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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第4章

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276 行動の自由を取り戻すには

 シャーリンは、ゆっくりと歩き回り足運びの感触をつかんでいる。

 しだいに動きが滑らかになってきた。

 居間は続き部屋だけでなく前室にもつながっている。寝室よりずっと広くて走り回ることもできなくはない。

 しばらく続けると、かなりよくなったと感じるようになった。これなら散歩くらいは問題ない。


 運動が終われば椅子に座って待つだけ。

 ただひとりじっとしているのは退屈極まりない。たまに鳥が舞うほかに変化のない風景を前にすればなおさら。日が高くなり冷気がゆるむのをじりじりと待つ。


 ようやく扉が開く音が聞こえたのでさっと頭を回したが、エドナが持つ服をちらっと見ただけで嫌な予感がした。

 着替えをさせられ全身を映す鏡が目の前に立てられた。


「ぴったりです、お姉さま、すてきです」


 確かにサイズはあつらえたように合っている。エドナの見立ては完璧。

 しかし、最初からわかってはいたが、これでは、運動どころか散歩にもならない。このような華美な内服があるとは思ってもみなかった。

 きっと何かの儀式にでも臨むときの衣装に違いない。


 淡い紫を基調とし下半身には黒に金色を差した幾何学模様が描かれている。細腰には帯が巻かれ後ろで結ばれていた。

 とてもきれいだが、丈が足元近くまであるし、これを着て走ることなど考えられないし、何よりあっという間に汚してしまいそうだ。


「ねえ、エドナ、わたしは体を動かしたいの。別に社交に出かけるわけじゃない。こんな服で走ったら足がもつれちゃうよ」

「こちらは内服ですけれど、内庭歩きにも相応(ふさわ)しいです。それに、正装ならもっと丈が長いですから」

「そうなの?」


 これ以上長くなったら地面に引きずるじゃない。




「お姉さまはお庭を散策されるのですよね? 走るのではなく」

「まあ、そうだけどね。とにかく、もっと普通のにしてもらえる? ほら、君たちが着てるみたいなの」

「こ、これは側事の仕事着、しかも館内用です」


 着替える前の服はまだ椅子に置かれたまま。


「内服でも構わないのなら、あれでいいんじゃないの?」


 指さしたほうにちらっと目を向けたエドナは断言した。


「あちらは庭歩きに相応(ふさわ)しくありません」

「うーん、それなら、習練服みたいなのはないの?」

「そう言われましても……。力軍(りきぐん)の方たちが着用するものをお望みなのでしょうか。困りました。ここにそのような服はあまり……」


 タリアの声が聞こえた。


「わたしたちが教練で使う服ならありますけれど」

「教練? そう、それがいい」


 すかさず答えるが、エドナがびっくりしたように振り返った。


「本当に教練用の服にするのですか? あれはとても……」

「ねえ、エドナ、シャーリンは一度こうと決めたら曲げる方ではないと思うの」


 タリアは諭すように言った。

 うん、うん、彼女もわかっているじゃないか。




「ごめんよ、エドナ。わがまま言って」

「いいえ。そこまでおっしゃるのでしたら、探して参ります」


 エドナに続いてタリアもすぐに戻ると言い部屋を出た。

 残されたシャーリンはもう一度鏡と向き合い、体を左右に回したり捻ったりしてみた。何度見ても、このような服を着た記憶が微塵(みじん)も涌いてこない。


 しばらくして亜麻色の服を手に戻ってきたエドナはかなり不満そうだった。

 それでも、テキパキと着替えを手伝ってくれた。


「うん、これでいい。サイズもぴったり。ありがとう」


 綿布の服には着慣れていると感じた。意外にしっかりした作りだが、上下に分かれていて手足は動かしやすい。なによりこの簡素さが性に合っている。

 もちろん丈は膝の下まである。それでも先ほどのと比べたら天と地ほどの開き。それに、履きものはまともなのを用意してくれた。


「では、こちらにおかけください」


 エドナは背後に回ると、髪に櫛を何度か通し手早く結び、さらに少したぐってくりっと捻ると明るい青の帯でくるくると巻いた。

 この帯はスタブというのだと説明を受けた。


 不安そうな声が聞こえる。


「服がおとなしいので強めにしました。お姉さまの髪に合っていると思いますがいかがでしょう?」


 両手を後ろに回し確認する。さすがに驚くほど手際がいいな。

 自分でやるよりずっときっちりまとまっている。これなら激しく動いても邪魔にならない。それにこの色は悪くない。


「すごくいいよ」


 そう答えると鏡越しに笑顔が見えた。

 このひらひらは余計だと思うけれど我慢しよう。




「それでは、少しお待ちください。支度をして参りますので」


 入れ代わりに現れたタリアをひと目見るなり驚いた。

 短丈の服は見るからに柔らかくて着心地がよさそう。キュッと締まった細腰がのぞき、わずかに広がりふわっと揺れるスカートは膝より短く軽やか。


 淡黄の上服に下が濃い赤褐色の組み合わせがよく似合う。

 地味な仕事着のときには気づかなかったが、凜とした彼女は品格があり所作も洗練されている。

 髪の色が自分と同じこともたったいま認識した。わたしは彼女の何を見ていたのだろう。


 このような動きやすい服こそ体を動かすには打って付けだと思う。あとでエドナに聞いてみよう。

 それにしても、これで内服とは……。ゆったりした上服はともかく、上品なスカートを目の当たりにすれば、これはやはり外服なのかなと思う。


 しかし、ただの庭とはいえ建物から少し外に出るだけで、側事までも着替えなければならないのか。




「すまない、タリア。面倒なことになっちゃって」

「わたしたちだけ不釣り合いな格好で大変申し訳ありません。館から出る際の決まりごとなのでご容赦ください」


 なぜか恐縮するタリアを見て慌ててしまう。


「いやいや、これはわたしのわがままだから。余計な気を遣わせてすまない。あー、今日は建物の中を歩き回ることにすればよかった」

「いいえ、シャーリン。いちいち気を回されることなくご希望は何でもおっしゃっていただいたほうがわたしたちも張り合いが出ます。それに、内庭とはいえ外気に当たれるのはうれしいです。あっ、これでは、まるで楽しんでいるみたいで不謹慎でした」

「いや、そういうふうに言ってくれるとこっちも気が楽になるよ。しかし、せっかく選んでもらった服を断って、エドナには悪いことをしてしまった」

「気になさる必要はありません。ここだけのお話ですが、彼女は久しぶりにこれを着られると(はしゃ)いでいましたから。それだけでもう十分です」

「ああ、それならよかった」


 ほどなくエドナが戻ってきて元気よく宣言した。


「それでは、出かけましょう」


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