272 仕事への期待
お茶の用意が終わると、再び立ったまま飲み終わるのを待っているようだった。
いやはや、ここの側事は大変そう。こんなふうにべったり張り付かずに、他の仕事をしたほうが効率がいいだろうに。
それとも、わたしが病人だから見張っているのだろうか。
ため息をつきカップを持ち上げたが、手が少し震えた。目の隅でタリアがピクッと動いた。慌ててもう一方の手を添えて口に近づける。
この子はこれを飲み終わるまでここから動きそうもない。しかし、お茶は思っていたより熱くて火傷しそうになった。
「シャーリンさま、食後のお茶はゆっくり飲まれたほうがよろしいかと……」
まじめな顔で言うタリアを見上げれば、好奇心に満ちた目が輝いている。またうっかりため息が漏れてしまう。
しつこくないさらっとした甘みがお茶の味を引き立たせる。
「これは飲みやすい。実においしい……」
食事の間に、エドナは窓を閉じ暖炉の火力を調節すると、戸棚の中を調べ始めた。
それが終わると別の扉をあけて入っていった。そこは続き部屋らしく、その先にも部屋がいくつかあるようだ。水の流れる音が聞こえたことからして、台所か、浴室か閑所、あるいはその全部に違いない。
お茶が終わると、テーブルが片付けられ再び横に寝かせられた。
「本日はこのままお休みくださいとのことです」
誰の指示かは明らかだし、いたって正しい。今日だけはゆっくり横にならせてもらおう。だからといってまたすぐに眠れるわけもない。
「あとで君たちに聞きたいことがあって。つまり、わたしは少し……だいぶ記憶がなくて……」
「はい、存じております」
タリアは横を向くと「エドナ」と口にした。
大きな声を出したわけでもないのに、すぐに奥の部屋から呼ばれた当人が現れた。
タリアが何かを指す仕草をすると、エドナは来る途中で椅子を二つ持ち上げ運んできた。それから確認するようにこちらを見た。
何を求められているのかわからないが、とりあえずうなずいてみる。
ベッドのそばに椅子が並べられ、ふたりは腰を降ろし背筋を伸ばして手を膝の上でそろえた。勘違いされたのは確かだった。
「いや、そんなにかしこまらなくてもいい……」
そう言ってもふたりが格好を崩すわけがないか。タリアもエドナも仕事はできるかもしれないけれど、妙に気合いが入りすぎている。こういうのは苦手かも。
「ふたりはイサベラの側事ということだけど、ほかの仕事があるだろうから、今でなくても構わない……」
「わたしたちはシャーリンさまの側事ですから問題ございません。何なりとお申しつけください」
「わたしの? そんなはずはない。わたしは突然現れた自分でも誰だかわからないやつだよ」
それとも、イサベラから何か聞いているのだろうか。
タリアはまじめな顔で続けた。
「実を申しますと、これには少々込み入った事情がございまして……」
エドナが慌てたようにタリアの袖を引いた。
「タリア、ここでシャーリンさまとおしゃべりをするのは……。また、ペイジに……」
タリアはエドナの手に自分の手を重ねた。
「あ、そうね……」
タリアの顔が少し陰った。慌てて口を挟む。
「ねえ、タリア、君の話を全部聞かせてもらえるかなー」
「そうおっしゃるのでしたら、はい、かしこまりました」
パッと顔を上げて笑顔で言うタリアを横目で見たエドナは、ため息をつくと手を離した。
「わたしたちには少し前まで仕事がなかったのです」
「えっ、どういうこと?」
「あっ、いきなり説明不足でした。つまり、わたしたちは紫側事なのです」
「紫側事?」
何のことかまるでわからない。
きょとんとしていると察したのかすぐに説明が始まった。
「紫側事というのは来たるべき御子の側事となる者のことです。昔は本当に紫のお仕着せだったそうです。つまり、イサベリータ王女に御子が誕生するまでは、単なる控えなのです」
「イサベリータ?」
「イサベラさまのことでございます」
「いま王女と言った? イサベラが?」
「はい、カムランのイサベリータさまは、第四皇女にしてイリマーンの王女です」
「……それで、君たちは王女の側事」
「紫側事です、シャーリンさま」
「つまり、そのいつ来るかわからない日をひたすら待っているの?」
信じられない。なんと気の長い話だ。
ふたりはそろって首を縦に動かしたが、タリアはすぐに続けた。
「長い間、側事というのは名ばかりでしたが、先日、皇妃さまがお越しになり、王女さまから皇妃さまの側事を拝命いたしました。そして、今般は、シャーリンさまの側事をも申しつけられ、今度こそお仕事をさせていただけるものと信じております」
あれ? わたしに残されている記憶によれば、イリマーン王の連れ合いは数年前に亡くなったのではなかったっけ。新しい伴侶を迎えたのかな。
「それで、その皇妃さまのお仕事はしなくていいの?」
どういうわけか、ふたりはそろって深いため息をついた。
「皇妃さまはひと月ほど前、ここに滞在されたのですが、わずか四日ほどでした。それに、数日前にいらっしゃった時には、お世話をする間もなく、すぐにまたどこかに行かれてしまって……」
俯いたエドナがそっと言う。
「あたしがおそばに居なかったのがいけなかったのです。これでは紫の衣をいただくことなどできないかも」
「そんなことはないわ。皇妃さまはとてもお忙しいのよ。王女さまもさほど気にされていないご様子でしたから」
話がどんどん逸れていくように思う。
「つまり、ふたりは紫の側事だけど、それまでは、えーと、皇妃さまの側事であり、皇妃さまが不在の間はここにいてくれる?」
「はい、そのとおりです。シャーリンさまは王女さまにとって大切な方とうかがっております」
やはり、イサベラはわたしの素性を知っているのだろうか……。
「君たちはここに住んでるの?」
変なことを尋ねたらしい。明らかに戸惑いが見えた。
「もちろんです。側事ですから」
「つまり、わたしたちは、イサベラも、同じ建屋で暮らしてる……」
「そうなります。呼び鈴を引いていただければいつでも直ちに参ります」
反射的に言葉が出る。
「共同生活……」
「え?」
「いや、気にしないで。それで、ここはどこ?」
「カムランの館です。イリマーンの国都ワン・チェトラの北にあります」
「ということは、イリマーンの国王もここにいるの?」
タリアが顔を曇らせた。
「それが、今どこにいらっしゃるのかわからないらしいのです」
「どういう意味?」
ずいぶん曖昧な言いようだ。
タリアはエドナと顔を見合わせ黙ってしまった。話題にしてはいけないことだったらしい。
少したってタリアはエドナとうなずき合うと再び話し始めた。
「実を申しますと、一昨日ここで襲撃騒ぎがありまして、その際の混乱で連絡が取れなくなりました。このことを王女さまが気にしていないように見受けられ、それがかえって不思議なのです。それに……」
またエドナの手がためらいがちに伸ばされた。
「タリア……」
「いいのよ、エドナ。わたしたち、今はシャーリンさまの側事です。きちんとお伝えすべきなの」
そう言うとタリアは声をひそめた。
「王女さまの伴侶になられるはずのカイルさまの手の者が、ディランさまを襲ったという噂が流れていまして、イサベラさまはそれを否定しようとされません。つまり……」
きな臭い説明を聞きながら、昨日のイサベラの様子を必死に思い出そうとしたが、思わずゴクンとつばを飲み込んだ。
「……自分の連れ合いが父親を排除しようとした。そういうこと?」
タリアはかすかにうなずいた。
うーん、記憶がないのがいまいましい。




