259 一度だけの贈り物
カレンはサイラスに向かって叫んだ。
「サイラス! やるから。すぐやるから、この手を自由にして!」
「よかろう」
押さえつけられていた腕が使えるようになると、カレンは椅子から滑り降りて床に座り込む。膝で前に進み、両手を伸ばして子どもたちの手を握る。
「いっぺんにやるのか?」
顔を上げてサイラスを睨みつける。前はひとりずつ試みたの?
「黙っていて。邪魔しないで!」
それから、娘たちに意識を集中する。どうすればいい?
たぶんこの前ここでやったような方法はすでにヴィラで試したはずだ。それ以外に何ができる?
全力を注げばいいのだろうか。この子たちはそれに応えてくれるかしら。それまで耐えられるだろうか。やってみるしかない。また強制力を受けたらエメラインが殺されかねない。
自分の力をふたりの娘に注ぎ、彼女たちの力髄めがけて突き進む。
えっ? 何これ? ほとんど活性化していない。
この前は気がつかなかったのかしら。まったく記憶がない。
きっと前回は操り人形のように、ただ目の前の男が命じるままに力覚しようとしたに違いない。
目をあけてサイラスを見上げる。
「この子たち、まだ完全に活性化していない。きっと初動すらしていない」
「ん? この前はそんなことを言っていなかったぞ」
「それは、あなたがわたしの意志を奪ったからでしょ。あなたにはわかりっこない……」
「なら、活性化しろ」
「それには、時間がかかるわ」
「あいつの命はそれまで持たないぞ」
「活性して初動しないと力覚は無理よ。それくらい知っているでしょ」
強制力を感じたときには、絶叫が聞こえた。
また焼けつくような臭い煙が部屋に充満する。
もだえ苦しむエメラインからスカートの残骸が剥がれ落ちた。そのあと意識を失ったのかもう身動きしない。このままだと本当に彼女を死なせてしまう。
全身が凍り付き、体がガタガタ震えて止まらない。涙がにじみ溢れてくる。
「口答えするな。少しだけ時間をやる。あんたはケタリだ。活性を加速できるはずだ。この前そうしたと思っていたがな」
加速、加速。どうすれば……。とにかくやってみなければ。
もう一度、娘たちの中に入り込む。精華がほとんど形成されていないことに気づく。まるで何もない原野のよう。なら……作るまでだ。
加速……。マヤはどうやっていたっけ? あの時はわたしも手助けした。記憶を探すのよ、カレン。思い出して。
うめき声が聞こえ顔を上げる。
失神していたと思ったのに、今は体をよじってあえいでいる。変色した髪が垂れ下がり顔は見えなかった。真っ黒に焼け焦げた下衣の残骸がかろうじて張り付いている。
だらんとなった痛ましい姿を前にしても、もう涙が出てこない。
マヤの力髄に刺激を与え、こちらの力を取り込み、力髄に吸い上げ、そして手から出した。
作用を巡回させれば成長する。両手を使ったほうが効率はいい。
しかしふたりいっぺんには無理。ひとりずつにすべきだろうか。
そうだ。目をあけ娘たちを見る。彼女たちのもう一方の腕を持ち上げておなかに乗せて反対側に持ってくる。下側の手を伸ばすがまったく届かない。
振り返って後ろに控える男たちを見上げる。
「台を近づけて。この手が届くように」
誰も動かない。
顔を戻しサイラスを睨みつける。
口を開く前に、彼が手を振った。すぐに背後の男たちが動き出し二つの台を動かした。
カレンはふたりの手を近づけお互いの手首を握らせた。ふたりの手にわずかに力が入るのがわかる。彼女たちはお互いの状況を理解しているのだろうか。
これで作用をふたりに巡らせられるはず。
もう一度目を閉じ集中する。中に入りあっという間に力髄に到達する。そこに力を注ぎ刺激を与える。浮かび上がってきた彼女たちの力を引き出し体を巡らせる。
手を通して作用を回し、自分の精華を視て同じ姿を娘たちの中に成長させる。
さあ、育って、早く。あなたたちの歳に相応しい精華になるのよ。
さらに力を注ぎ込む。どんどん力髄に刺激を与える。
まだ足りない。子どもたちの中に樹形が作られていくのは見える。
しかし、これでは遅すぎる。またいつサイラスが力を振るうかわからない。
頑張って、わたしの娘たち。
わたしがこの子たちを胸に抱いた記憶がおぼろげに残っているのに気づく。夢だと思っていた光景を今なら少しだけ思い出すことができた。
ほんのわずかの、満たされた時間。もう二度と戻ってはこない。
突然、娘たちの承氏が浮かび上がってくる。テーバ。
思い返しても、これまでほかの作用者の氏が視えた記憶は見当たらない。どうしてかしら。
苦痛に満ちた声が聞こえる。もう少し待って。あと少し。死なないで……。
激しい憤りと絶望の悲しみが胸の中に渦巻きどんどん膨れ上がる。その溢れる感情を力とともに子どもたちに流し込む。
力覚が終われば、サイラスは彼女たちを連れていくだろう。ローエンなのかそれともインペカールか、どこにしても、二度と娘たちに会うことはできない。
涸れたと思っていた涙がまたこぼれ落ちるのを感じる。
ごめんね。未だ字も知らぬ娘たち。こんな仕打ちをして。この子たちの記憶はまだまっさらだ。ちょうどロイスに来たばかりの自分と同じ。
わたしに今できるのは、わたしと同じ精華を贈り、自立できる力を与えること。
わたしが自分の中に存在していた精華を頼りに、短時間で経験を重ね再び生きていく術を学んだように。
彼女たちが、テーバではなくアリエンの力を強く受け継ぐように、互いの作用を交じらせること。ただそれだけ。
気づいたときにはお互いを写し取ったようなきれいな精華が形作られていた。これは……わたしとほとんど同じもの。そして、かすかな呼びかけを感じた。
薄目をあけて確認する。サイラスはじっと座ったまま子どもたちを見ていた。あれから力を行使していない。今は後ろにいるギルと何ごとか話している。感知者にはきっとここで何が起きているか視えているに違いない。それでも……。
娘たちの求めに応えるため、同調力を一気に展開する。最後の力を目いっぱい注ぎ込む。
耳ではかすかなうめき声を捉えた。
お願い、もう少しだけ待って。絶対に死なせたりはしない。
さらに力を強める。胸がどんどん熱くなってきた。
ざわめきが聞こえるが、ひたすら娘たちに集中する。体が燃えるような感覚を受ける。目を閉じていても強い光が見えた。
しかし、どうしても突破できない障壁が立ちはだかっていた。
娘たちが完全には受け入れてくれないのを感じる。
ここから先に進むためには、娘たちが未だ持たぬ力名を与えられなければならないことを知る。普通は初動の時に贈られる。
しかし、彼女たちに力名を授けてくれるはずの権威ある者がここにはいない。
そのことに気づいた瞬間、ケイトの声が聞こえたような気がする。そして、どうしなければならないかを悟った。
このわたしが自分で、彼女たちに与えるしか道は残されていない。
それならば……わたしたちに由来する諱を贈ろう。彼女もそう望んでいるような気がした。
姉のほうは、ランレイア・テーバ・アリエン、そして、妹には、レンシオニア・テーバ・アリエン。
ふたりの精華に順に触れて、正しい力名を刻み込む。
次の瞬間、はっきりと視えた。娘たちの精華が一瞬大きく広がったのを。そして、樹形に透き通った花が一斉に開いたのを。わたしのすべてを受け入れてくれたのを。
ありがとう。そうささやくと、すぐに樹形は元の姿に戻った。
すでに、力髄は力強く活動し、彼女たちからも溢れんばかりの力を感じる。
ちゃんと自分で制御できているかしら。そっと力を巡らせ確認する。
目を開く。もはや腕には力が入らなく、手が緩みだらんと床に落ちる。とことん疲れ果てた。
サイラスが何か叫んでいるのが聞こえたが、もう何も考えられなかった。しだいに周囲の喧噪が消えていく。
気を失いつつあるのを悟った時には、すべてがまったりと動き、やがて記憶がぷつりと途絶えた。




