284 内事と側事
そうか、この人も感じていたのか。それも部屋に入ってきただけでわかった。
カレンはあらためてダレンの横顔を眺めた。やはりこの人の力ははっきりしない。イオナが絶賛したクレアすら気づいていなかった。いや、それともちゃんと見分けていた? わたしが知らないだけで。
気を取り直して補足する。
「ダレンのお父上は国王のご友人、アレンなのだそうです」
ジェンナはダレンに目を向けた。
「それでは、ダレンさまも権威ある者でいらっしゃいますか?」
それを聞いたとたんに納得する。
「ああ、そっか、そういうこと……」
ジェンナがこちらを向いた。
「あたしの聞いた話では、アレンさまも……」
「いや、父は権威ある者だったことはない。候補者ではあったが。おれも候補者にすぎない」
思わず言葉が口から出た。
「どういうことでしょうか?」
ダレンはこちらに不審そうな目を向けるとわずかに首を振った。
「権威ある者は候補者の中から王が指名するんだ。ディランが王になったとき、父はもう権威ある者になれる歳ではなかった。だからアイゼアがその役を受けた」
「それでは、次の国王の……」
「いや、たぶんそれはない」
「どうしてですか?」
「王女はおれを指名しない」
「でも、父親の友人の……」
「そういうことではないんだ」
***
「ところで目的地はフェルンと聞いたが」
この人はわたしが何をしにローエンに行くつもりか把握している。それなら、グウェンタの関係者から知ったとしか思えない。
「はい、そうです。そこで上陸して、捜しに行きます」
「どうやって? あんたのその助けたい大切なお仲間の居場所はわかっているのか?」
「あ、えーと、たぶん」
「えらく曖昧な言いようだな」
少しの間、カレンの目をじっと見ていたダレンは肩をすくめた。
「まあ、いいか……おれは部屋で寝るとしよう。フェルンに着くまでは何も起きないだろうからな。じゃあな」
まだ朝ですけれど……。
音を立てて閉まった扉を見つめたまま考えた。どういうことだろう? イサベラとダレンは仲が悪いのかしら。確かに、あの人なら相手が王女であっても毒舌をふるって怒りを買いそう。ああ、それとも……。今度聞いてみよう。
ジェンナの声で我に返る。
「フェルンに着くのは明日の早朝だそうです」
「あら、意外に速いのね、この船」
「そのようです、輸送艇にしては。それで、下のものをご覧になりますか?」
「使い方はわかった?」
マリアンがうなずいた。
「はい、だいたいは。ただ、実際に動かしてみないとはっきりしない部分もあるので、どこかで試したほうがよろしいかと……」
「そうしましょう。とりあえず教えてちょうだい、わかったことを全部」
***
日が高く昇り暖かくなると、ジェンナとマリアンに誘われて、船の最上層に登った。どこからか出してきてくれた椅子に座る。日差しの甘い匂いをいっぱいに吸い込むなり心地よい眠りに引き寄せられる。頬に感じる風がまどろみを後押しする。
移りゆく風景をぼんやりと眺めていたが、前に下船した桟橋が目に入り記憶が呼び覚まされる。思わず体を回して空をぐるりと確認した。こみ上げる誘惑を何とか抑え込む。
ここで感知を使うとまた問題を引き起こしかねない。あの人にも難癖をつけられそう。
「ふたりには謝らないと。こんなことになってしまって」
「突然何をおっしゃるのですか」
「トラン・ヴィラを訪ねてノアを連れて帰るだけだったのに、わたしのせいで長い間監禁された。あげくイリマーンまで行くことになって、今度はまたローエンに逆戻り……」
「いいですか、カレンさま。あたしたちはカレンさまに仕える身です。旅に同行するのは当たり前です」
そもそも、内事は国外へ出かけて長期留守にするものなのかしら。
「ミランとも離ればなれになって……」
「ミランはカレンさまの主事になるのですから、その準備に忙しいのです。出かける暇などないです。だから……ちょうどよかったのです」
隣のマリアンがいかにも眠そうな声を出した。
「でもあねさまは寂しそうです。この前ウルブに行って何日も留守にしたとき……」
「マリン?」
「……ミランも上の空といった感じで、あねさまをとても心配して……」
「マリン! 余計なことは言わなくていいの」
「ふたりには苦労をかけるわね。これが片付いたらハルマンに帰れるようにするから……」
「カレンさま、あたしはもうカレンさまの内事です。ほかのお役目もいただいています。マリアンもカレンさまの側事です。だから、あたしたちはどこへでも常にご一緒します。ミランが正式に主事になれば彼も……」
カレンはジェンナが向けてくる、空を映す鏡のような瞳を見つめた。右手の符環が放つ色と同じだわ。
そもそも符環は本人に合わせて調整されるものだ。
ハルマンで与えられたものはわたしをアデルと認めた。グレースの符環も何もせずに光っているのは、わたしをレムルの者と認めたということかしら。
いつになくまじめな顔つきをしたマリアンの期待するような目を覗き込む。
彼女をわたしの側事にした覚えはないけれど、ふたりはそのつもりらしい。アデルから三人も引き抜いて本当にいいのかしら。
「はあ……わかりました。実を言うと、ふたりが一緒でとても心強いの。いろいろな意味で」
マリアンが勢いよく答えた。
「はい、頑張ります。何でもお申しつけください」
「……それじゃあ、さっそくだけれど……髪を切ってもらいたいの」
「えっ、どうしてですか? 今のほうがお似合いですよ」
「でもね、マリン、いちいち理由を説明するのが……」
「ああ、そういうことでしたら、上のほうに少しまとめてみましょうか」
「そんなことができるの? ではお願い」
階段を下りていったマリアンはほどなく鏡と小さな手提げかごを持って戻ってきた。
しばらく後ろで髪をいじっていた彼女から満足そうな声が聞こえた。
「はい、できました。どうでしょうか」
ふたりが持つ合わせ鏡で確認する。部分的に編んでたくし上げられ、短いスティングでまとめられた髪はすっきりしていた。
「とてもいいわね。ありがとう」
自分ではまず作れそうもない。毎朝彼女にやってもらうことになりそうだけれど、うれしそうなマリアンを見れば何の問題もなさそうだ。
それに、これなら質問をかわせる、たぶん。
早めの晩食をとり部屋に戻ったあとは、いつものように隠避帳を取り出し起床してからの記憶を文字にする。それも終わればもう何もできることがなかった。
明日は早い。とにかくベッドに潜り込んだ。
ぼんやりしていると、あの光景が細部まで目に浮かんでくる。確かに消えない記憶は辛いかもしれない。あの娘たち、どうなったかしら。ローエンに連れていかれたのだろうか。チクチクと胸が疼いた。
しかし、この記憶を失えば後悔するかもしれない。それはもっと耐えられないことだろうか。でも、忘れてしまえばそもそも後悔という行為自体が発生しないはず……。いや、何かを忘れたという思いだけは残り、それだけで悔恨の情が生まれるのだろうか。
今日はたいしたことはしていないのに疲れた。晩食の間にもあの人は現れなかった。結局、彼のせいでいらだっているだけなのだろうか。
頭の下に手を入れて、これからの予定を考えるうちにようやく眠気に襲われてくる。




