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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第1章

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29 状況がわからない

 窓のそばに立つアレックスは、はるか彼方、防御フィールドの設置された場所に沿って光る帯を見つめていた。

 ここから確認できる限り、昨日までと何の違いも感じられなかった。フィールドは問題なく安定して見える。


 振り返ると、レナードとエルが、カティアとセスの背後に立ってモニターを見つめていた。部屋にいるほかの隊員たちも、一言も発せずに、それぞれの自席で推移を見守る。


 長い静寂を打ち破るかのように、カティアの声が部屋に響いた。


「フィールドの負荷が急に増加し始めているわ。アレックス、船を戻したほうがいい。この位置だと壁に近すぎるわ」

「ザナに知らせろ」


 アレックスはそう命じると、窓のそばを離れ、セスの隣で皆と合流した。




「空艇02、船を壁から3000メトレ位置まで後退させて。防御フィールドの負荷が急速に増えている。危険な兆候よ」


 答えがない。

 カティアは繰り返したが、雑音だけがいやに大きく聞こえた。

 彼女は振り返ってアレックスを見上げた。その顔に憂慮が広がっている。

 これはまずい。


「ザナ、応答しろ」


 呼びかけるも船からの返事はない。


「セス、船の位置は把握しているか?」

「壁から1000メトレの位置で止まっています。これは、どうやら通信状態がよくないようです。こちらの声はたぶん届いているかと思いますが。向こうからの通信が確認できません」


 いったいあそこで何が起きている?


「セス、連絡を続けてくれ。船を何としても戻すんだ」




 アレックスは、顔を上げて窓から見える壁の様子を確認した。フィールドの光り方は相変わらず安定している。

 テーブルから遠視装置をさっと取ると、窓のそばに駆け寄り、ブロック7の中央付近に向ける。

 (のぞ)くとフィールドの光り方に変化が見えてきた。明度の揺らぎがある。


 突然、通信が入った。


「指令室、72番隊です。防御フィールドからの反射が強くて、作用力を維持するのが困難になってきました。このままだと保持できそうにありません。緊急交替を求めます」


 急いで席に戻る。


「アレックスだ、もう少し頑張ってくれ。空艇02と通信できない。そっちから連絡がつかないか?」

「今やっています。とりあえず船の位置は見えています」

「動いているか?」

「……たぶん静止しています。それに、こちらからの呼びかけにも応答がないです」


 アレックスはうなった。

 セスの繰り返す声だけが聞こえる。




「だめ、もたない。壁が崩壊する」


 カティアの声が部屋に響いた。

 くそっ、ザナ、どうした? 聞こえているのか?

 もはや、遠視装置で見るまでもなかった。壁の全体が七色に変化しながら明滅している。


 その時、窓から見えていた、正面の壁の大部分がフッと暗くなり光が消えた。

 エルがしゃがれ声を押し出した。


「72番隊の出力表示が消えた」


 すぐに、カティアが矢継ぎ早に命令するのが聞こえてきた。


「72番隊、全速で後退、73番隊、フィールド展開の準備をしてその位置で待機」


 アレックスは73番隊の位置を確認した。原隊から100離れている。ザナの位置はあの表示が正しければ壁から1000だ。あれが今の位置ならばだが。

 少なくとも船が3000まで戻らないと73はフィールドを展開できない。

 セスがさらに交信を試みていたが、ノイズ音だけがむなしく響いた。




 今は窓越しに状況を確認できるだけ。光の帯が途中ですっぽりと漆黒の闇に包まれている。

 通信が邪魔されている。どうしてだ? ここと船の間に妨害源があるということか?


「セス、原隊とザナの間の通信は確立できないか?」

「そちらもだめのようです。これは、船の通信機が故障しているとしか考えられないです」


 カティアがさらに指示を繰り出していた。


「62と82は、73と再接続できるように接点を100メトレ後退させる。両隊は接合点の内側に攻撃隊を展開、侵入するトランサーを排除」

「63と83は、緊急交替に備えて既定の位置まで後退、予備隊は72と合流」


 それから、カティアは後方に座って作業をしていた各ブロック隊管理者に声をかけて呼び集めた。

 こういうときの彼女はふだんとは別人のようだ。ザナ同様、本当に頼りになる。このふたりがいなかったら混成軍が成り立たないのは明らか。




 アレックスはモニター上のフィールド位置を確認した。

 両隣の隊は、73番隊がフィールドを展開できる位置に来るまで十五分はかかるだろう。両隊の守備範囲を広げたために調整が難しくなってしまった。


「セス、船の今の位置はわからないか?」

「現在位置は不明です。予備の回線でも通信が確立できません。何かわからないがノイズが大きくて邪魔しています」


 突然エルが声を上げた。


「このノイズ音、前にも聞いたことがある」


 アレックスは、さっと彼女に向き直った。


「どこでです?」

「だいぶ前に12軍にいたときよ。確か、船で壁の向こう側の偵察を試みたの。壁の向こう側に入ったあと、降下してトランサーの様子を調べている間に、同じようになって通信できなくなった。昼間だったし、壁の向こうに船は視認できていたけど。あの時とこれは同じような気がする」

「つまり、どういうことです?」


 セスが振り向いて尋ねた。


「02が壁の向こうに行ったはずはないし。まさか……」


 エルがうなずいた。


「船との間にトランサーの群れがいると障害が発生する。というより、たぶん、多くのトランサーが消滅する際のエネルギーで、通信ができなくなるのだろうという結論になった。あのときは……」

「でも、そうだとすると、船とここの間にトランサーがいることになるけど、それはありえない」


 セスの声に戸惑いが感じられた。




 最後にザナは何と言った? 確か、他にも何かある、だった。

 捨てられた防御フィールド発生機以外にも、発見があったということか? それはいったい何だ?

 いや、ザナはトランサーの群れの向こうにいるのか? その群れはどこから現れた?


「くそ、カト、原隊とは通信できているか?」

「はい、大丈夫。問題ないです」

「原隊から空艇を出して、確認に行ってもらえ。何かあった場合は、ただちに救出だ」

「了解」

「ザナと何とかして連絡を取ってもらってくれ、とにかく3000以上の位置まで後退させないと」

「わかっているわ」


 調査に行かせるんじゃなかった。また、同じことが起きるのか?

 もし、トランサーが壁から1000メトレの位置かそれよりも手前にいるとすると、今の位置でフィールドを張るのは自滅するのと同じだ。

 もっと下げなければ。どこまで下げる? 2000か、3000か?

 ザナはきっと戻ってくるはずだ。




「カト、7番ブロックの次のフィールド位置を元の位置から3000下げた位置に張ることにする。そこまで後退して各ブロックをつなげられるか?」


 カティアは目を少し見開いたが、すぐにうなずいた。アレックスの言わんとすることを理解したようだ。


「9番の位置は変えたくないわね」


 アレックスは首を縦に動かした。少しの間カティアは目を宙に泳がせたが、すぐに続けた。


「計算してみないといけないけど、たぶん何とかなるわ」

「じゃ、進めてくれ。配置が終わるまでに、02は何とかして戻す。セス、それまでは、接続部の駆除に全力を投入してくれ」

「了解。ほかのブロックの船も全部応援に出します」


 気がつくと、通信装置から聞こえていたノイズ音がなくなっていた。部屋の中が妙に静まり返った。

 ザナ、早く戻れ。こんなとこで死ぬなよ。あの地獄を生き延びたのに、こんなところではだめだ。

 あとはザナの手腕に祈るしかなかった。


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