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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第3章

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269 突然の知らせ

 浴室できれいにしてもらったが、やたらお湯がしみる。


「本当にあねさまの言ったとおりなのですね」

「なにが?」

「姫さまは会うたびに傷が増えるから、よく注意したほうがいいって……」

「そんなことないわ。これは……」

「サイラスでしょ。エムにあんな(むご)いことをして、さらに、姫さまにもこんなにたくさんの傷をつけるなんて、許せません。本当に」

「……あのね、マリン。これは、自分でやったのよ。ちょっと金属の、ああ、板で切ったの」


 マリアンはこちらを見て何度も首を横に振った。

 ああ、信じていないわね、その顔は。反論するのは諦めてため息を漏らす。


 ゆっくりと浴槽に体を沈める。ピリピリとした痛みが広がったがしばらく我慢すると慣れてくる。

 いくらもしないうちにマリアンに引っ張り出され、薬を塗られる。


「姫さま、ここは、ああ……すっかり元どおりになりましたね」


 新しい服を着せてもらいながら確認する。

 いつの間に変化したのだろう。あそこではまだ時伸の影響から抜け出していなかったのかしら。

 それとも、あの()たちとつながり、最後の力を分け与えたためだろうか。


「本当だわ。これは……お役目を終えたということかしら」


 マリアンが同意するように首を動かす。


「でも、楚々(そそ)としてとても気品があります」

「ねえ、マリン、あなた、お世辞が上手ね」

「お世辞じゃありません。それに、あたしは姫さまの側事になれて幸せです」


 真っ直ぐに向ける目を覗き込みため息を吐く。


「そうね、これからもあなたを頼りにしているわ」


 なぜか、冷気に包まれた固まりが胸に広がってくる。あそこで失ったものはあまりに大きく、もう二度と戻らないのはわかっている。

 すぐに温かい流れが湧き上がり寒気は後退したものの、氷が溶けてぽっかり生まれた空洞がそのまま残されたように感じ震えが走った。


 どういうわけか、ほかの人に服を着せてもらうのが習慣になってしまった。このようなことではだめだわ。とにかく少し体を動かそう。

 湯浴みのあとはマリアンに別の部屋に連れていかれる。


「姫さまのお部屋はこちらだそうです。すぐに朝食(あさしょく)を運んできますから」

「ありがとう、マリン。ごめんなさいね、何から何までしてもらって」

「これがあたしの仕事ですから」


 食事後は久しぶりにぐっすりと眠れた。



***



 目をあけるとこちらをじっと見るチャックと視線があう。

 起き上がろうとしたら彼はゆっくりと首を横に振った。おとなしく体を戻す。


「カレン、君は……本当にすごい人だな」

「いつからそこに?」

「ネリアが言っていた。君がいなかったらエムは助からなかっただろうって」

「わたしは何もしていませんけど」

「君がエムの命をつなぎ止めた」

「それは、彼女自身の生き抜こうとする力のおかげです」

「彼女にその生きる力を与えたのが君だよ。おれにはわかる……」

「だから、それは違うと……」


 チャックは何度も首を振った。


「あの日、出会った瞬間から君には()かれるものがあった」


 急に何を言い出すの?


「君の姿のことじゃない。そりゃ君は魅力的だし婉容(えんよう)だ。だがそういうことじゃない。その眼の奥底に感じられる強い意志に引き寄せられる。たぶん、おれは、君に()れているんだろうな。でもそうさせるのは君のほうかもしれない」


 無意識に手が伸びてチャックの手首に触れる。指先に意識が向かい何かを感じ取ろうと震えた。


「ねえ、チャック、あなたのレイナさんが……」

「ああ、もちろんおれはレイナを愛している、今でも。でも、それとは違うんだ。何と言えばいいのかな。君のことが知りたい。そして君の思いを理解したい。いや、君のすぐそばに居たいという欲求かな。自分でもよくわからん」


 チャックが手をくるりと回してカレンの手を握る。じんわりと温もりが伝わってくる。


「あなたは……おいくつですか?」

「えっ? ああ、すまん、おれは……三十二だ」

「じゃあ、年下ね……」

「えっ?」


 目の前の人とつながる自分の手を見つめた。

 かすかに揺れるような流れが視えたような気がする。そのようなことは絶対にないはずなのに。

 顔を上げてわずかに金が混じる淡い褐色の髪を眺める。


「あなたの言葉を聞いて悟りました。この未知なる感情はなんだろうと。でもいま納得しました。実は、わたしもあなたのことが気になっていたことを。あの日から。もう一度お会いしたいと願っていました。その気持ちがわたしたちをグウェンタに向かわせたのかもしれません」


 チャックの手を引っ張って力髄の真上に置く。覗き込む眼は髪と同じ色。

 視線を合わせて瞳の奥底にあるはずのものを読み取ろうとする。

 何かを探し求めるうねりが高まり胸が熱くなる。ふわふわと軽くどこまでも広がるこの想い。

 ああ、これがそうなのか。尋ねたとしてもわからなかったあの時の応えを今なら理解できそうな気がする。


「あなたにわたしの全てをさらけ出したい。ここがあなたを求めている。そしてわたしも、あなたのことが知りたい、あなたの一切を。いずれ忘れてしまうとしても……。こんなわたしですが……聞いてもいいですか?」

「あ、ああ、もちろん。おれも同じだ。うん、ずっとそう思っていた」

「あなたのレイナさんのことも聞かせてください。そして、あなたのイジーのことも……」



***



 翌朝、寝覚めると目の前にシアが座っているのを発見する。


「今日はまともそうだ」

「ええ、調子は上々よ」


 そう言ったものの、まだぼんやり感が抜けない。

 シアはうなずいた。

 カレンは頭の後ろに両手を回して顔を起こした。


「それで、ほかの人たちは元気にしている?」

「シャーリンには会っていない。ペトラはローエンにいるんだけど……」


 それを聞くなり背中にゾクッと寒気が走った。

 ガバッと体を起こすと、シアが弾かれたように飛び上がった。

 天井まで舞い上がったシアが目の前に戻ってきたところでやっと言葉が出る。


「ど、どうして? ハルマンにいるのじゃないの?」

「ローエン。ペトラは作用力を存分に使って……」

「力を使う? それって、破壊じゃないわよね。……治療を行なっているというの?」


 シアは首を縦に動かした。




 自然と声が大きくなってしまう。


「つまり、ペトラたちは誰かと……そうか、ローエンの人たちと衝突したというのね?」


 シアはまたうなずいた。


「どうして?」


 問い詰めたものの、それっきりシアは黙ったままだった。

 しょうがない。イオナに聞いてみなくては。


 すぐにベッドから滑り出ると、チャックを探しに行く。

 廊下を急いで歩いていると角を曲がってきたマリアンとぶつかりそうになった。


「おはようございます。ちょうどお呼び……」

「ねえ、マリン、チャックかイジーがどこにいるか知っている?」

「あ、はい。おふたりともあちらの食事室にいらっしゃいます。カレンさまの食事も……」


 手を振って別れると向きを変えて食事室に向かい、部屋に入るなりふたりのそばに駆け寄る。


「おはようございます。通信室をお借りできますか?」


 メイジーがカレンの後ろに現れたマリアンを見てから口にした。


「何かあった?」

「それを確かめるために、ハルマンのアデルと話をしたいのです」


 すぐに立ち上がったメイジーが入り口に向かいながら言う。


「こっちよ」

「あねさまを呼んできます」


 マリアンはそう言い残して走り去った。




 アデルにつながりイオナを呼んでもらった時には、ジェンナが隣に立っていた。

 現れたイオナは開口一番に言った。


「ああ、カレン、どうしたの?」

「どうしたの、じゃありません。何があったのですか、ローエンで」


 イオナの顔色が変わったのを見逃さなかった。やっぱり……。

 イオナは口を閉じたままこちらを凝視していた。


「その髪……」


 ああ、すっかり忘れていた……。


「髪の話はあとで。それより、状況を教えてください」

「ああ、そうだった。そっちにも情報が伝わっているのか?」

「イオナ……わたしの連れも関係していますよね?」

「うっ、そこまで知っているのなら話すしかないか。ああ……つまりだ、エルナンの人たちが蜂起してトランと戦を始めて、それで、ザナたちが何とかしに向かったのだけど、あまり戦況がよくないらしい」

「いったいどうしてそんなことに? わたしのせいではないですよね?」

「いや、たぶんね。確かに、シャーリンとエメラインがいなくなったのはあるけど、それはこの件と関係ないの。ずっとインペカールに属していたザナがこちらに現れたことがきっかけかもしれない」

「それで、ローエンでは今どうなっているのですか?」

「こちらでは断片的にしか状況がわからないんだけど……」


 イオナが話してくれた情報から判明したことはあまりにも少ない。


 挙兵したエルナンの部隊が派遣した空艇団がほぼ壊滅した。それを知ったザナがローエンに向かった。なぜか、ほかの全員がザナに付いていった……。


 無理もないわね。ただハルマンで待っているだけの皆にはすることもないし、それに、ペトラが自分の尊敬する師匠をひとり行かせるわけがない……。




 気がつくとジェンナが話していた。


「エルナンが空艇を失ったのはどうしてですか?」

「たぶんエストーを出してきたのよ」

「エストー?」

「もともとは、インペカールの開発した対トランサー用の庇車(ひしゃ)。作用者が必要ない。それが、攻撃兵器に転用されて……」


 カレンはさっとジェンナを見ると、彼女もうなずいた。


「イオナさま、その攻撃用のエストーというのは三連結車に搭載されたものですか?」

「ジン、どうしてそれを……」

「あたしたち、見ました。トランのヴィラで」

「えっ、そうなの?」

「はい」




「それで、エルナンの人たちはどうなっているのですか?」

「情報が正しければ、おそらく撤退中だと思う。エルナン軍は上陸した川港に向かっているらしい」

「それはどこですか?」


 イオナは首を横に振った。


「そこまでは……」

「知っていますよね。教えてください」

「でも、ザナが……」

「ザナはわたしのケタリシャです。確か、イオナ、あなたもでしたよね。お願い」


 イオナはため息をついた。


「フェルンよ」

「わかりました。わたしもそこに……」

「だめよ、カレン。出発する前にザナに言われたわ。あなたをローエンに行かせるなと。彼らは川までたどり着けば船で脱出できる、たぶん。だから、それまで……」

「イオナ、ありがとう。また連絡しますね」


 カレンはジェンナに目で合図した。


「カレン……」


 イオナの言葉は途中で切れた。

 通信を終了させたジェンナは大きなため息をついた。


「これでもう、アデルに顔を出せない……」

「大丈夫よ、ジン。イオナはきっとわかってくれるわ」

「そうだといいですけど。……とにかく、すぐに出発の準備をします」

「チャックと話してくる。輸送艇を出してもらえるか聞いてみないと……」

「あれを持っていくつもりですか?」

「きっと必要になると思うの。運んでもらえそうだったら、向こうで運転をお願いできる?」

「当然です。それに、カレンさまが出かけている間に、エムに言われていた調査をしました。動かし方についても……」



***



 グウェンタの輸送艇はとても大きかった。外洋に出る船のようだ。

 確かにこれならあのような輸送車など簡単に収まってしまう。


 今さらながら、メイジーが準家の当主ではないとしても、イリマーンでそれなりの力を維持し、大勢の人たちを従える立場にあることを知った。


 初めて会ったときに、彼女がチャックとふたりだけで輸送車を動かしていたのはいったい何だったのだろう。

 特別なものでも運んでいたのかしら。それともやはり、メイジーにしかできない仕事があったのだろうか。


「本当にグウェンタの衛事たちを同行させなくていいのか?」

「ええ、大丈夫です。第一、散々お世話になっているのに、これ以上迷惑はかけられません」


 腰に両手を当てたメイジーが言う。


「気にする必要は全然ないの。それに、カレンはイリマーンの皇女なんだよ。王女の母親なんだよ。望めばいくらでも兵は集められる。あたしなら……」

「だめよ、イジー。わたしは戦争をしに行くのではない。それに、この船を動かしてもらう、それだけでもすごく感謝しています」




「あのね、あたしたちはカレンのことが好きでやっているんだから。カレンが同境(どうきょう)だからじゃないよ。……でも、本当は一緒に行きたかったな」

「おふたりにはもっと大事なことをお願いしていますから」

「うん、エムのことはまかせておいて」

「はい。よろしくお願いします」

「大丈夫。カレンが戻ってくるまでにはきっと元気になっているよ」

「はい。そうだとうれしいです」

「ああ……道中、気をつけて。戦地に行くのだから、むちゃしたらだめだからね……お母さん」

「イジー……」


 荷物を運んで戻ってきたジェンナとマリアンの声が後ろから聞こえた。


「ご安心ください、イジー。あなたのお母さんはあたしたちがお守りしますから」

「そうです。これ以上、姫さまを危険にさらしたりはしませんから」


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