290 ふたりでなら
マリアンに続いて意気揚々と車内に入るフェリシアを眺めて、カレンはため息をついた。本当になにごともなければいいのだけれど……。
同じほうを見ていたメイがのんびりと言う。
「アデルの館に滞在中も大変だったのですよ。わたしたちの知らないものがたくさんあって、そのたんびにフェリシアは根掘り葉掘り聞いて回って……」
小さく笑うのを眺めているうちに高ぶった気持ちも落ち着いてきた。
「ねえ、メイ、庇車が防御フィールドを展開すると格好の餌食になるわ。あなたの力がとても重要なのよ。お願いね」
「はい、お母さん」
ふと横を見れば複雑な表情をしたダレンの目が庇車の中に入っていくメイを追っていた。
その彼がくるっとこちらを向いて口を開く。
「まだほかにも隠し子がいるのか?」
突き刺さるような視線を避ける。
「な、なんのことかしら。失礼ね、あなたという人は」
「あんたにこれほどケタリシャがいたとは正直驚いたよ。親父たちは知っていたのかな……」
「えっ、ケタリシャ?」
思わず見回すと、彼はあきれたように何度もかぶりを振った。
「あんたの子どもたちのことだ。ケタリの種を持つ者もケタリシャと呼ばれる。ケタリの種を有する者が皆ケタリになるわけではない。それでも彼らは強い力を持つケタリシャとして特別な存在になる。あれほどのケタリに加えて複数の種持ち。これが反体制派に知れたらどうなるか……」
確かに娘たちの作用力は強い。
以前はケタリも少なからずいたという。当然ケタリの種を有する者も大勢生まれたはず。つまり、彼らは力覚できなくてもケタリシャを束ねケタリを守る存在となり得る。そうやってきずなを持つ者がお互いを護りこの国は発展してきた。
それがいつしか体制を維持することが優先されケタリは減少した……。
「このことはあまり公言しないほうがいい。特にイリマーンではな……」
カレンはうなずいた。イサベラがほかの姉妹を排除するなどあり得ないが、別の勢力が利用しようとするかもしれない。
「ところで、あのふたりが癒者なのは知っているのか?」
急に変わった話に戸惑って聞き返す。
「癒者?」
どういう意味だろう。うなずく彼の目をただ見つめる。
ため息をついたダレンが続ける。
「癒者はその名のとおり弱った体を治癒できる」
「医術者……ではないですよね?」
「よくわからんが、癒者は作用者とは呼ばれないらしい。作用が限定されているからだろうな。つまり自分で作用を自由に変形できないということだ。でも、ほかの作用者にはない特別な力を持っている。おれも会うのは初めてだ」
正直に答えるしかない。
「わたしにはその癒者がどう作用を使うのかわかっていないです」
彼がテントに向かって歩き出したので、遅れないように付いていく。
「医術者は怪我や病気の治療をする」
そこで眉間にしわを寄せて続けた。
「生成と破壊。知ってのとおり、悪しきものを取り除いたり損傷して失われた部分を再形成したりできる。でもそれだけだ。元どおりの体にするのはあくまで本人の治癒力による。それには時間もかかる。だが、癒者は言ってみれば怪我人や病人自身の治癒力を高める、というか、正確には治癒を加速させるのだと思う」
テントの中に入ると三人は一番奥のベッドの前にいた。
「フィン、まずこの人から。ここを動かないように押さえてくれる?」
寝ている人たちを見回す。おそらくここにいる人たちの中であの人が一番の重傷者に違いない。
意識のない怪我人に少しの間作用を施していたペトラが隣に移動した。
続こうとしたフィオナをダレンが呼び止めた。
「フィオナといったかな。ちょっといいか? その者に力を注いでみてくれるか?」
「力を注ぐ? どういうことでしょうか?」
彼女の目がダレンからこちらに向く。
「フィン、その人の手首を握ってみて」
「あ、はい」
何も変化が視えない。
「えーと、手のひらに意識を集中してみて」
「……おかしいな」
ちらっとこちらを見たダレンが怪訝の表情を浮かべていた。
本当に彼女は作用を流せるのかしら?
「それじゃあ、その傷の近くに手のひらを当ててみて。肌のところよ」
やはり何も起きない。
小声でダレンに話しかける。
「あなたの勘違いではないの? 作用が流れているようには視えないわ」
「確かに」
そうつぶやいたが、やにわにフィオナの手を取る。すぐにこちらを向いた。
「でも、ほら、触れると彼女から手に向かう作用の流れが視えるだろ? きっとこれが回復力だ」
フィオナは黙ってダレンにつかまれた自分の手を見つめていた。
ダレンが手を離すと、彼女は戸惑ったようにこちらを見た。
そう言われれば、この未知なる作用は何だろう?
横を向けばペトラは次の人のところにしゃがんで作用を施していた。
こちらを見たまま硬直しているフィオナに腕を伸ばした。その手をつかんで確認する。
ダレンが言うように確かに流れを感じる。温かい作用が自分の中に流れ込む。フィオナがビクッと震えた。その顔に驚きが広がる。
突然、何かに突き動かされるように反対側の手で目の前の患者の手首を握った。
とたんに、濁流のような流れに晒され息が詰まった。思わずパッと手を離す。
こちらを見るフィオナの顔が真っ青だった。
「フィン、落ち着いて。いい? 力まないでゆっくりと力を解放してみて。そっとね」
今度は傷の近くに手を当てる。
またあえぎ声がする。しかし、今回の流れは先ほどより緩やかだった。
「そうよ、フィン、それでいいわ。もう少し我慢してぐっと抑え込んで」
「なるほど」
ダレンの声に頭を捻って見上げる。
「何がなるほどなのですか?」
「どうやら、この者は未完成らしい」
「未完成? でも……」
「ケタリは同調力がある。つまり、あんたがフィオナの中途半端な力を引き出してその者に流し込んでいるんだ」
「えっ、どういうこと? 同調力は使っていませんよ」
「そうなのか?」
「ただ手を取っただけなのですが」
ダレンの顔には戸惑いしか見えない。
「とするとこの者自身に壁があるのか……それをあんたが越えさせているのか」
「理解できないですが」
「ああ、とにかく、あんたたちはふたりで一人前の癒者……そういうことだ」
「では、ひとりでは……」
「おれに理由はわからんが、ひとりじゃだめだが、あんたが間に入れば癒者として力を発揮できる。まあ、いずれひとりでもできるようになるだろ。慣れの問題かもな。言ったと思うがおれも初めてだ。あんたやこの者の能力までわかるわけがない」
いつの間にかペトラが戻ってきて鼻をくっ付けんばかりの勢いで覗き込んでいた。
「すごい……」
体を起こしてフィオナを見つめる目が輝く。
「フィン、すごいよ。こんな力があったなんて……」
しばらくは誰も何も言わずにじっとしていた。
突如、無音の世界を打ち破るように、ペトラがしゃがれ声を出した。
「損傷箇所の修復が進んでいる。ほんと、すごい……」
ダレンの声が聞こえた。
「これは、単にその者の治癒能力を引き出しているだけ。だから、治癒能力が失われた者に効果はない。もうひとつ、医術もそうだが自分には使えない。これは覚えておいたほうがいい」
「フィン、もう少し続けてくれる? もうちょっとでこの人も少しは楽になると思う」
それからしばらくフィオナと一緒に作業を継続した。




