260 助けなければ
目を開くと小さな部屋の中にいた。
ここから見える細長い窓の外は薄暗い。体を起こそうとして気がつく。手が後ろで縛られていた。見下ろせば自分にもあのプレートが装着されている。
部屋の中を見回したカレンは、エメラインが床に転がっているのを発見した。
何とか立ち上がり、彼女のそばに行き膝をつく。
手の縛めは解かれていた。頭を下げて彼女に近づける。大丈夫、まだ生きている。近くで見れば彼女の全身には無数の火傷の痕があり、どれもただれて醜く変色していた。
そうでないところも赤く腫れ、顔は傷だらけ、薄汚れた髪は絡み合い先は縮れてパサパサに広がっている。皮膚に深く食い込んだプレートはゆがんで黒い血の塊に覆われていた。唯一残っている下衣は黒ずんで今にも崩れ落ちそうだ。
あまりの惨状に喉が詰まり息苦しくなる。絶望で体が震え声なき嗚咽が何度も溢れた。
手の縛めを解こうと頑張るができない。どうしてわたしにはほかの力がないの?
後ろ向きになり、手を彼女の体に当てる。今できるのは彼女に力を注ぐことしかなかった。一気に力を流す。
いきなり胸が焼け付くような激痛に襲われ、のけぞった体が跳ね上がるのを感じた。
次の瞬間には、自由のきかない腕と肩を床に激しく打ち付ける。しびれる痛みと血なまぐさい臭いに気絶しそうになるが、仰向けになり手を握りしめて必死に堪えた。
知らずに悲鳴が漏れていた。ああ、力を与えることも許されない……。
突然かすかな声がした。
「カレン……」
寝たままで頭だけを傾ける。
「エム、エム、ごめんなさい。こんな酷いことになって。わたしのせいで、あなたがこんな惨い仕打ちを……」
彼女を連れてくるんじゃなかった。ひとりで来るべきだった。わたしがまともなケタリなら、このようなことには決してならなかった。取り返しのつかないことをしてしまった……。
あえぐような声が耳に届いた。
「カレン……わたしの手を取って……」
「えっ?」
「その縛めを……」
何度も首を横に振る。
「力を使えば自分を傷つけるだけよ」
「直接触ればできます……」
「だめよ、これ以上力を使ったら、そんなことをしたら死んでしまうわ」
「大丈夫、ほんの少しだから。さあ、早く後ろを向いて……」
言われるままに体をずらして横にすると、縛られた手首を彼女の手に近づける。
うめき声が聞こえたあと、パシッという音とともに手が自由になる。
すぐに体を起こしエメラインのそばに膝をつき、彼女の背中に手を回した。その体は燃え立つ業火のように熱い。
「カレンさまも……」
エメラインの手が力なく上がりプレートをつかむ。バキッという音とともに大きな火花が散り、彼女の顔が苦痛にゆがむ。
「だめ、エム。もうこんなことしないで」
「はい」
つぶやくような声を聞き、だらりとなった体をそっと横たえる。
亀裂の入ったプレートを力いっぱい引っ張る。肌にプレートの裂け目が食い込み血がにじみ出てきた。
割れ目が広がるようにと厚みのある真ん中をつかんで何度も捻ると、別のところからも血が吹き出てきた。かまわず渾身の力を込めて曲げると、突然プレートがパキンと割れて床に落ちた。
ばらばらになったプレートを拾い上げ調べてから、エメラインの体を何とかうつ伏せにする。すぐに締め込み用のネジを発見しくるくる回して緩める。
突然、バシッというすごい音とともにネジと金具が吹っ飛び、プレートが二つに割れたかと思うと、あちこちから血が滲んできた。しばらく格闘しようやく忌まわしい装具を外すことができた。
エメラインの胸は腫れて膨れ上がり、膿んで変色した火傷の痕に覆われている。思わず目をそむけてしまう。
腹部には無数の雷傷と思しきもの、胸の周囲と脇の下にはいくつもの大きな傷があり、乾いた血がべっとりとついている。
触ってみればすでに傷は塞がっているようだ。問題は、胸は元より手足にまで広がる酷い雷傷と熱傷だ。早く手当てをしないと命にかかわる。
すでに多くの血を失い、体液も大量になくなっている。
視れば力髄も極限まで疲弊している。とりあえずエメラインの手を握り力を注ぐ。精分を送り込み力髄の回復を助け、その間に必死に考える。
この全身の傷を何とかしないと。わたしに医術が使えれば……。どうして役に立たない感知だけなの? 部屋を見回す。
立ち上がって扉を確かめに行くがもちろん鍵がかかっていた。服もないからここから出られたとしてもどこにも行けない。
そうだ。エメラインは生成持ち。しかも医術が使える。あそこで同調したから、彼女が眠っていても大丈夫のはず……。
急いで彼女のそばに座る。自分で自分を治療することはできないけれど、わたしを通してならたぶん……。彼女の手首を握り、もう一方の手のひらを盛り上がったただれにあてがう。
ペトラはどうやっていたっけ。あの時、わたしの中の破壊と雷傷を治療してくれた。それに、もっと前のこと、フィオナを助けたときのやり方を思い出すのよ。
痛みと熱を抑えるには破壊作用がないと無理。壊死した細胞や水疱を無害化、転換するのも不可能だ。
生成でできることは……造血、傷の化膿を防ぐ、それに一番大事な修復細胞の増殖。それなら彼女の力を借りれば可能なはず……。
エメラインの力髄に精分と精気を注ぎ、彼女の精媒を制御して作用を引き出す。いったん自分に取り込み、反対の手から自分の作用として使えるようにする。
ペトラが手当てをしていたときと同じようにやるのよ、カレン。慎重にね。これ以上余計な痛みを与えるわけにはいかない。
しばらくするとエメラインの口が動くのが見え、屈んで耳を近づける。
「……ありがとう。もう十分……」
「何を言っているの? エムとつながることができたから、あなたの力を借りて何とかする。だから、もう少しだけ頑張って」
「わたしの……お母さんに」
そうしゃべったあと苦しそうな息が漏れる。
「話してはだめ」
「……死んでも……」
顔を上げて何度も首を横に振る。
「だめよ。あなたは死んだりしない」
「お母さんに……お願い……」
懇願するエメラインの、緑の瞳がこちらに向けられると、薄暗い灯りを映して赤く光った。
「エム……。もう、わかったから。あなたの気持ちはわかったから」
口元が緩み何か言いたそうにしたが声が出ないようだった。
「あなたを絶対に死なせるものですか。わたしが母親なら必ずあなたを助けるわ」
エメラインは何度か咳をしてまた苦痛の表情を浮かべた。
「痛くて辛くて苦しいけど、しばらく辛抱して。お願いよ」
気を失ったのか眠ってしまったのかエメラインからは反応がない。
それから長い間、生成作用を使って頑張ったが、いつまでたってもよくなる気配が視えてこない。火傷の場所、数が多すぎるわ。
ペトラだってあそこだけなのにずいぶんと時間をかけていた。急いてはだめ。急激に行うと体が本来持っている回復機能のバランスを崩すと言っていたことを思い出す。
ゆっくり、時間をかけて。
ずいぶんと時が流れたと思ったころ、ピクリとエメラインの体が動いた。その目がわずかに開き辛そうな息が漏れる。
「お母さん……」
「ああ、エム、エム……」
涙がどっと溢れてエメラインの体を濡らした。
そっと彼女を起こし、かがみ込んでしっかりと抱きかかえる。
「苦しい……」
「ああ、ごめんなさい」
慌てて手を緩めると乾いたささやき声が聞こえた。
「ずっと……癒やしを感じ……」
「これはエムの力なのよ。でも、あなたのようにうまく使えない」
エメラインはかすかに頭を振った。
「お母さん、これで十分……」
声を出したあと何度か苦しそうに咳き込んだ。
「しーっ。もうしゃべっちゃだめ。あなたを助ける……。娘を絶対に死なせるものですか……」
その顔には、一瞬だけ安心したような笑みが浮かんだものの、すぐに目を閉じた。
気がつけば再び眠りに落ち、力の抜けた体を床に下ろした。
***
「カレン」
弱々しい声にハッと目覚める。膝の上からこちらを見上げる目は幾分しっかりしていた。
「エム……ごめんね、わたしにちゃんと医術が使えれば……」
「もう大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないわ。こんな大火傷。早く医術者に診てもらわないといけないのだけど、わたしたち、ここから出られそうもないの」
エメラインが体を起こそうとしたので、手伝って背中を抱きかかえる。
「ここは……小さい部屋……物置でしょうか」
「そうみたい。何もないの、役に立ちそうなものは」
「とにかく、作用だけは使えそうです」
「だめよ、エム、これ以上無理しないで。あなたは重傷なのよ」
気がつけば窓の外は薄明るくなっていた。
突然、近くに人の気配を感じる。エメラインの耳に口を寄せる。
「誰か外にいる」
エメラインは重傷者とは思えないすばやさで起き上がると、部屋の中を見回した。それから、扉の近くに移動するのを唖然として見つめる。どこから、そんな力が出るの?
エメラインが扉の前の床を指さした。えっ? ああ、わかったわ。
そろりそろりと移動して扉のほうを向いて座る。
鍵が動く音がして扉が内側にゆっくりと開いた。入ってきた男とまともに目が合ってしまう。男が息を吸い込むのが見えたと思ったら、エメラインが男の足を払い背中をつかんで床にたたきつけた。
何か黒いものが飛び散るのが視界に映った。
さっと振り返ったエメラインが、もうひとりと向き合い手を上げたところでピタッと動かなくなる。
ゆっくりと部屋に入ってきて後ろ手に扉を閉めた女性は、突っ立ったままのエメラインの全身に目を走らせた。
それから、ばかみたいに座り込んでいるわたしをじっと見たあと思い切り顔をしかめた。
「イジー……」
エメラインが崩れるように倒れ、メイジーがさっと抱きかかえる。
気を失ったエメラインを床に寝かせたメイジーは口を開きかけたが、何も言わずに何度も首を振った。
エメラインを見る彼女の目はうつろだった。
しばらくしてつぶやくような声が聞こえた。
「誰がこんな残酷なことを……」
「サイラス……」
メイジーからは何の反応もない。
「ねえ、イジー。ちゃんとした手当てができないの。早くここから出て医術者に診せないと……」
ゆっくりとメイジーの目に生気が戻ってきた。
「こん畜生……トランのサイラス」
膝をついたまま顔を上げてこちらに向けた目がしだいにしっかりとしてくる。
「おのれ、畜生めが……。絶対に許さない……」
怒りにブルブルと震えるメイジーを見てこくんとうなずく。
メイジーは何度も息を吸ったり吐いたりしていたが、ようやく落ち着いたのかぺたりと座った。両手でエメラインの顔にかかった髪をかき分けながらささやく。
「エムはすごいよ。こんな状態であいつを打ち倒してしまうんだから……。でも、必要なかったんだよ……あたしがいたんだからさ」
わたしがもっと早く気づいていれば……。自分もほとんど力を使い果たしていることがわかっていた。間違ってもここで自分まで気を失うわけにはいかない。
「ねえ、どうしてここに?」
「そりゃ、夜中を過ぎても帰ってこないし、何の連絡もないから心配になったに決まってるでしょ」
「ごめんなさい。その……」
「カレン、話はあとで。まずは何か着るものを探してこないと。素っ裸じゃあここから出ることもできない」
エメラインを見下ろして続ける。
「本当は毛布にでもくるんで担架で運びたいけど、それはとても無理。……できるだけ大きい内服を探してくる」
「うん、お願い」
「カレンのその傷も酷い……」
そう言われてあらためて見下ろす。胸が真っ赤に腫れており、あちこちに大きな切り傷があった。どれも出血は止まっているし、今はただズキズキと痛いだけだ。
「大丈夫よ。これくらい何ともないわ」
メイジーは眉間にしわを寄せたが、それ以上何も言わなかった。
「まずこいつを何とかしよう。あたしがいない間にやっかいごとを起こさないように」
メイジーは男の体を探って鍵を取り出すと、部屋を見回した。
「こいつを縛るものが必要だな」
そう言いながらこちらをじっと見る。
「ああ、これ?」
スタブを外して渡す。それからスカートを脱いで腰周りの帯を抜き取った。
「ありがと。あたしがいない間にこいつが目を覚ましたら、その板で思い切りぶん殴ってやりな」
「あ……はい」
「じゃあ、すぐ戻るから」




