうそう、ダレンはイリマーンの権威ある者の候補者なの。彼は強制者対応でもとても優秀。本人はそう自慢していた。そして、わたしよりもはるかにいろいろなことを知っている」
イオナは反対側の席で目を閉じて座るダレンを見た。
「姉さま、あの方をお借りできるかしら。三人いれば何でもできる」
「ええ、いくらでもこき使ってちょうだい」
話が聞こえていたのか、彼が薄目をあけてこちらをじろりと見た。すぐに目を逸らす。
***
夕刻になって、その後の顛末を聞かされた。
ローエンの王はやはり傀儡だったのがわかり、戦後処理は呆気ないほど簡単に進んだ。トランは近いうちにエルナンに主家を返上することで一応の決着も見たが、それでもエルナンはこれからが大変だ。
唯一気がかりなのは、サイラス皇子の行方がわからないことだった。
夜の帳が下りたころにはエルナンが国都を掌握した。ハルマンの力軍と正軍がいかにすばやく動いたかが明らか。
すぐに、ハルマンの主力は帰国することになった。日付が変わってから一日もたっていないのにこれだけの作戦を遂行してしまう。きっとハルマンの軍事力は強大なものに違いない。
途中で、ペトラたちを拾ってもらいワン・オーレンに向かう。
夜遅くにはアデルの館に降り立った。今夜はベッドで眠れそう。




