248 どうしちゃったの
ぼんやりとしていた視界がしだいに明瞭になってくる。
白く見えているのは……たぶん天井。ここはどこかしら。
長い長い夢からようやく覚めたような気がする。
ものすごい倦怠感を覚える。ただの夢なのにぐったりして何もする気が起きなかった。
体を動かそうとしたが、まるで言うことをきかない。
かすかな物音が聞こえた。頭を傾ければ椅子に座っているふたりが見える。こちらに背中を向けているが、どちらも男のようだ。
だんだん記憶が戻ってきた。
トランのヴィラに行って……ノアを帰してもらい、あの部屋に戻り……それから……。
これは同じ部屋かしら。またもや気を失ったのだろうか。
そこで突然思い出す、薬を打たれたことを。あれは睡眠薬だったのかしら。
体を捻ると手をついて起き上がろうとしたが、まったく力が入らず諦めて仰向けの体勢に戻る。ベッドがギシッと鳴った。
ゆっくりと振り返ったふたりの顔に見覚えはない。誰だろう、この人たち。
「おい、気がついたらしい。……知らせたほうがいいか?」
「寝ている間は邪魔するなと言われているし、まだ時間じゃないぞ」
「じゃあ、ギルさまに報告するか」
「確か、午後はいないはずだ……」
「なら、ちょいと下に行って様子を見てくる」
ひとりが立ち上がって扉に向かうのが見えた。差し金を動かすキーッという音が耳障りだ。
扉が内側に動いたと思ったら、一気に全開になる。ゴキッというすごい音とともに男がのけぞった。
視界の隅に、誰かが部屋に飛び込んできて男の足を払いざまドンと押し倒すのが映った。そのまま、椅子から立ち上がったもうひとりのふところに突っ込み、腕をつかんだかと思うと後ろに回り込む。
次の瞬間には背中からたたきつけられた男が床に転がっていた。
「マリン、閉めて」
そう命じたジェンナは、両手と膝を床に付けて何度か深呼吸をした。
扉の近くに突っ立っていたマリアンは扉をさっと閉じて差し金をかけた。
「これはきついわ。体が思うように動かない」
「ずっと寝ていたのですから、あまり無理しないでください」
ジェンナは立ち上がると床に伸びた男のところに歩み寄り、転がっていた銃を拾い上げる。かすかな発射音が二度聞こえピクンと震える。
「……あのう、お取り込み中に悪いけど、いったいどうなっているの?」
もう一度起き上がろうとしたがどうにも力が入らない。
近寄ってくるマリアンをただ見上げる。
「姫さま。よかった、ご無事で……」
「無事じゃないことになっていたの?」
マリアンは振り返ってジェンナと目を合わせた。それからベッドのそばにストンと腰を落とす。少しの間、手の甲を目に当て押さえていたかと思うと、一気に言葉が溢れ出た。
「姫さまはこの部屋に入ったきり出てこないし、あねさまはどこに行ったのかいくら探しても見つからないし、あたし、どうしていいかわからなくて……」
見ればこちらに向けた真夏の朝焼け色が潤んでいる。
いつもの温かく溌剌とした瞳から気強さが失われ、この地にひとりでいかに心細かったのかを悟った。
……それでも、言うべきことは言わなければ。
「……ねえ、マリン、あなたはノアと帰ったはずだけど」
「はい、船まで一緒に行き、ノアさまが出発するのを見届けました。姫さまの伝言も艇長にちゃんと伝えました」
「一緒に行くように言ったと思うけど」
マリアンは何度も首を振った。
「担架に乗せられたノアさまについて船まで行き一緒に乗り込みました。でも、でも……」
顔を伏せたマリアンの声が小さくなる。
「あたしはカレンさまの側事です。ひとりで帰るわけには……」
しょんぼりと肩を落としたマリアンを見てため息が漏れる。
「……わかったわ。それじゃあ、起きるのを手伝って。体に力が入らなくて」
マリアンに助けてもらい何とかベッドの上に座らせてもらう。
どこからかロープを見つけてきたジェンナが言う。
「マリン、ちょっと手伝って」
ふたりは男たちを縛り上げて隣の部屋に引きずっていき放り込み扉をピシャッと閉めた。
戻ってきたマリアンは少し元気を取り戻したようだった。
部屋を見回しあきれかえったような声を出す。
「それにしても酷い部屋。掃除もしてないようだし、ベッドはぐしゃぐしゃ。姫さまの服も汚れているし。どうなっているのかしら」
こちらを見て続ける。
「それに髪もすごいありさまです。こんなぼさぼさのまま束ねて二つ結びにするなんて何を考えているのでしょう。……あのう、湯浴みをなさったのはいつですか?」
「えっ? うーん、とりあえず記憶にはないけど」
「ああーっ、あんまりです。あの人たち、ちゃんとお世話すると言ったのに」
あたりを見回しベッドの上も眺める。確かに乱雑ね。
「まずは、体をきれいにしましょう。ここに浴室はありますか?」
「えっ、ええ、向こうに。ここに来たときに見たわ。ちゃんとした厨房もあるのよ」
続き部屋に向かったマリアンの怒った声が聞こえた。
「何これ、きたない部屋。いったいどうなっているの。それに、この浴室はもう……」
戻ってきたマリアンは威勢よく宣言した。
「まず浴室を掃除します。湯浴みができるように」
「それじゃあ、あたしはその厨房のほうを……」
腰を浮かしたジェンナの肩を押さえたマリアンは首を横に動かした。
「だめです。あねさまは姫さまとお話でもしていてください。しばらく休まないと。無理してはいけません」
また床に座り込んだジェンナはマリアンを見上げて苦笑いした。
「じゃあ、お願い」
マリアンがいなくなるとすぐにジェンナは立ち上がり、カレンが足をベッドから降ろすのを手伝った。
「足が重いわ」
思うように動かない。いったいどうなっているの?
「確かに酷い格好ね。まずこの頭を何とかしないと。あまりよく覚えていなくて」
「湯浴みをしてすっきりすれば思い出します」
ベッドに手をついて立ち上がろうとしたが、腰を浮かしたとたんによろけた。ベッドからズリッと滑り落ちて後頭部を床に打ちつけてしまう。手をこちらに伸ばしたまま驚愕の表情を浮かべているジェンナを見上げ、思わず笑ってしまう。
「わたし、どうしちゃったのかしら。変ね」
なぜかしきりに謝るジェンナに抱き起こされベッドの上に寝かされる。たったこれだけのことにぐったりとなる。
足を調べるジェンナの顔に驚きが見えたのは気のせいだろうか。
彼女がこちらをじっと見下ろしているのに気づき視線を下げる。あら……。
もう一度顔を上げればジェンナと目が合ってしまう。
「拝見してもよろしいですか?」
カレンはこくんとうなずいた。
ジェンナはベッドの縁に腰を降ろし、こちらを向いて両手を伸ばしてきた。
紐に指をかけスルスルと解き、打ち合わせを広げるのを黙って見守る。
すっかり治っている。痛みもない。きれいにはなっているけれど……これはおかしい。
突然、心臓がドキドキと大きな音を立て始めた。
「ジン、ジン、……何日目?」
「……マリンが言うには、ここに来てから……今日で九日です」
予想はしていたのに、背筋に冷たいものが走りブルッと震えた。
本当は何日たったの?
ジェンナは考えるように頭を傾げていたが、急に手を頭の横に伸ばしてくると、縛られている髪をほどき始めた。
まっすぐにされた髪はおなかまで届いていた。切ってもらう前より長い。またもや体に震えが走る。




