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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第4章

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271 知らない場所で

 これはしんどい。両手を膝に押し当て息をついた。

 地面を(にら)んでいることに気づきハッとする。顔を上げると急な坂がずっと先まで延びていた。

 振り返ればだらだら続く斜面の遥か下に箱庭のような町並みが広がり、一瞬その風景に吸い込まれそうになる。慌てて向きを変え山頂を見据えた。


 ここを登らなければ……。

 歩き始めたとたんに疑問が湧いてくる。どうしてあそこを目指しているのだろう。そういえば誰かを探していたような気もする。その人はこの先にいる?




 次に気づくと、こぢんまりとした部屋の中だった。

 どういうこと? ここがその場所?


 ほのかな灯りに包まれて座るのは四人。

 目の前で明るい笑い声を響かせる子が誰なのか、とんと思い出せない。あけ放たれた扉の向こうに寝室らしきものが見える。

 ここに住んでいるのだろうか。家族ではなさそうだ。

 ならば……共同生活……つながり……。


 頭に浮かんできた言葉に狼狽(ろうばい)を覚えると、ザワザワと音が聞こえてきた。

 この人たちは誰? この中に探し求める人がいる?

 その人の名前が思い出せない。誰もわたしのことを気にしていない。それどころか話しかけられもしない。


 何ひとつわからないまま時間だけが過ぎていく。いったい何をしているのだろう、わたしは……。

 しだいに耳障りな調べが大きくなってきた。




 何かきしむような音が聞こえ頬に風を感じた、室内なのに。

 ヒンヤリとした流れに体が震え頭がクラッとする。目を閉じて必死に(こら)える間に、ざわめきがスーッと後退していき静寂に包まれた。


 話し声が遠くに聞こえ始め、徐々にはっきりしてくる。

 えいやっと目を開くと今度は(まばゆ)い光に満ちていた。もはや不快な音もなく、白い壁が視界の大半を覆っている。少し記憶が戻ってきた。


 目の端を何かが横切っていった。ここは……寝室でわたしは仰向け。遠くで誰かがしゃべっている。

 そうすると、あれはただの夢なのか。息苦しかったし、いやにはっきりしていた。


 頭を回すと大きな窓が目に入った。眠る前はシェードが下ろされていたらしく、そこに窓があることに気づかなかった。今は大きくあけ放たれている。

 冷たい一吹きを顔に受け、無意識にいっぱい吸い込んだ。

 胸に冷気が行き渡るにつれて頭もすっきりしてくる。




 すぐに、スタスタと軽快な足音が近づいてきた。

 若い女の姿が視界に現れる。こちらを見下ろし、空色の瞳が(きら)めきくるりと動いた。

 ああ、これなら知っている。新しい玩具を見つけたときの逃すまいとする目つき。


「おはようございます、シャーリンさま。少しは眠れましたでしょうか?」


 この質問が正しいなら、十分に眠っていなかったという意味だ。

 そういえば、延々と嫌な夢を見たような気もするが、すでに忘却の彼方。

 毛布の下の腕を動かしてみたが異常に重い。

 起き上がろうとしたら、女の子の両手がパッと肩に伸びてきて優しく押し戻された。


「このままでお待ちください。お体を冷やしてはいけませんので」


 おとなしくベッドに背中をつけると、毛布が顎の下まで引っ張り上げられた。

 先ほどからもうひとり動き回っている気配がする。




「朝方かなり冷え込むようになりました。空気を入れ換えましたら窓は閉めます。そうすれば部屋も暖まります」


 彼女はひとつうなずいたが、そこでハッとしたように手を口元に当てた。


「申し遅れました。タリアです」


 深々とお辞儀をすれば、濃い飴色に近い金髪が頭の後ろでかっちりとまとめられているのが目に入る。ぐるぐると巻かれた黒い帯がハラハラと滑り落ち広がった。

 顔を上げたタリアは体を捻ると、もうひとりの女の子の背中に手を回した。


「こちらはエドナです」


 さっと腰を落として挨拶したエドナの亜麻色の髪が顔の両脇で跳ねた。タリアと同じような黒い帯がいくつも髪に編み込まれている。


「すぐに朝食(あさしょく)をご用意いたします」

「あのう、君たちは?」


 わずかの間があり答えが返ってきた。


側事(そくじ)です、シャーリンさま」

「どうして……」


 言いかけた時には、とっくにふたりとも向きを変え歩き出していた。




 シャーリンは言葉を飲み込むとあらためて見回した。

 扉の閉まる音が聞こえ再び静寂が戻る。部屋はむだに広くベッドにはまだ二、三人は横になれる余地があった。

 ほかにはテーブルにいくつかの椅子、壁にそって並ぶ戸棚だけ。


 窓と窓の間には大きな暖炉があり、驚くことに赤々と火が燃えていた。使われている暖炉を目にしただけで温もりを感じる。

 その真ん前に我が物顔で寝そべるリンを発見して何度も首を振る。


 側事だって? どういうことだろう。昨晩の、えーと、イサベラだ、彼女の側事という意味に違いない。彼女が面倒を見ると言ったのは、こういうことだったのか。


 それにしても、ここに来る前にどうしていたのか……。何か思い出さないかと少し頑張ったが、頭が痛くなっただけですぐに諦めた。わたしは……何なのだろう?



***



 開く扉の音を耳にし頭だけ起こす。ワゴンを押しながらタリアが入ってきた。続いて現れたエドナは、戸棚から羽織を取り出すと近づいてきた。


「失礼いたします、シャーリンさま」


 そう言いながら、毛布をめくって畳むと横にどけた。

 着ている内服が見慣れないものであることに気づき、袖に目を近づけてよく見る。光が当たると艶が感じられる薄い生地で、すべすべして気持ちいい。


 エドナの淡い緑色の目が気ぜわしく動き、腰の周りに手を這わせた。温かい指先がこそばゆい。何か調べているようだがよくわからない。足元に移動して裾を引っ張ったかと思うと満足そうにうなずいた。


 彼女の手を借りて体を起こし、羽織を着せられ背当てが置かれる。ようやく解放され背中をクッションに預けてフーッと息を吐いた。


「ありがとう」


 毛布がおなかまで戻されるのを黙って見守る。




 タリアが折りたたみ式のテーブルをベッドにセットし、朝食(あさしょく)がずらりと並んだ大きなお盆を置いた。その量に驚きただ見下ろしていると、少し首を傾げた彼女はお盆からスプーンを持ち上げた。

 何をするつもりか察したシャーリンは、慌てて彼女からスプーンを奪い取るとしっかり握り締めて見上げる。


 彼女はかすかなため息をつくとうなずいた。ほんの一瞬、がっかりした表情が垣間見えたような気がする。

 フッと息を吐くと、さっそく目の前の食事に集中する。

 タリアがまだそばに立っているのに気づき、手を止めて見上げる。


「お口に合いませんでしょうか?」

「おいしいよ。そうじゃなくて、ふたりは……」

「済ませました」


 即答したあと、こちらの手元をじっと見ている。

 いや、聞きたいのは……。小さく深呼吸して気を取り直す。


「監視されているようで食べづらいのだけど」

「どうぞお気になさらずに召し上がってください」


 そう言いながらも、その場を離れようとしない。




 諦めてため息をつくと食べることに集中した。結構な量の食事だったが、思いのほか空腹だったのに気づき、すべてがきれいにおなかに収まった。


「とてもおいしかった。もうこれ以上入らない」


 食事が終わるまでずっと立ったまま見ていたタリアは、満足したようにうなずくとお盆をワゴンに戻した。しゃがんで下の棚から茶器を取り出しお茶を()れ始める。


 まもなく小さなお盆にカップがのせられ目の前に置かれた。棚から大きな琥珀(こはく)色の瓶を持ち上げると、こちらを見て尋ねる。


「どのくらいになさいますか?」


 記憶にないが、知っているはずのものなの? イサベラはここがイリマーンだと言っていた。この国のことは知らないのかしら。


「それは何?」

「失礼いたしました。こちらはハチミツです。主に料理や菓子に使いますが、甘味としてお茶にもよく入れます」

「へえー。わからないけど適当にお願い」

「かしこまりました」


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