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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第3章

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247 夢の中で

「ここがトラン・ヴィラ……寂しいところね」


 カレンはつぶやいた。

 少し離れた高台に二階建ての大きな館がある。あそこが目的地に違いないが見渡す限りでは他に何もない。

 同じようにぐるりと見回していたマリアンが言う。


「あそこ以外に建物はありませんね」


 すぐそばに詰め所とみられる小さな小屋だけがポツンと建っている。

 そこから現れた数人の兵士が近づいてきた。


「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」


 少なくとも到着することは伝わっていたようだ。

 向こうの館には作用者が何人かいる。ごく一部に強い遮へいが感じられたが、どうしてだろう。

 あそこでカイルが待っているはず。ノアの所在がここからではよくわからない。




 建物に入り廊下を進む間に探りを入れる。ここまで来ればかなりはっきりする。

 それでもノアの居場所は不明のまま。眠っているから近くないと無理かしら。それに、カイルらしきものも感じない。まだ来ていないようだ。


 案内された部屋に入ると二人の男が待ち構えていたが、もちろんどちらもカイルではない。

 遮へいを張っているのが後ろの男であることがわかる。陰陽だ。しかも手前の男だけを遮へいしているように感じる。こんなことができるとは知らなかった。


 振り向いた手前の男の顔を見て考える。ほとんど黒に近い銀髪、引き込まれるような濃い琥珀(こはく)色の瞳。この顔に見覚えがあった。どこだったかしら。

 相手はこちらをじっと見たまま黙って立っている。


 ああ、そうだ。カムランから外出した日だ。

 あの時ホールに集まっていた護衛たちの中にいた。……ローエンのケタリシャ。


 しかも、この人の力は強制だ。遮へいから漏れてくるもう一つの力にギクリとする。自分にもようやく見分けられるようになった第五作用。ジャシグとジャセシグの両方を感じる。思わず何度も確かめる。


 三つもちを目の前にするのは初めてだった。

 そうなら、この男はたぶん力覚者ということになる。

 自然と身構える。まだ強制力はこないが、この人の力に対抗できるか自信がなくなってきた。




「どうやら、思い出したようだな」


 あの時はこのふたりの力にまったく気がつかなかった。わたしの失敗。外出することで浮かれていたからだわ。

 このふたりはあそこにいたけれど、そのあと、外出中や食事のときには見覚えがない。あの場所でだけだった。


「あなたはケタリなの?」


 男はかすかに首を横に振った。それでも、わたしが今までに出会った作用者で最強の力の所持者。


「サイラスだ。あれはあんたを間近で()るまたとない機会だった。ケタリシャという立場はきわめて便利だよ」

「じゃあ、あなたがノアをさらったの? カイルはどこ?」

「カイル? ……ああ、そういうことか。まあ、そこに座りたまえ」


 ためらっているとサイラスは続けた。


「あんたに強制力は使わんよ。言うとおりにしてくれれば。それに、あんたには対抗力があるはずだから、従わせるのは骨が折れるだろう。おれの知る限りでは、あんたにそうする必要もない」


 しかたなく椅子に腰を降ろす。

 まるであれが最初ではないような口ぶりだ。あの前にもこの人に会ったことがあるのかしら。そうだとしたらいつ、どこで……まったく思い出せない。


 それでも、確かにこの人からは不思議と何か強く引きつけられるものを感じた。

 そんなことはあり得ないと否定してはみたものの、たちまち自信がなくなってきた。




「それにしても、ハルマンの皇女としてやって来るとは、アデルの姫もなかなかやるじゃないか。ますます気に入ったぞ。なあ、ギル」

「ノアはどこです?」

「そう()いてくれるな。彼はここにいる。体調も問題ない」


 少しだけホッとする。しかしまだだ。


「言われたとおりにここまで来ました。ノアを返してください」

「心配するな。約束は守る」

「何のためにこんなことをしたんですか?」

「いずれわかる」

「わたしに何を求めているのです?」

「あんたはおれの賓客だ。言うとおりにしてくれれば、危害を加える気はないし、ちゃんとハルマンに帰っていただく。しばらくの間ここに滞在してもらうだけだ。そうだな、おそらく十日かもう少し」

「それだけ? それだけのためにノアをさらったのですか?」

「まあ、頼んでもあんたは来てくれなかっただろうからな」

「何をさせるのです?」

「あんたから力を分けてもらうだけだ。それが終われば帰れる」


 力を分ける?

 同調力を何かに使おうというのかしら。何のことだろう。


「わたしが目的なら最初からそう言えばいいのです」

「来てくれと頼んでも拒まれるだけだ」


 知らず唇をかむ。断言されれば反論しようがない。


「さて、あんたの部屋を用意してある。まず、そのご大層な服は着替えたほうがいい。汚れる前に」


 サイラスは壁際で控えていた男を呼び何か指示を与えた。

 その男が入り口に進み扉をあけると振り返った。


「お部屋にご案内します」




 服はすでに用意されていた。ジェンナとマリアンは運んできたかばんをそのまま戸棚にしまうと、カレンが着替えるのを手伝った。

 煩わしいドレスを脱ぎ、新しい内服の袖に手を通しながら考える。いったい何が目的なのかしら。


「あたしは気に入りません。このばか丁寧な対応も、あの男も」

「ジン、落ち着いて。まずはノアのことが先よ」


 再び元の部屋に戻るとサイラスがこちらをじろりと見た。


「それで、ノアは?」

「すでに準備はできている。あんたたちが乗ってきた船で帰っていただこう」

「マリン、ノアと一緒に行って。イオナに伝えてちょうだい。わたしは十日したら帰ると。トランがそう約束したと」

「承知しました、カレンさま」

「ジンは残ってちょうだいね。わたしだけだと不安だから」

「もちろんです、カレンさま。それがあたしの務めですから。それに、もしカレンさまに何かあったら……誰かが危害を加えたらただじゃ置きません」


 サイラスが合図をすると、男たちがやってきて先ほどの部屋に戻された。

 カレンに続いてジェンナが入ろうとしたが、すかさず男が手を上げて制した。


「あんたは別の部屋だ」

「あたしはカレンさまの側事(そくじ)です。ご一緒しなければお世話できませんから」

「問題ない。客人の世話はこちらで行う」


 なおも抗議の声を上げるジェンナに向かって話す。


「ジン、この人たちの言うことを聞いて。そうじゃないと……」

「わ、わかりました、カレンさま。でも、カレンさまに何かしたらその時は……」


 扉がピシャッと閉められ声が聞こえなくなった。



***



 さて、どうしようか。

 しばらく待ったが誰も来ないし何も起きない。いったい何のためにここに呼ばれたのだろう。


 部屋だけは広々として、真ん中にベッド、壁際にテーブルと椅子がいくつか置かれているだけだ。

 入り口は両開き。出ていくときに外側から鍵がかけられる音がしたから出ることはできない。


 しかたなくほかの部屋を順番に(のぞ)けば、あらゆる設備がそろっていた。この一画だけで一軒の家のようだった。

 壁際の戸棚を開くといま着ているものと同じ内服が積まれていた。しばらく山のような服を見つめたあとぴしゃりと閉める。


 隣には浴槽のある大きな浴室、着替え部屋、それに立派な厨房が備え付けられていた。

 戸棚を開くと食料がびっしり、飲み物もずらっと並んでいる。よくよく見ればどれも簡単な食料ばかり。

 まるで、軍隊の食料庫みたい。ここで籠城でもするのかしら。物資だけはやたらたくさんある。




 ほかにすることもなく、ベッドに腰掛けてしばらく待っていると、扉の開く音が聞こえた。振り返れば、(くだん)のふたりの男と女性がひとり入ってきた。

 女性はテーブルまで行くと手に持っていたかごを置きそのまま立つ。


 男たちに目を戻す。ギルが部屋の隅にあった二つの椅子を持ってきて向かい合わせに置くと、片方に手を向けた。

 指示された椅子に座り、もう一方の椅子に腰掛けたサイラスを見る。


「さて、あんたにはしばらくこの部屋で過ごしてもらう」


 突然、首にチクッとした痛みが走る。慌てて振り返るが、すでに女性は一歩下がったところに移動していた。

 薬を打たれた? いったいどういうこと?


「おれとあんたの間には縁があるのだよ。さあ、ゆっくりと夢の世界にひたりたまえ」


 どういう意味? 夢の世界?

 睡眠薬を盛られたと考えているうちに眠気が襲ってくる。



***



 目が覚めると暗闇にいた。ここはどこかしら。

 光が満ちてくるのを待つが、いつまでたっても変化がなかった。

 誰かが近くにいる気配はするのに何も見えない。


「ラン? いるの?」


 ささやくが返事はない。

 替わりに周りの空気が重たくねっとりとしてくる。体にまとわりつくような感触。まるで、水の中にいるかのように体が圧迫され少し動くのにも力が要る。


 どういうわけか呼吸が荒くなってきた。胸が締め付けられるようなこの感じは何だろう?

 息が苦しい。水の中なら当然呼吸ができない……。


 周囲が薄明るくなったのに何も見えないのはどうして?

 突然、鋭い痛みに襲われた。ますます息が荒くなる。

 いったいここはどこなの? わたしは何をしているの?


 いきなり、川に落ちて沈んでいったあの瞬間のことが目の前にはっきりと浮かび上がってくる。

 とても苦しい。これは自分の記憶や想像ではなくまるで現実のよう。


 押さえつけられたように動くことができない。

 またもや光がだんだん失われる。体の奥底が苦しくなりどんどん沈んでいく。ゆっくりと意識がなくなるのを感じた。




 再び目を覚ますと闇夜に取り残されていた。まただ……。

 以前と同じように重苦しい空気に包まれている。

 どうして、何も見えないの?


 また、水中に入ったような感触を覚える。苦しくて重く圧迫される……。あえぎが何度も漏れるのを感じる。

 自分のだろうか。それに、この繰り返される苦痛は何なの? いったいわたしはどうしてしまったのだろう?

 

 ある日、また痛みを感じて目を覚ます。やはり、視界は奪われたままだ。体は重く動かない。手も足も言うことを聞かない。ここはどこ?

 突然感じる。すごく暑い。それに苦しい。まるで、夏の炎天下に放り出されたかのよう。


 再び苦痛が襲ってくる。声らしき音が聞こえるがまったく意味をなさない。

 誰かの悲鳴を何度も耳にしたような気がする。未だに体は動かない。外とつながっているのは聴覚だけなの?


 また死にそうな痛みに襲われる、何度も。これはいつまで続くの……。


 今度は白い世界にいた。どこまでも明るく単調な光景。目が見えるのに何の感情も湧き上がってこない。




 別の日には、ねこの鳴き声を聞く。

 誰かを呼ぶようにひたすら単調な旋律が繰り返される。もうやめて、お願い。


 時には、再び黒い世界に放り出される。

 ねこの合唱を聞き、温かい感触に包まれることもあった。

 

 誰かがしゃべっているのかと思うときもあるが、やたら低い音で意味を持った言葉には聞こえない。


「ラン、どこにいるの?」


 何度問うても未だに返事がない。

 夢の世界はいつでも意味不明だ。これは何を表しているのかしら。そう思ったときには意識を失っていた。


 それからも黒い世界と白い世界が繰り返される。

 色のない世界。いつまで続くのかしら、この夢は。

 終わりの来ない世界に永遠に閉じ込められたかのように思えてくる。


 この悪夢から早く目覚めたい。戻りたい……現実世界に……。


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