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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第4章

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277 突っ走った先で得たもの

 今度はエドナが肩を貸しましょうと言ってくれたが遠慮した。

 ゆっくりでも何とか自力で廊下を歩き最も近い階段を目指す。見えてきた。外に出るには一階まで下りなければならない。

 この状態では、階段を下るのが一番の難関なのはわかっている。


 見下ろせば当初思っていたより段幅が狭くて傾斜がきつい。

 やはりタリアが進言したように緩やかな大階段に向かうべきだったかな。しかし、すぐ近くに内庭に続く裏階段があるのに遠くまで行く選択肢は考えられなかった。


 まずタリアが後ろ向きに下り始めた。

 彼女からの合図を受けて、いざという時にすぐにつかめるように手すりに触れながら、一歩ずつ慎重に足を降ろした。

 こちらを見上げる彼女の目に気遣いが浮かんでいる。


 二階までは何ごともなくたどり着いた。壁に寄りかかって一息つく。これなら大丈夫そうだ。もう一回りをゆっくり下る。

 先に一階に着いたタリアはホッとしたように向きを変えた。




 きわめて順調。あと数段。

 これは結構回復しているのではないかと自信を持ったその時、降ろした足がぐにゃりと曲がり体がふわっと浮いた。

 慌てて手を伸ばすがつかみ損ね、たたらを踏むと勢いよく宙を舞った。


 エドナの押し殺した叫びにタリアがくるりと振り返った時には、もう彼女に激突していた。かろうじて手は広げたタリアだったが、シャーリンを半ば抱きかかえたまま背中から床にたたきつけられた。


 エドナの声が聞こえた。


「シャーリンさま! お怪我(けが)はございませんか?」

「だ、大丈夫。ごめん、油断した」


 そう口にしたつもりが、くぐもった声は自分にも聞き取れない。




 顔を上げると、すぐ目の前にタリアの顔があり視線が合う。あまりの驚きに慌てて上体を起こそうとしたが、腕はぐにゃりと力が入らない。

 どうしてかと下を向けば、両手が柔らかいものを握っていた。一瞬頭が真っ白になりパッと手を離すと、勢いよく突っ伏し息ができなくなる。


 何をやっているのだ、わたしは。一刻も早くここから降りなければ。

 しかし、だらりとなった体は言うことをきかず気持ちばかりが焦ってしまう。とにかく顔の下に右手を入れて上体を浮かす。

 あきれた様子のタリアに目で謝る。何度もごめん。


 一瞬この情景に既視感を覚えた。いけない、変なことを考えている場合ではない。

 おなかを引っ込め反対の手を滑り込ませ、力任せに腕を伸ばす。しかめた顔から目を()らし支えを求めてまさぐれば、小刻みな震えが伝わってくる。これはまずい。


 一瞬ためらったものの、ここでやめるわけにはいかない。

 指を大きく広げ耳に届くものは聞かなかったことにする。両手に力を入れ思い切り突っ張れば、何とか持ち上がった体がくるりと回って滑り落ち仰向けに転がった。




 すぐに待ち構えていたかのようにエドナに抱き起こされたが、喉がゼイゼイと鳴り止まない。床にぺたんと座り力の抜けた体で彼女に寄りかかる。


「タリア、本当にすまない。怪我(けが)してない?」


 声をかけるが返事がない。両腕をだらりと床に広げ目は宙に向けられている。


 あらためて見れば、ずり上がった服はくしゃくしゃ。下敷きにしたあげくあちこち触りあらぬところをつかんだ。スカートもまくれ上がり、(あら)わになった腰から足がすらりと伸びている。ずれて緩んだ下衣はやけに短くスカートと同じ色使い。


 やはり内服ではなかったと納得したところで気づく。どこに手を突っ込んでしまったかを。とんでもないことをしでかした。


 急いで手を伸ばすが、むき出しの大腿に固定された銀色の棒を目にしてハタと止まる。ためらった一瞬でさっと上体を起こしたタリアの手がすばやく動き何も見えなくなった。


「本当にお怪我(けが)はありませんか?」

「ありがとう、エドナ、わたしは大丈夫。それより……」


 すでに立ち上がっていたものの服装を直す手が止まったままのタリアを見上げる。


「ごめん、怪我(けが)しなかった? 頭は大丈夫?」




 突然ピクッと体を震わせてからこちらをチラリと見下ろした彼女の頬が染まっている。

 華奢(きゃしゃ)だと思っていたタリアから受けた予想外の感触を探すが、姿勢を正した彼女の印象は以前と何も変わらない。


「平気です。慣れていますから。それに、わたしに責任があります。最後までちゃんと見ているべきでしたのに、大変申し訳ありません」


 頭を下げると外れたスタブが肩に垂れ下がった。

 それって、押し倒されることではないよね。


「タリアのおかげで怪我(けが)しなかった。謝る必要なんてこれっぽっちもない。悪いのはわたし。本当にごめん。少し……だいぶ、過信していた。これからはもっと慎重にするよ」

「お気になさらないでください。お役に立てて恐縮です」


 すごく……怒っている。当然だよね。これからは気をつけなければ。




「シャーリンはとても……お世話のやり甲斐があります」

「ううっ、すまない」


 あきれ果てているに違いない。

 それはそうとして、何ごとにも動じない彼女が羨ましい。


「もう大丈夫。タリアを診てあげて」

「あ、はい、失礼します」


 体を離しすばやく立ち上がったエドナは、急いでタリアに近寄る。


「頭はぶたなかった?」

「大丈夫」


 後ろに回って腰や背中を触る。


「ここ、痛くない?」

「平気よ、これくらい。ありがとう」


 タリアは頭に手を伸ばした。


「あたしがやります」


 エドナはタリアの乱れた髪をさらりと解いた。




「さすがです、リーシャ」

「……黙って見ていたわね」

「余計な手助けはシャーリンさまのためになりませんから」


 ため息ははっきりと聞こえた。


「それに、姉さまだって何もし……」

「わたしは……下になっていたのよ」


 微笑を浮かべたエドナがこちらに視線を送った。


凜々(りり)しいですから」

「エディ?」

「とてもすてきでした」

「怒るわよ」

「ずっと兄さまと離れ……」

「エドナ!」


 タリアには兄がいるのかと思い見上げれば、すっと背けた顔が紅潮している。

 そういえば、エドナのことを子どもだと思っていたが、完全に間違いだった。


「とにかく……動くこともできなかったのだわ」


 一瞬エドナの手が止まった。


「ええ、もちろんです」

「はあ……」

「はい、できました」

「あ、ありがとう」


 それにしても、仕事がないとこぼしていた割にはふたりとも何もかもが手慣れている。頼もしい限り。


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