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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第4章

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278 内庭の散歩

 なぜか楽しそうなエドナの助けで立ち上がり、彼女が確認してよしと言うまでおとなしく待つ。それから再びゆっくりと歩き始めた。

 もう階段はないから大丈夫。帰りは上りだから問題ない。

 館の内門を抜けたあとは庭を目指す。


 先ほど見たものが気になり、ひとり前を歩くタリアの後ろ姿に目を凝らすが何もわからない。しばらくしてから、エドナも同じものを身につけているのではと気づいた。

 隣を歩く彼女の腰のあたりにチラリチラリと視線を送るが何も見えない。代わりに、歩調に合わせて軽やかに揺れる薄衣が、彼女の体型は隠していないのを発見しハッとする。


 同じ服でも着用する人によって印象はがらっと変わる。そう考えていたら、突然、エドナがこちらを向き微笑を浮かべてささやいた。


「内緒ですよ」


 もちろん気づかれていた。やはり武器なのかな。銃にしてはやけに細く小さかったが……。

 教練を受けているとの話を思い出すと、この国がいささか不穏であるという記憶も浮かび上がってきた。

 行方がわからない国王の一件もある。そして、ふたりは王女の紫側事(しそくじ)……。



***



 広大な庭園に入ってすぐのあたりをやけにしずしずと歩き回り、ベンチで休憩をとる。


 隣に腰を降ろしたタリアからこの癒やし空間の説明を淡々と受けた。

 その間に、エドナは背負っていた小さなかばんから飲み物を取り出し、カップになみなみと注いだ。ほのかな甘さがたちまち疲れを和らげてくれる。


 空気がすがすがしく感じられる。様々な木々が植えられておりそのほとんどは葉を落として冬ごもり中だと聞く。さらに、ここには小規模ながら農地があり、薬草なども育てているという。

 驚いたが自給自足のためではないらしい。


 何でも、いろいろな品種改良について調べたり実験したりする部署があるらしい。有意義な発見があれば、ちゃんとした農地で実践するとタリアは言う。

 それでわかった。きっと移住に向けた取り組みに違いない。




 おかわりまで飲み干してカップをエドナに返すとフーッと息をつく。

 もはや誰もしゃべらず静かなひと時が流れていく。背もたれにだらりと寄りかかって休んでいると睡魔に襲われる。

 頭がかくんとなったのを気づかれたのかタリアの声が聞こえた。


「今日はこれくらいになさいますか?」

「うん、疲れたけど部屋まで戻る体力は回復できたと思う」

「そのようですね。かなり日も傾いてきました。夕方になると急に冷えますから、その前に戻りましょうか」

「そうしよう。明日(あした)はもっと普通に歩けるようになりたい。そして、向こうの奥まで行ってみたい」

「はい。仰せのままに」


 そう答える声は心なしかよそよそしい。


「ふたりともとても頼りになるよ。今日は楽しかった。ありがとう」

「お役に立てて光栄でした、シャーリン」

「姉さまもいろいろと堪能(たんのう)されたようで何よりです」


 タリアが口を開きかけたがエドナのほうがすばやかった。


「散策のことです」




 帰り道は存外に近く感じた。足取りもしっかりしてきたかな。

 階段まで来たところでタリアは立ち止まって横に動くと道をあけた。


「今度は手すりにつかまってください」

「わ、わかった」

「すぐ後ろにいますから安心してください」

「あ、ありがとう」


 一段ずつ慎重に上がる。ここでひっくり返ったら目も当てられない。だんだん手が汗ばんできたが、ゆっくりと足を運び何ごともなく三階にたどり着いた。

 両手に息を吹きかけ擦り合わせるとホッと吐息を漏らす。


 ようやく部屋に到着した。一目散にソファへ向かい倒れ込むと、しばらく目を閉じて何度も深呼吸する。

 とにかく最後までひとりで歩くことはできた。そこはでかしたと思う。

 しかしとことん疲れた。



***



「……姉さま、お姉さま……」


 ピクッとして目を開く。うっかり寝てしまったか。

 すぐそばにしゃがむエドナはいつもの服に戻っていた。


「湯浴みの準備ができています」

「ああ、そうだった」


 顔を上げると、目の前をタリアが通り過ぎた。

 ふたりとも袖なしの服を着ていることに気づく。


 ボーッとしていると、エドナがパッと手を差し出したので、こちらも反射的に伸ばす。さっと握られたかと思うと、ぐいっと引っ張り起こされた。

 力が抜け若干おぼつかない足取りで続き部屋に向かう。

 さらに湯浴み場に進み奥を(のぞ)けば、今日はお湯がなみなみと張られていた。

 そう、やはり湯処はこうでなくては。


「これはいいね」


 振り向くと、タリアが後ろに立っている。

 不意にふたりが何をするつもりなのかを悟る。




「今日は手伝いの必要はないからね」

「なりません」

「いや、ひとりで大丈夫」

「よろしいですか? 内庭まで誰の助けも借りずに自力で歩いていき帰ってきたのです。それなのに、ここの濡れた床で滑ったり、お湯の中に転げ落ちたりすれば元も子もありません」


 タリアの言葉が胸にチクッときた。やはり昼間のことを根に持っている。

 正論には違いないが、いくら何でもここでひっくり返ったりはしない……はず。

 エドナの手が伸びてきて有無を言わさず服を脱がされスカートも滑り落ちた。


「さあ、お姉さま、中へどうぞ」


 やさしく背中を押される。

 突如どうでもよくなった。促されるままに椅子に腰掛けふたりに身を委ねる。

 すぐにタリアが顔を上げた。


「誤解のないように申し上げておきますが」

「はい?」

「別に、あのこととは関係ありません。もし、何か勘ぐっていらっしゃるのでしたら」

「えっ?」

「お仕えする方の体調管理はわたしたちの重要な役目です。だから、こうやって毎日お体の状態を確認します。怪我(けが)や病気の兆候がないかと。あのようなことがあった場合は特に」

「それは知らなかった」




 タリアは右手で左の胸を少し持ち上げ、その下に反対側の手を押し当てた。


「ここは念入りに診ます。作用者にとって力髄はお命そのものですから。変調があればこのあたりにこわばりや腫れが現れます。だから、初動する前から常に観察を怠らないようにと教えられました」


 確かに力髄が止まれば死に至る、たとえ心臓が動いていても。


「もちろんシャーリンは子どもではありませんから違いますけれど。とにかく、違和感がないか、全身をくまなく診るようにしています」


 ああ、それで昨日も……。ようやく理解した。


「そんなに気を遣ってくれているとは思わなかった。医師とか看護の知識を学んだの?」

「心得程度には様々な教えを受けました」

「すごいね」

「仕事ですから」


 彼女たちにはいかなる隠し事も不可能。


「痛めたところはないと思うけど、どこでも好きなだけ調べて」

「かしこまりました」

「お姉さまは潔いです。さすがです」


 上目づかいで声の主を見る。


「ねえ、エドナ、タリアのこともちゃんと診てあげてよ。きっと腰に背中も痛めたはずだから」

「はい、後ほど湯浴みの折にでも」

「今日はふたりとも大変な目に遭わせてしまった。晩食の前に君たちも湯浴みをしなさい。いいね?」

「お優しいですね、お姉さまは。すてきです」

「わたしたちはね、もう深いきずなで結ばれている……勝手にそう思ってるから……」


 独り言のようにつぶやく。

 タリアはわたしのことを家族だと思ってくれているだろうか。淡々と手を動かす彼女の表情からはその心情をうかがい知れなかった。


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