295 終わりが見えない
「カレンさま、起きてください」
耳元でささやく声に目を開く。まだ薄暗かった。
「ジン、どうしたの?」
「急いで来てください」
眠い目を擦りながらあとを付いていく。離れたところに張られたテントの中に入る。
深刻そうなザナと知らない人たち。みな本来より歳を重ねたように見える。それとも実際そうなのかしら。
「カレン、ちょっと面倒なことになった」
「面倒?」
「夜の間に軍が出発した」
「えっ?」
「あれも持っていった」
「あれって?」
「エストー」
ようやく脳が目覚めてきた。
神妙な顔の人たちを見る。
「でも……」
「全員じゃないんだ。負傷者はみな置いていった。エルナンから来た者たちだけ連れていった」
残されたのはウルブから渡ってきた人たち。やはり、両者の間には見えない溝が存在する。
「つまり、引き返して反撃に出たと?」
「うん、あいつらはわかっていない。トランの戦力を完全に見誤っている。あれ一つでどうにかなるものではないのに」
トランの所有するエストーはほかにもあるはず。たくさんかもしれない。
「すまない、せっかくカレンが手を貸してくれたのに」
「それより、これからどうするのですか? まさか……」
「彼らの気持ちがわからないわけではない。わたしはよその国にいたから信頼されない。しかし、空艇の支援がないとこれ以上は無理なのが明らかなのに、彼らにはそれが見えていない」
アレックスが誰も触れなかった核心を突いた。
「長年抑えつけられてきたエルナンとしては、今さら引くことはできないのだろう」
「ごめんなさい、ザナ」
「どうしてカレンが謝るの?」
「わたしがあのエストーを持ち込んだからですよね。わたしの考えが浅はかでした。トラン打倒を切望するエルナンの人たちに余計な希望を抱かせてしまった……」
「そんなことはない。実際、わたしたちはカレンたちのおかげで救われた。なのに彼らはそれを理解していない。真実から目を背けている」
「それで、これからどうするの?」
「すまない、カレン。たとえ彼らの過ちだとしても、ここで見捨てるわけにはいかない。わたしたちだってエルナンの一員でありたいと思っている」
「でも、大勢の負傷者はどうするのです?」
「彼らはフェルンに向かわせる。わたしと一緒に来たい者だけ同行させる。早く追いかけて行って説得するしかない。でなければ……」
「すぐに出発ですか? ああ、急いで準備しないと。そうそう、わたしたちの車がなくなったらしいので、別のを貸してくださいね」
「いや、カレンたちは行かない。フェルンに戻る」
「もちろん、一緒に行きますからね」
「人の話を聞いてた? これはわたしたちの……」
「ザナ、ここにいるわたしたち、わたしもミアもメイもペトラも今あるのはエルナンの人たちの助けがあったから。わたしはその恩義に報いたいの。これがわたしにできることなのだから。それに、わたしたちの乗ってきた車が持っていかれました。荷物もです。だから取り返しに行きます。これは正当な理由ですよね?」
「しかし……」
さっと振り返る。
「ジン、ディードに準備させて。車の確保もして」
「わかりました、カレンさま」
彼女はすぐさま飛び出していった。
「カレン……」
「わたしは自分の直感に従うだけです」
「……わかったわ。でも、あなたたちは一番後ろから付いてきて。絶対に前に来てはだめ。戦闘は禁止。これだけは守ってちょうだい」
「はい」
ペトラが声を出した。
「今までどおりクリスはザナとアレックスとニコラのそばにいて」
確かにこの四人がそろえば守りには隙がない。
クリスが反論した。
「それはいいが、ペトラは……」
「ディードもほかのみんなもいるから大丈夫」
そのペトラに向かって言う。
「あなたはフェルンに行く人たちと一緒よ」
「どうして?」
「ねえ、大勢の重傷者を見捨てるわけ? あなたは医術者でしょ。今あなたが必要とされている場所は前線ではない。ああ、それからフェリも一緒に戻るのよ」
「あたしも……」
「だめよ。そうそう、ミアとレオンには彼らの護衛をお願いできるかしら」
「いや、あたしたちはカレンと……」
「どうしてみんな危険なところに行きたがるの? いい? フェルンまではまだ遠い。全速で走るのも難しいでしょうし、途中で攻撃を受ける可能性が十分にあるの。あなたたちがいれば彼らは安全にフェルンに撤退できる。あなたたちにしか頼めないことなの。お願い、ミア」
ミアの目を真っ直ぐに見つめる。
「わ、わかったよ。そうまで言うならしかたがない。撤退部隊のほうはあたしたちに任せて。でも、気をつけてよ。トランの軍は相当にしぶとい」
「はい。後ろから付いていくだけだから心配しないで」
ほかに一緒に行かせられるのは……。
「メイ、あなたも……」
「わたしはお母さんと一緒に行きますからね。防御者は絶対必要でしょ。お姉ちゃんとレオンにはできないことですからね。お母さんも言ったでしょ。自分にできることをする。防御者は多いほど物理攻撃も防げる。だから、わたしとティムが……」
意志が固そうなのを見て諦める。
「確かにエストーがなくなった以上、防御者は必要だわ。わかった。ではお願いします」
***
どれくらい走っただろうか。今は開けたところを移動しているが、出発してから一度も敵と遭遇しない。正面に次の森が迫ってくる。
ジェンナの声がしじまを破った。
「もうすぐ日が落ちます。そうなる前に追いつきたかったですね」
ザナから最後尾と指示されたので、この後ろに続く車はない。
ワン・ナントに向かった人たちはそれなりの速度で進んでいるに違いない。それだけ抵抗が少ないということだろうか。
ディードの声がする。
「いつまでたっても敵に出会わないのは少しおかしい。昨夜のやつらはどこへ行ったんだ?」
「そうよね。どこかに潜んでいるか、あるいは、後ろから現れるんじゃないの」
メイの考えは信憑性があった。それでも……。
「後ろにはいないわ。少なくとも近くには」
振り返れば、まさに太陽が沈むところ。空が真っ赤に光っている。燃え上がる炎の景色はこれから起こることを予感させる。
天が急速に色を失い青黒い雲のような塊がぽこぽこ現れてくる。まもなく森の中に入り木々が頭上を覆った。
あたりが暗くなったとたんに前方にかすかな光が見えた。
「いま、何か光ったわ……」
感知範囲を最大まで伸ばすが、視えるのは同じ方向に進む車列の人たち。ほとんど限界のところにザナやアレックスがいるのがわかる。
「先頭が離れていく。速度を上げたのかしら」
「この車はこれ以上無理です。普通の輸送車だし」
ディードが窓を開いたとたんに、冷たい風が吹き込んで渦巻いた。
マリアンがブツブツ言う。
「さ、寒い」
「静かに」
頭を半分出していたディードが首を引っ込めた。
「前のほうからかすかに地鳴りが聞こえる」
「それって……」
「あのエストーの音かもしれない」
彼は半分閉めた窓に耳を押しつけていた。
まもなく、前方に多数の光が見えた。しばらくして、今度は突風が窓から吹き込んだ。
進むにつれてどんどん光輝が強くなり、しだいに轟音が聞こえてくる。戦場が近いことを予感させるのに十分。
突然、前方に無数の人たちを感知する。
「追いついたみたい。大勢の人がこの先にいるわ」
「どうしますか? 我々の武器はこれだけしかないですが」
持ち上げた銃で床に置かれたもう三挺を示す。
とても貧弱。それでも、ディードが手にしているのは貫通弾を装着した大型の銃だから、薄い防御なら貫ける。
もっとも敵だって同じ武器を持っているだろうからこちらも防御を厚くしなければ。
今や反対側の窓も開かれ、車内には寒風が渦巻いていた。自分の顔を触ってあまりの冷たさに驚く。
空を見ていたディードが言う。
「灯りを消して。遠くに光が見える」
「空艇がきたか……」
ダレンがぽつりと漏らすと、ディードが自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「この暗さなら灯りがなければ見つからないはず」
突然、すぐそばに光が炸裂して、耳がキーンとなった。何も聞こえない。
「くそっ、攻撃された。やつら、こっちが見えているのか。メイ、防御は……」
「大丈夫、ディード、厚くしたから」
車は道路の端によって止まった。窓から首を伸ばして上を見ても真っ暗闇。頭上は木々に覆われている。
再び動き出した車がジグザグに走ると体が振り回されて気分が悪くなってきた。
今度はすぐ前に光が炸裂して、それを避けようとした車が大きく傾く。それでもなんとか立て直して進み続けた。
ディードの怒鳴り声が聞こえる。
「なんで見える?」
「ティム、遮へいをもっと強くして! 感知で方向を定めているのよ。わたしだって上の空艇の位置がわかるもの。向こうだって……」
「やつらはまだ真上にいるのか?」
「真上じゃないわ。少し左のほう。木に遮られている」
「車を止めて! そのまま静かに」
「上を回って……いや、動き出したわ。前に向かった」
次の瞬間、前方に光の柱が立ち上った。
「こっちを諦めて別のを攻撃したか。これはまずいな」
少し進むと、何台もの炎上した車を前にした。
「くそっ、道が塞がっている」
ジェンナが扉をあけて外に出た。すぐに振り返って叫ぶ。
「あそこに人がいます」
「みんな無事なのか? 車を捨てて森に隠れたか。いい判断だ。しかしこれでは……」
突然、背後から近づくものを感知した。ほかに気を取られて気づかなかった。しかも強い遮へいが張られている。
「後ろ。ものすごい勢いで何かが近づいてくる」
「あっちからも来たか。全員、下車。あの車の向こう側に回り込んで待機。遮へいと防御! 何とかほかの部隊と合流する」
上からの攻撃がフィールドを光らせた。
隣でメイがつぶやく。
「遮へいしてもこれじゃあ明るくて丸見え」
すぐに空艇の音が遠ざかった。
「今のうちに前進、ひとかたまりになって移動。フィールドから外れないように」
攻撃が止む気配はない。皆が燃える車を盾に集まると同時に、森に散会していた兵たちが戻ってきた。
直撃を受けたのに死者も重傷者も出なかったのは奇跡としか言いようがない。
フィオナとジェンナも衛生兵を手伝って負傷者の手当てをする。
ずっと黙ったままだったダレンが突然口を開いた。
「両側から接近してくる者がいる」
ディードが振り向いた。
「まずいな。カレン、向こうの防御者の位置はわかる?」
「わかります。その銃を使うつもり?」
「このままだと囲まれてしまう。孤立するのは避けないと」
「正確な場所は無理よ」
「当たるとは思ってない。けど、こっちの力を見せるだけでも効果があるさ」
しばらく目を閉じて集中する。手を上げて視える目標に指を向ける。
「これ以上は難しい」
そのまま待つと、銃の低い発射音が響いた。三回ほど撃ったところで小さな声が聞こえた。
「少しは時間が稼げたかな」
次の瞬間、上から光の柱が下りてきた。
その一部がフィールドに当たって光り輝く。とたんに左右からも攻撃の光が伸びてきた。
「もう遮へいは意味がないな。ティムも防御に切り替えて。フィールドをもっと厚くする。向こうも機械式で攻撃してくるかもしれない。なるべく姿勢を低く。攻撃者と銃を持っている者は各自の判断で攻撃を続行!」
メイとティムは防御を張り続けているが、いずれ限界がくる。それに、ティムはあまり防御が得意ではないようだ。ときどきかすかな揺らぎが発生している。
ふたりの間に入り手を握る。双方の作用をつないで支える。少しでも力を分けてあげなければ。
しかし、このままだといずれ全員の力が尽きる。向こうにはどれほどの作用者がいるのか。よどみなく攻撃されれば、防御を解いて休憩する暇もない。
「敵さんが貫通弾を使わないのは幸いだったな。ここで撃たれたらまずい」
貫通弾はひとつの防御フィールドでは防げないけれど、複数のフィールドを重ねれば、高速弾でも受け止められると聞いた。
しかしそれは全力を出せればの話だ。明らかに疲労が溜まっている状態ではどうしても隙ができてしまう。
「このままではここから身動きできないわ」
「夜が明ける前に、本隊と合流しないとまずいな」
「あとどれくらい?」
「まだ数時間ある」




