286 フェルン
「あまり大きくない港ですね」
突然の声にピクリと震える。
マリアンは手すりから身を乗り出して左右を見てから続けた。
「ここで間違いないのでしょうか?」
「イオナさまはフェルンと言ったわ。そしてここがそのフェルンよ」
そう答えるジェンナが来たのは認識していたのに、マリアンには声を聞くまで気づかなかった。
カレンはマリアンをチラリと見る。やはり感知から外れることがある。精分を隠蔽できるのは間違いない。それとも、これは彼女の力なのだろうか。
無意識に使っているようだけれど、自分の意志で制御できるのかしら。
マリアンは右のほうを指さした。
「向こうに大きな桟橋がありますね」
まもなく輸送艇は向きを変えて彼女が示した方向に進んだ。南側一帯が荷物を積み下ろしするところらしい。そのための施設がいくつも並んでいる。
冷たい風が吹き付けてきた。思わず羽織の上に両手を回してギュッとつかむ。
確かに想像していたより小さな港だ。本当にここから上陸したのだろうか。
その時に使用した船はどこかしら。ぐるりと見回したが、日の出直後ということもあって静か。滑るように動いているのはこの輸送艇だけだ。
「マリン、降ろす準備に行くわよ」
「はい、あねさま」
ふたりは階段を駆け下りていった。
感知を開きぐいーっと遠くまで伸ばす。しばらく試したあとうっかりため息が漏れた。もちろん、視える範囲にいるはずがない。昨晩シアと話したときには、ここから東に一日くらいのところを移動中だろうということだった。
一日離れているというのが何を基準にした距離なのかは結局わからなかった。地図の上でビシッと場所を示せれば問題ないのだけれど、幻精にそれを期待してもたぶん無理。
ここまで思い出したところでギクッとなった。
地図……地図が必要だわ。まったく考えていなかった。
「仲間は見つかったか?」
背後からの突然の声にまたピクッと震えてしまう。
振り返る必要はなかった。
感知を全開にするべきではなかった。
「あなたに関係ある?」
「大ありだ。これからどれくらい移動することになるのか事前に知っておきたい」
思わずため息が漏れる。
「つまり、一緒に来ると?」
「当たり前だ。ここで別れては来た意味がない。おれもあのすばらしい車に乗せてもらう」
どこまでも勝手な人。
「どうせ、止めてもむだでしょうね」
「しばらくは敵と接触することはなさそうだが、もし、そうなったら動いてやる」
***
荷物を後ろに積み込むと前席に三人並んで座る。ダレンはすでに後部座席に陣取っていた。
車を始動させてからマリアンがこちらを向いた。
「それで、どちらに向かえばいいですか?」
「とりあえず東に向かって。あとは途中で指示します」
ちらっと後ろに目をやる。これ以上難癖をつけられないようにせねば、ってわたしは何を気にしているのだろう。
うなずいたマリアンは少し背伸びして前方を見渡す。
「まずは東に向かう道に出ないと。あそこが出口ね。……ところで、一本道でしょうか?」
ギクッとする。東に進めば出会えるだろうと単純に考えていたが、道のことはまるで忘れていた。当然、いくつもの道路があるはず。どうしよう……やはり地図が必要だった。
すぐにジェンナが申し訳なさそうな声を出した。
「すみません、カレンさま。地図が必要でした。こんな大事なことを忘れるなんて。どこかで手に入れてきます」
「あねさま、まだ朝ですよ。店も開いていないでしょうし……」
後ろからあきれたような声がした。
「おいおい、初めての土地で地図も持たずにどうやって目的地に向かうつもりだったんだ? 皇妃が世間知らずなのは当然としても、内事のあんたが段取りを忘れてどうする?」
ジェンナがおろおろ声を出した。
「すみません、ダレンさま。完全にあたしの落ち度です。船に戻って誰かに……」
まったく、この人の話し方はいちいち癇に障る。他人の内事を叱る必要はないでしょうに。
「ダレン、地図を忘れたのはわたしの失敗です。わたしが指示すべきでした。連れを苛めるのはやめてください」
「ああ、そのとおりだ。大方そんなことだろうと思ってたよ。ほら」
ダレンはかばんから紙を取り出してこちらに突き出した。
ジェンナが声を上げた。
「地図! ありがとうございます、ダレンさま。とても助かります」
カレンは頭を下げて地図を受け取りジェンナに渡した。
「初めての場所で地図も持たずにどうやって目的地に行くつもりだったんだ? グウェンタのところにはあらゆる国と地域の地図があるはずだ。いや、そもそも、あんたたちがどこに向かうか聞いていたのなら、あいつが用意してもよさそうなもんだが……」
確かに正論だ。それでも……。
「申し訳ありません、カレンさま。当然あたしが手配するべきでした」
「いいのよ、ジン。今回のことはわたしが悪いのです」
フェルンに上陸さえすれば簡単に皆のところにたどり着けると思っていた。いつもながら軽率だった。またため息が漏れてしまう。
「それで、あんたの仲間と合流するにはどこに行けばいいのかわかっているのか?」
「ああ、それなら心配ありません。そのう……場所は知っていますので」
「なるほど。つまり、あんたは感知以外の方法で合流地点を割り出すということか。ああ、そうでなくてはおもしろくない。これは、付いてきたかいがあったというものだ。うん、実にいい」
前をじっと見て車を動かすのに集中していたマリアンが振り向いた。
「あのう、ありがとうございます、ダレンさま。地図があるほうが走りやすいです。心の準備ができるので」
「マリアンの言うとおり。わたしが至りませんでした。また、ひとつ学習しました。遠出をするときは地図を用意する……と。ジン?」
「はい、わたしも記憶しました。お忘れになっても構いません」
「なあ、カレン、もしかして、あんたはここに問題でもあるのか?」
ダレンが自分の頭を指でつつくのを目にし答える。
「一度見たものは忘れませんよ」
「ふーん、なるほど、おもしろい、実におもしろい」
何がそんなに愉快なのかさっぱりわからない。
悔しいけれどこの人と一緒でよかった……のかしら。
ジェンナは膝の上に地図を広げた。
「おれが手に入れたやつはあんまり詳しくなさそうだぜ」
ローエン全土の地図で、主要な街道しか描かれていないようだ。どっちみちこの連結車は細い道には入れない。指を動かしてワン・ナントに至る道を辿る。
国都はインペカールとの国境、つまり大連峰アアルの近くに位置しており、そこまでの道路は三本描かれている。どの道も山を迂回するようにうねっていることを知った。
途中にはいくつもの森がある。
どの道を撤退してくるか、が問題だ。
空艇団を失ったと聞いた。当然、相手は空から追撃してくる。
地図をじっと見ていたジェンナは一本の道を示した。
「できるだけ森の中を通ったほうが攻撃を避けられる」
彼女の考えも同じようだ。国都の近くまで進軍した。おそらくこの道路だろう。
「とりあえず、その道を東に向かいこの森を通って出口まで行きましょう。あとはふたりに任せるわ」
「承知しました。この経路なら夕方には着くと思います。途中のここかここの町で休憩します」
うなずいた。ちらっと後ろを見れば、ダレンは横になって目を閉じていた。よほど寝るのが好きと見える。
ついついため息が出てしまう。気づいたジェンナが振り向いたあと、こちらを見て肩をすくめた。




