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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第3章

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262 遅くなったせい

 すっかり遅くなってしまった。

 なかなか来ないとあきれているかもしれない。

 急ぎ足で大通りに出たが、もう暗くなっていることもあり、歩いている人は少ない。交差点を折れていつもの場所に向かう。


 誰も見ていないのを確認してから、おなかにそっと手を当てた。つい先ほど授かったばかりの二つの命を何度も確かめてしまう。最初からふたり。双子になるのではないとの確信が驚きに変わる。いや、こういうのも双子には違いない。


 カレンは静かな道に入りあたりを見回す。パメラはまだ来ていなかった。とっくに待っていると思っていたのに。少しぶらぶらするが現れる気配がない。

 ああ、もしかしてわたしを試している? よし、わかったわ。今日こそは……。


 感知の手を伸ばしゆっくりと広げる。人通りこそないが、周りの建物では大勢の人たちが活動している。

 パメラの遮へいはとても優れている。今まで習練所で見てきたたいていの作用者より格段に扱いが上手。さて、どこにいるのかしら? 


 なかなか発見できない。しだいに胸騒ぎがしてくる。




 ようやく見つけた位置はさらに奥まったところだった。どうしてこんな方向に……。

 感知した場所に向かって急いで歩く。あまりはっきりしない。なんだろう、このモヤモヤする感じは。


 意識を集中していると、突然レセシグが消えた。その瞬間パメラのそばに別の人がいるのを感じる。しかもエンシグを使っていた。強制者と一緒。慌てて走り出す。


 あっという間にたどり着いた場所には大きな建物があった。頑丈だが古い作りの倉庫。あたりは薄暗く、近くにほかの人の気配はない。


 扉は開きっぱなしになっていた。急いで中に入り後ろ手に閉める。とにかくパメラのいるところに向かって全力で走り、さらに別の扉を通り抜ければ、信じられない光景が目に飛び込んできた。


 床にパメラが横たわりその上に男がいた。


「パム!」


 思わず叫んだが、パッとこちらを向いた男の顔を見て血の気が引く。

 目は真っ赤に膨れ上がり、よだれをたらす口からこの世のものとは思えぬ叫びがほとばしった。

 小さな悲鳴が聞こえて我に返ると、男に向かって突進した。




 あたりに服が散らばっている。

 つかみかかってきた手をかいくぐって勢いにまかせて体当たりすれば、あっけなく男は倒れて転がった。

 急いでパメラを抱き起こすが、彼女の顔は血の気がなく嗚咽(おえつ)だけが漏れている。


 視界の隅に男が立ち上がり向かってくるのが映った。まるで気が狂ったかのように意味不明な言葉を叫びながら飛びかかってくる。

 パメラを後ろに突き飛ばす。


「逃げて!」


 最初の一撃は難なくかわし、男の腹部を思い切り蹴り上げる。しかし、目の前の男は何も感じなかったかのように、そのままつかみかかってきた。

 さっと飛び退いたが、散乱した服に足を取られ滑ったのを自覚した時には倒れていた。背中と頭を床に打ちつけ一瞬気が遠くなる。


 次の瞬間には、男の血走った目を見上げる羽目になった。強制力のうねりに襲われるが難なくはじき返す。身動きできないこの状態では、ジャシグをかけても逃れられるかどうか……。




 躊躇(ちゅうちょ)した一瞬で、男の両手が動きボタンが飛び散った。再び伸びてくる手を払いのけようとしたが、逆に首元をぐいぐいと締めつけられ息が止まりそうになる。

 パメラの叫び声が遠のき音を失い、意識が薄れるのを感じた。

 

 首を押さえていた手が外れたのを感じたあと、再び強制力の波に襲われた。頭の中でドクドクと波打つ音が膨れ上がり全身が熱くなる。その間に、何かが裂けるような音に続き、一瞬だけ光を目にした。すごい力。


 男の腕を抱え込んで引っ張るパメラが見えたが、腕の一振りで飛ばされる。

 膝を突き上げ全力で抵抗する。男に感知をねじ込めば、すぐ近くに()えたものにぞっとする。

 得体の知れないものがまとわりついていた。毒素の塊のように見えるが、なんだろう? それに全身の神経が燃えさかる炎のように熱くなっている。


 知性を失い衝動のままに動く獣さながら。そうさせる何かを摂取したのだろうか。それが行き場をなくして集まりここで膨れ上がっている。

 今までこのようなものを目の当たりにしたことはないが、よく視ればまるでひとつの生き物みたい。


 男の首に手を回し引き()がそうとしたパメラは、いとも簡単に床にたたきつけられ、動かなくなった。




「パム!」


 ものすごい怒りが膨れ上がる。

 この人は防御を持っていない。だから手など使えなくても、この人を簡単に吹き飛ばすことはできる。消滅させるのも造作ない。

 ちょっと力を行使するだけ……。たちまち作用が立ち上がってくる。


 しかし……そうしてはならないとの思いが力を押し(とど)めた。

 もしも、この人が誰かに何か毒のようなものを盛られたのだとしたら、もしそうなら、この人は自分の意志で今やっていることを始めたわけではない。


 いや、いや、まだ子どもなのに、この人はあのようなことをした。パメラを恐怖に落とし込んだ。あそこで見つけなかったら彼女はもう……。それだけでも、この人に対して力を振るう十分な理由になる。


 そう考えたとたんに、再び、胸の内に力が首をもたげてくる。

 それでも、たとえそうでも、誰であろうと人の命を軽々しく奪うのはだめ。今度は簡単に作用を抑え込む。




 もう一度よく視る。あの毒物を取り除けば正気に戻るかしら。しかしどうやって?

 あそこに触れることが可能なら、何とかできるかもしれないけれど、腕が押さえつけられている。それに、手が自由になったとして、この人が黙って触らせてくれるとは思えない。


 一つだけ思いついた方法があった。あの得体の知れないものを引き出すことができるかもしれない。


 ……ばかだわ、わたしは、本当に……。

 遅刻して、パメラに、一生心に残るだろう絶望のどん底を体験させた挙げ句に、どこの誰かもわからない狂人に力を貸そうとしている。

 また、ランに叱られるわね、きっと。それでも……。




 カレンは抵抗をやめた。さあ、早く。わたしの腕が折れる前に。

 一瞬、男が静かになり理性が戻ったのかと期待したのもつかの間、すぐに(うな)り声が高まる。


 激痛に涙がほとばしり、歯を食いしばって悲鳴が漏れるのを(こら)える。

 目を()らさずに男の中の異物に意識を集中し、こちらに引きずり込もうとした。だが、そう頑張らなくても、その塊はここぞとばかりにどんどんこちらに入ってくる。

 痛みに気が遠くなりながらも、取り込まれた得体の知れないものと必死に格闘する。


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