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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第1章

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30/358

30 帰らなければ

 床下から見える範囲の地面全体が、徐々に多くの光の(またた)きにより、ぼーっと黄色いもやに覆われていく。その様子を見ながらザナは命じた。


「急速離脱! 高度上げ、急げ!」


 遅い。脱出が遅すぎる。調査に気を取られすぎた。思わず握った手に力が入る。


「壁が!!」


 背後から聞こえた叫び声に振り向くと、光り輝く帯が激しく波打っていた。これはまずい。防御フィールドが崩壊する前兆だ。

 船はやっと高度を上げ始めた。船尾がやや高くなると、ゆっくりと前にも進み出す。


 眼下の地面のまぶしい光点が急に増えたり少なくなったりしている。フィルも下を見ていたが、すぐに叫んだ。


「もっと高度を上げろ! 下から来るぞ!」




 また、振り返って壁の様子を確認する。

 その時、光の帯が黄金色から赤に、緑色に、そして青へと揺らめくように変化した。それにともない、あたりが明るくなったり、フッと闇に包まれたりする。そのたびに船が激しく揺れる。

 ザナは怒鳴った。


「船を安定させることに専念。壁が崩壊する。その前にできるだけ遠ざかるんだ」


 次の瞬間、あたりが暗くなり、再び元のように明るくなることはなかった。

 振り返ると光の帯が目に見える範囲で完全に消滅していた。眼下の光の明滅も消え、あたりは漆黒の闇に包まれた。

 一呼吸のあと、船のすぐ下のあちこちで炎が燃え上がり、突然あたりが真昼のように明るくなった。


「現在の高度は?」

「30です、隊長」


 フィルの落ち着いた声が聞こえた。低すぎる。あまりに近すぎる。


「100まで急速上昇! 次は後ろから来る。衝撃に備えろ!」




 少しの間のあと、船が上下に激しく揺さぶられ、ものすごい震動が走った。船内が暗くなる。

 何かがきしむような金属音があたりに響き渡った。船尾がぐぐっと急激に持ち上がり、船がほぼ真っ逆さまになったような錯覚に陥る。


 そこで一瞬静止したあと、そのまま下に向かって滑り落ち始め、体がふわっとする。

 フィールドが崩壊して、このあたりの風の吹き方が一気に変わったのか?


 かなり降下したところで、今度は船尾ががくっと下がり、再び、激しい震動に襲われた。

 座席の背中に体が押しつけられる。前方に星空がちらっと見えた。

 この下はトランサーの海だ。ここで墜落したらおしまい。

 ザナは命じた。


「とにかく上昇だ。高度を取れ! トランサーから早く離れないと、防御フィールドが過負荷になる」




 下を見ると、相変わらず防御面に数え切れないほどの光がはじけていた。無数のトランサーが強い風に乗って飛んでくる。

 やつらどうして下から現れたんだ? あの穴か?


 その時、また金属のこするような甲高い音が響き渡ったあと、再び船が後ろ側に傾いた。さらに左側にも徐々に倒れていく。保護ベルトをしていても椅子から振り落とされそうだ。


「後方の飛翔板が一枚脱落しました」


 フィルの冷静な声が報告した。

 さらに強い口調で続いた。


「マレ、ロイ、どうした? ロールを安定させろ。ひっくり返ったらおしまいだぞ」


 今度は、船が振り子のように左右に揺れていた。




「副長、だめです、上昇できません。ものすごい力で下に引っ張られています。それに制御が利きません。左側の出力も下がっています」


 ロイの声は上ずっていた。

 すぐそばで大量のトランサーが消滅するため、圧力低下が激しく飛翔板が正常に機能していない。

 マレの怒鳴り声が聞こえた。


「ロイ、船の揺れに板の向きを合わせて。とにかくこの揺れを止めることに集中して!」


 左を見ると急激に地面が近づいてくるのが見えた。防御フィールドが真昼の明るさに光り輝いている。このままだと墜落する前にフィールドが崩壊する。

 ザナの周りでは攻撃者たちが船の床に手をつき下を睨んでいた。

 フィールドに群がるトランサーを排除しようと躍起になるが、数が多すぎて切りがない。


 どうして、こんなに殺到してくる? まるで飛行能力があるみたいじゃない。それともこいつらにはあるの?

 振り返って今や真っ暗闇と化した壁の方向に目をやった。もしかして、あそこのやつらとは違う種なの?




「うまくいかない」


 ロイの振り絞るような声がすると、船の中に動揺が広がるのが感じられた。

 船体が左回りに回転しながら急速に高度を失っていた。


 まずいな。地上に落ちても、フィールドが崩壊しても、どちらも全員の死を意味する。

 どうする? どうやって帰る? 握りしめていた手が真っ白になっていた。思わず手を緩める。

 小さく息を吐き出したあと命じた。


「フィル、最後尾の補板を出せ」


 ザナは後ろを振り返ってロイとマレの様子を見た。


「出しました、隊長。後板を投棄しますか?」

「ちょっと待て」


 ザナは保護ベルトをはずして席を立つと、斜めになっている床を踊るように走り下った。

 ロイとマレのいる座席の後ろを(つか)み、かろうじて、さらに滑り落ちるのをこらえた。

 椅子の背に腕をかけたまま、ロイに話しかけた。


「いいか、これから残った後板を捨てて、船尾の補板に切り替える。まず、今の板との接続を切る。それから、合図で新しい板と接続する。わかったか?」

「はい、隊長。でも、そのあとどうすれば?」

「まず、すばやく(つか)むことに集中しろ。その間、船はさらに後ろに傾くが気にするな。もともと垂直になったときにも使えるように設計されている」


 船尾側の窓から地面がどんどん近づいてくるのが見えた。

 ロイはレンダーグローブを握りしめて、うなずいた。


「わかりました」




 ザナは怒鳴った。


「フィル、切り替えろ!」

「後板、投棄! 完了。補板接続! 終了」


 フィルの声のあと、床がさらに急速に傾き、(つか)まるのがやっとの状態になった。こりゃ、本当に垂直だな。


(つか)みました、隊長」

「よし、板の動きに全神経を集中。ゆっくりと動かして。この角度で急ぐと折れる。そっと力を入れる。ロイ、おまえならできる。自分を信じろ」

「はい」

「よし、マレ、ロイの動きに合わせて制御を頼む。まずは落下を止めることに集中して」

「了解、隊長」


 ロイの横顔を見つめる。汗が滝のように流れていた。

 横を向いて船尾越しに見ると、さらに地面が近づいてきた。もう20もないだろう。近すぎる。直視できない明るさだ。

 これじゃフィールドがもたない。


 ザナは、ロイの椅子をつかんでいた手を放して、一気に船尾に向かって床を滑り落ちた。

 船尾で補助フィールドを担当するジョンが座る椅子の背に肩をしたたかにぶつけてうめいた。

 まったく、どうなっているんだ。

 この近距離だと、船尾のフィールドには、地獄のように光が踊り、直視できなかった。どう見ても過負荷だ。


「隊長、あまり持ちません」


 ジョンがこちらにちらっと目を向けるなりつぶやいた。

 わかっている。フィールドが崩壊するのが先か、地面に落ちるのが先か。

 なんでこんなにトランサーがいるんだ? この下の地中から次々と湧いて出てくるようだ。


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