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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第3章

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252 側事と衛事

 あっという間に先頭車にたどり着いた。

 マリアンはカレンを降ろすと、車の扉をあけてすばやくよじ上る。体が中に消えたかと思うと、すぐにエンジンが動作する低い音が聞こえた。

 マリアンの顔が現れ飛び降りてくると、カレンは立ち上がった。


 座席のあるところを見上げる。とても高い。手を伸ばしてつかまって体を引き上げようと頑張るがまったく持ち上がらない。

 マリアンが足を抱えて下からぐいーっと押し上げてくれ、ようやく座席に手が届いた。渾身(こんしん)の力を振り絞って座席の下に転がり込む。


 すぐに現れたマリアンが椅子に引っ張り上げてくれた。ゼイゼイと息をつく。

 彼女は即座に車を動かし始めた。


「重い……」


 マリアンが手を下に入れて何かを操作するのが見えた。




 ようやく動き出した時には、ジェンナが現れよじ上ってきた。ステップに立ったまま土まみれの汚れたスカートを何度もパンパンとたたいた。


「せっかくのお仕着せがもうだいなしだわ」


 のろのろと進む連結車はなかなか速度が上がらない。ジェンナは扉をあけたまま身を乗り出して後ろを監視していた。


 突然、進路がぐいっと変わった。体が大きく揺さぶられ、けたたましい音が響きわたった。

 すぐに、ガクンガクンと段階的に速度が上がりやがてまっすぐに走り出す。

 ジェンナはやおら扉を閉めると座席に寄りかかって息をついた。


「後ろは大丈夫よ、何とか間に合ったわね」


 両手を頭の後ろにやり崩れた髪を結び直している彼女の横顔を眺める。


「……ふたりともすごいわね。いったい何なの、あなたたち?」


 ジェンナは髪を一振りするとこちらを向いて笑みを浮かべた。


「あたしたちはカレンさまの、ただの側事(そくじ)ですけど」


 頭を何度も振る。これはもう側事のすることではないでしょ。

 側事というのはね、タリアやエドナのような子のことよ。




 突然、ものすごい音とともに車が急制動した。体が前に飛び出し、窓にぶつからないように手をつく。外に誰か見えたと思ったら視界から消える。

 車が完全に止まると倒れる前にジェンナが体を引っ張り上げてくれた。


 もう一度、窓から見下ろすと人影が横に回ったのがわかった。

 ジェンナが険しい顔で扉を開く。


「待って、ジン。あれはエメラインよ。でも、何で……」


 ジェンナのほうに体を寄せて開いた扉から見下ろす。


「エム! どうしてこんなところに?」

「カレンさまのお知り合いですか?」

「ええ、そうよ」

「なら、早く乗ってもらってください。急がないと後ろが心配です」

「エム、上がってきて」

「カレンさまはここから後ろの席に移ってください。そっちのほうが広くて楽です。マリン、お願い」


 うなずいたマリアンは真ん中の座席を倒して、カレンが後ろの席に移動するのを助ける。

 何とか後部席に這って進み、腰を落ち着けるとフーッと息をつく。

 ジェンナが席を移動し、空いた場所にエメラインが乗り込んだ時には車が走り出していた。今度はすぐに速度が上がり安定する。




 エメラインが背もたれから顔を(のぞ)かせた。

 怖い顔だわ。叱られるのかしら。


「カレン、これはいったいどういうことですか? そのすごい服はどうしたのです? ハルマンに戻らないのですか? その髪はどうなっているのですか? それにこの方たちは?」

「ああ、エム、そんなに次々と聞かれても。順番に説明するから。まず、このふたりはイオナのところの側事(そくじ)で、ジェンナとマリアン。ジェンナはわたしの内事(ないじ)なの。それでね、エメラインはわたしの衛事よ」


 エメラインとジェンナはお互いを品定めするようにしばし見つめ合った。


「あ、ああ、ねえ、まずエムがここにいるわけを教えて。ハルマンまで追いかけてきたのはわかるけど、どうしてローエンに来たの?」

「それは、シャーリンがその……」

「はあ。期限が過ぎるまで待てなかったのね」

「まあ、そうです。シャーリンが様子を見に行くというので、しかたなくわたしも付いて来たわけです」

「どうやって?」

「ムリンガでローエンまで運んでもらいました」




「それで、シャーリンはどうしたの?」

「あの館に来ませんでしたか?」

「いいえ、何も感じなかったから、あそこには現れなかったわ。……たぶん」


 実際にはほんの数時間前まで眠っていたのだから、たとえ来たとしても気がつかない……。


「近くで上陸したあと、シャーリンはヴィラの館を遠くから偵察するだけだと言って出かけたんです」

「ひとりで?」

「はい」


 エメラインはこくんとうなずいたが、すぐに思い出したように付け加えた。


「ああ、リンも一緒でした……」

「リン? 何でリンと……ミアと一緒じゃないの?」

「ああ、ロメルの人たちはムリンガに残ったので、ミアはリンも船に残したんです。アデルの館に連れていくわけにはいかないからと」

「ああ、そうね」

「シャーリンが出ていくと、急にリンが走り出して飛びついたんですよ。びっくりしました。あれは……気まぐれでしょうか」


 まあ、ねこのことだから……。


「それでは、どこに行ったのかしら……」

「館の近くにいないとすると、もう戻ったのかもしれません」




 少し考え込んだエメラインは続けた。


「わたしは反対側に行き遠くから館の車寄せが見渡せる場所で待機していました。そうしたら、カレンがこっちに向かってくるのが見えて」

「それで、飛び出したわけ? もう少しでひかれるところだったじゃない」

「大丈夫ですよ。そんなへまはしませんから」

「それにしても、シャーリンはどうして待てなかったのかしら……」

「すみません」

「まあ、大丈夫でしょ。シャーリンはわたしと違ってしっかりしているから……」

「それは言えていますね。たぶん船に戻ったのだと思います。すぐに帰ってくると約束しましたから」

「うーん、約束ねえ……」

「やはり……」

「大丈夫よ。もし何かあったらたぶんわかるから……」


 突然、睡魔が襲ってきた。とても疲れた。




「ああ、確かにそうですね」

「ノアは無事に着いた?」

「はい、アデルの館で、病室に入れられ看病されています。イオナの話では、まあ大丈夫らしいです」

「よかった。それで、みんなはどうしているの?」

「ほかの人たちはイオナの言うことをちゃんと聞いて、アデルの館でおとなしく待っていますよ。あそこはすばらしいところですね。特に浴室は本当にすてきです」

「ああ、やっぱり……」

「それで、どうしてこんな連結車に乗っているのです? 後ろに何か積んでいるのですか? どこに向かっているのです?」


 これ以上我慢できなかった。座席に横になると、あきれた顔のエメラインを見上げる。


「ごめんなさい、エム。わたし、今とても眠くって。ねえ、ジン、代わりにエムに話してくれる?」

「あのう、カレンさま?」

「エムは全部知っているから……。ああ、ふたりとも仲よくしてね……」


 あっという間に眠ってしまう。



***



 ガタンという震動で目が覚める。

 すぐにまた体が揺さぶられた。道がよくないらしい。

 手をついて体を起こす。少しは動けるようになってきた。何とか普通に座ることもできた。


 見れば、エメラインが運転席に陣取り、隣でマリアンがまるくなって眠っていた。ジェンナも扉に寄りかかるようにして寝ていた。

 エメラインがちょっと振り向いて微笑んだ。座席の背に手をかけ腕に顎を乗せると、しばらく前方の景色を眺めていた。しだいに明るくなってくる。


 森を抜けると周りの景色は一変した。見渡す限りの原野。突然エメラインが前方を指さした。目を凝らせば何か見える。町かしら。


 しばらく走ると、それが本当に小さな町であることが判明し、近づくとエメラインは速度を落とした。

 町中を進み前方にこぢんまりとした店が見えてくると、さらにゆっくりと進み店の真ん前に停車した。


 目を覚ましたジェンナとマリアンが体を起こす。

 エメラインは扉を開きながら振り返った。


「食料と飲み物を買ってきます」

「あたしも行きます」


 エメラインは首を横に振った。


「だめ。ジン、あなたたちの格好はここではすごく目立つから。動いちゃだめよ。いい?」


 おとなしく席に座り直したジェンナはうなずいた。




 しばらくしてつぶやく。


「国境は越えたのかしら」


 マリアンが振り向いた。


「はい。びっくりするくらいすんなりと通過できました」

「あ、そう。ここはどこかしら?」

「すみません。初めての道なのであたしにも見当がつきません」

「そうだったわね。まあ、方向が合っていればいつか着くでしょ。北には向かっているわよね?」


 ジェンナの後ろの窓から太陽が見えないかと探すが曇っていてはっきりしない。

 キョロキョロしているとジェンナが突然ころころと笑い声を上げた。


「えっ?」

「失礼ですけど、カレンさまは……そのう……とてもかわいらしいです」

「あのね、ジン……」


 マリアンがしみじみとした声を出した。


「姫さまともなればいかなる時も決して慌てないものです」




「ねえ、マリン、あなたも変わっているわ。とてもね。ジンと一緒だわ」

「ジンはあたしのあねさまですから」

「どうして、ジンのことをあねさまと呼ぶの?」

「それは……あねさまはあたしの命の恩人だから……。あたしを助けてくれたんです」

「マリン! 余計なことは言わなくていいの」

「本当のことだから。姫さまもご覧になったでしょ。あねさまの戦いぶり」

「ええ、あれはすごかったわ」

「本当はもっとすごいんですよ。体調が万全なら……」

「マリン、黙りなさい」


 見ればジェンナは真っ赤になっていた。


「はーい」


 このふたりはきっと信頼と固いきずなで結ばれているのだわ。本当の姉妹にもまさること。




 エメラインが大きな袋を手に戻ってきた。


「一度郊外に出てから休憩しましょう。この車、ここでは目立ちすぎです。みんながじろじろ見ています」


 しばらく車を走らせると、分岐点が見えてきた。道幅が広がったところで端によって停車する。

 すぐに食べ物と飲み物が手渡された。続いて白いタオルも渡される。

 膝の上にタオルを広げ、密封された食べ物を開く。おなかがぐうと音を立てた。


「そうそう、地図があったので買ってきました」


 受け取ったマリアンはさっそく膝の上に広げた。後ろから(のぞ)き込む。


「今はここです」


 エメラインが指した場所は、ローエンの北の国境を抜けた少し先だった。道を辿(たど)って目を動かす。


「ワン・チェトラはまだまだ遠いわね」

「今までは山道でしたけど、ここからは平地で道もいいでしょうからもっと速く進めます」




 マリアンは指を当てていたが、静かに言った。


「それでも、今日中にはとても無理ね。早くて明日の昼過ぎかしらね」

「そんなものでしょう」

「カレンさま、食事が終わったら、外に出て少し足を動かしましょうか」

「はい。わたしも早く歩けるようにならないと……」


 少し動くだけでたちまち足が重くなる。それでも、ジェンナの肩につかまりながら足を一所懸命に動かした。

 エメラインがこちらにやって来るのが見えたので、これ幸いと座り込んで待つ。


「カレン、ちょっと見てもらいたいものがあるのですが」

「何か問題でも?」

「実際に見てもらったほうがいいと思うので……」


 しかたがない。よいしょと立ち上がるがふらついて倒れそうになる。慌ててジェンナの手につかまり、思わず苦笑いが出てしまう。

 エメラインがジェンナの顔を見てうなずいたと思ったら、次の瞬間にはジェンナの腕の中にいた。そのまま、真ん中の車両の後ろ側まで運ばれる。

 扉は開いていてエメラインに続いて中に入る。


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