246 姉妹結び
「さあ、入りますよ、カレン。まっすぐに歩いて王の前で挨拶をするのよ」
扉があけられると、すぐ近くにたくさんの人がこちらを向いて立っているのが見えた。
全員の視線が自分に集まるのを痛いほど意識する。
「さあ、進んで。何も心配することないわ。わたしたちがすぐ後ろにいるから」
深呼吸してから一歩踏み出す。
「この人たちは……」
後ろからまたオリビアがささやく。
「ええ、儀式の証人よ。それにしても大勢呼んだわね、こんな短時間で。ロザリーったらやってくれるじゃない」
中央に立っているのが国王だとすると、その両側の人たちが主家の面々ね。
全員が異質なものを見るような視線を浴びせてくる。今さらながら、このような場で失敗したらアデルの方々に大恥をかかせることに気がついた。
手がじっとりと汗ばむのを感じる。
隣のイオナが手を動かしたので立ち止まる。
後ろからささやき声がした。
「さあ、カレン、前に」
三歩進みロザリーの前で丁寧に挨拶を行う。これはローラのやり方を見て覚えたからもう大丈夫。
ゆっくりと頭を上げて国王の顔に目を向ける。
「アノ・ロザリー、ロイスのカレンと申します」
「ロイスがカレン、両手をこちらに」
さらに一歩前に出ると腕をまっすぐに差し出す。両手にロザリーの手のひらが重ねられる。
彼女から同調力は感じなかった。ハルマンの王はケタリではない。
主家の当主はカレンの左手をちらっと見て首を縦に動かした。
「あなたは、オリエノールの国子で、なおイリマーンの皇女」
「あ、それは……」
ロザリーは手のひらをこちらに向けた。口を開くなということか。
彼女はゆっくりとうなずくと、ひとつの指輪を取り出した。平たい暗赤色の石がはまった指輪をカレンの右手の第四指に滑らせるとその腕をつかんで高く掲げた。
「ハルマンの証しが自ら審判を下すであろう」
「アデルのイオナ、前に」
イオナが進み出てカレンと並んだ。
「これより、アデルのイオナとロイスがカレンの姉妹結びの儀を執り行う」
イオナが下を向いたままささやいた。
「少し離れて手をまっすぐ伸ばして」
空艇の中で聞いた説明を思い出す。
カレンはケタリだから同調力を使うだけ。お互いの作用が交われば終了よ。
それほど簡単なことなのだろうか。
イオナと向かい合って立つ。いつの間にか先ほどよりかなり近くにいる人々の視線が手に注がれている。
横目で見れば、すでにオリビアはふたりを取り巻く輪の前に陣取り、その両脇にはアデルの面々が後ろの人たちから守るように並んでいた。
イオナが両腕を伸ばし手のひらを上向きにする。
説明を思い出す。受け入れるほうが下側。
カレンも両方の腕を伸ばし、手のひらを下に向けて、イオナの手首にそっと当てる。
系譜に連なろうとする者が上。
イオナがこちらの手首をしっかりと握りうなずいた。
急に体がふわふわとしてきた。
まるで、意識が遠のく前触れのように感じる。いけない。気をしっかり持つのよ、カレン。ここで失敗するわけにはいかない。
目を閉じひとつ深呼吸したあとゆっくりと力を注ぎ始める。
これはたぶん力覚の手順と同じだ。つまり、ふたりの間につながりを作る。
しかし、相手がすべてを受け入れてくれないと決してうまくはいかない。
拍子抜けするほどあっけなくイオナの中に入り込み力髄に到達する。何の障壁もなく大っぴらにされていた。彼女から伸びてくる作用もすべて受け入れる。
すごい。イオナの強い作用が胸の内で渦巻くのを熱く感じる。
これはあの時、ペトラとつながった瞬間と同じくらい。あるいはもっとかもしれない。
圧倒的な力をしっかりと受け止める。そして、そろりと同調を行う。
イオナの力を胸で捉え制御しようとしたとたんにものすごい力を覚える。本当にすごい人だった。
これまで、そしてあの時、感じたのは彼女の片鱗でしかなかったことを思い知る。
耳がかすかなどよめきを捉えた。
えっ、何かやらかした?
力は放出していない。薄目をあけて自分の体を見下ろすが特に変化はない。いつかのように胸が熱くなることもなく安堵する。
こんな場所で光を放ったり力を解放したりしたらそれこそ大変なことになる。
間違ってもこの前のような事態を引き起こしてはいけない。少し力を緩める。
作用が何度かふたりの間を巡るのを感じたところで、イオナがパッと手を離した。
慌ててこちらも手を開く。
これで終わり?
手を伸ばしたまま茫然としてイオナの顔を見る。これで本当に姉妹になったの?
イオナが微笑を浮かべてカレンの指先を見ていることに気づき、視線を下げたとたんに息を呑む。
右手の指輪が炎の色に変わっていた。この服の色とまったく同じだわ。これがハルマンの符環。
見ればイオナの手に光るものと同じだが、自分の中の力がどんどん吸い込まれるような不思議な感覚を覚える。
じっと見つめている間に、符環はぐんぐん明るくなり直視できないほどのまばゆい光を放ち始めた。
突然イオナの高らかな声が響き渡った。
「ここに、われイオナは姉妹となりしカレンをアデルに迎え入れた」
そのあとささやいた。
「続けて」
「われイオナの姉妹となりしカレンはアデルに列なるものなり」
「手を皆さんに見せて」
腕を高く上げて手のひらを回して符環の光が全員に見えるようにする。
どっと歓声が沸き上がった。
……これで終了らしい。
手を下ろして振り向けばロザリーと目が合う。満足そうな顔をしてひとつうなずいたのを確認する。
もう一度丁寧な挨拶を行う。どうやら試験には合格したらしい。
何度か息を吐き出し心を落ち着ける。それに伴って符環の光も徐々に弱まり落ち着いた光をほのかに放つ程度になった。
やれやれ、とても疲れた。
周囲がざわざわと騒がしくなってきた。
イオナが口を耳に近づけてきた。
「さすがカレンね。ここにいた全員があなたをアデルの後継者として、ハルマンの皇女として認めた。つまり、あなたにも継承権が与えられるわ」
「イオナ、それは……」
「大丈夫よ。お姉さまの継承順位は公にはわたしより一つ下になるけど、順番が回ってくることは絶対にないから安心して」
やれやれ。
イオナは誰かを探すように部屋を見回した。
「とにかく、これで、最大の関門を突破できたわ。さあ、急いで船に戻りましょ。早いとこ、ここから脱出したいわ」
同感だった。早足で人混みをかき分けるように進むイオナに遅れまいと続く。
途中で近寄ってきた男性と、イオナが並んで歩きながら話を交わすのが見えた。あれは誰かしら。
***
空艇にたどり着くと、すでにオリビアとロバート、それにふたりの兄も戻っていた。
入り口に待ち構えていたエミールの手を借りて船に乗り込むとすぐに扉が閉じられた。
「カレン、すごかったよ」
「無事に終わってホッとしました。とても緊張しました。それに、途中で気を失うかと思いました……本当に」
「うん。でも、あれで、みんなにカレンがケタリであることが知れ渡ったね」
「えっ、どういう意味ですか?」
「えーとね、普通は、交結の儀式には一晩かけるんだよ。姉妹だろうと……男女だろうと」
エミールはカレンの符環を覗き込みながらクックッと笑った。
「そうなのですか?」
顔を上げると壁際に立っていたジェンナと目が合ってしまう。彼女は頬をかすかに染めてはにかむような笑顔を見せた。なるほどね。
「うん、ケタリだけが短時間で交結を終えられると聞いてはいたけど、それが本当に事実だと今日知ったよ」
「ええっ? でも、わたしは半人前のケタリだから、うまくできなかったかもしれないのよ」
横からイオナが断言した。
「わたしは何も疑っていなかった。全然心配していなかったわ」
知らずため息が漏れる。どうして人のことにそう自信が持てるのかしら。
イオナがカレンの手を取る。
「実際、できたのだから。カレンは半人前じゃないのよ。正真正銘のケタリ。そして、今日からわたしはあなたの妹にして、あなたの、それにあなたの子どもたちのケタリシャでもあるわ。これからもずっとね」
「カレン、ぼくたちのことも忘れないでよ」
エミールがうなずく。
イオナの顔を見つめたままでいると彼女は付け加えた。
「もちろん、あなたの筆頭ケタリシャがエルナンのザナンなのはわかっている。それはちゃんと自覚しているから心配しなくても大丈夫よ。彼女の役目を侵したりはしないから。それに、わたしたちは今なおイリマーンのケタリシャでもあるのだから」
いや、心配はそこではなくて……。
後ろからロバートの声がする。
「全員、座って。出発だ」
前の席でコリンがしみじみとした声を出す。
「なあ、エミール、カレンはおれたちの姉さんなんだぜ」
「ああっ、そうか。カレン姉さん。ぼくたちもあなたのケタリシャだから忘れないでください」
「エミール……」
隣のイオナが身を乗り出した。
「そんなことより、ふたりともさっさと自分たちの儀式を済ませちゃいなさいよ。いつまでもたもたしているのよ。ほら、ジンのようにすばやくやってしまえばいいのよ」
息を吸い込むような音が聞こえ振り向けば、ジェンナがまた赤くなっていた。隣で彼女を見ているマリアンまでが上気した顔をしているのはどうしてだろう。
「いや、そうは言っても、今は時期が悪いだろ。そ、そのうちにね」
「そんなのんきなことを言っていると、ふたりとも逃げられちゃうわよ」
「そう言うオネはどうなってるんだ。もう決まってるんだろ?」
「わたしはまだよ。彼にはもう少し待ってもらうことにしたわ。特にたった今お姉さまのケタリシャになったばかりですからね」
「はい、はい。じゃあ、ノアを取り戻して……彼が目覚めたら……そうしたら三人ともやっちゃおう」
イオナはため息をついた。
「別に三人一緒じゃなくてもいいじゃない。兄さんたちは先になさいよ。早く身を固めたほうが父さまも安心するわ。わたしはもう少したってからね。それより、あれはどうなったの?」
それからも続く三人の楽しそうなおしゃべりを聞いているうちに港に着く。
大きな川艇が用意されていた。
乗り込む前にオリビアにぎゅっと抱きしめられる。
「カレン、体に気をつけてね」
「はい、オリビアさま」
オリビアが眉をぐいっと上げたので慌てて言い直す。
「わかりました、お母さま」
とてもうれしそうにうなずいたオリビアは念を押した。
「いいこと? 絶対に無理してはだめよ」
「もし、トランの連中がカレンに何かしたら、すぐに全軍で助けに行くから」
コリンとエミールが勢いよく言う。
いや、そんなことをすれば戦争だから……。そうならないためにわたしが行くのだから……。
「ジン、マリン、お姉さまをよろしくお願いね。カレンにむちゃさせないでね。カレンの安全を最優先に考えること」
「かしこまりました、イオナさま」
ふたりが並んでお辞儀をする間に川艇は岸壁を離れた。




