242 解読するには
翌朝、エメラインから連絡があり、夕方にはこちらに来られそうだと言ってきた。ようやく三人とも仕事から解放されたようだ。
ウルブ7のミアの家に寄ってから来るらしい。
さっそく、ほかの人にも伝え、三人が合流してからのことを考えながらシャーリンも準備を始めた。
日暮れ前に空艇が飛んできた。みんなで外に出て待つ。
船が着陸すると、すぐにペトラとエメラインが降りてきた。続いてメイが顔を見せた。その後ろから現れた人たちを見て驚く。
ザナとアレックス、それにもうひとりは知らない女性だった。
ポカンと眺めているとペトラがにんまりと笑った。
「どう、驚いた?」
「どうして……」
「セインを出る前にザナから連絡があってね。ウルブ7にいると言うから、どうせミアの家に寄るつもりだからついでにと思って」
「でも、どうして、アレックスが一緒なのですか?」
ザナが簡潔に答えた。
「アレックスは軍をやめたの。わたしと同じ」
「それはまた急な話でびっくりしました」
あたりを見回していたアレックスが言った。
「そろそろ潮時だからな。あそこの指揮はもう正軍にまかせておけばいい。それに、ザナとカレンには、いろいろと関わりがあるからな」
「でも、またトランサーが活発になったら?」
ザナは手をパタパタと振った。
「大丈夫よ。わたしたちがいなくても問題ない。それより、カレンとあなたたちのほうが心配だから。そう話したら、アレックスも付き合ってくれると言ってね」
「そ、それは大変心強いですが……」
うーむ。このふたりが一緒だとあまり先走るのはよくないな。
ペトラが無邪気に言う。
「あ、シャルの考えていることを当ててみようか?」
「いいや、遠慮しておくよ」
ザナが隣の女性を指さして言う。
「こちらは、ナタリア」
「はじめまして。ザナンの側事です」
「ええっ?」
ザナが慌てて言う。
「今のは冗談だから。ナタリアは母の友人よ。西の国々の事情には詳しいからきっと役に立つわ」
「それで、こっちはどうなっているの?」
「別に、ペト、あれから何も変わっていないよ」
「カルから連絡は?」
「何も」
「その……ほかの情報源は?」
「ああ……ないよ」
「便りがないのがよいことなのかどうかわからないけれど……そろそろ何か進展があってもいいと思うな」
「うーん。そうだけど、こればかりは……」
「すぐにでも行きたいんでしょ」
「そりゃ、ここにいてもどうしようもないから」
「ザナのお考えは?」
「まずは、ハルマンに行ってイオナに事情を聞くとしようか」
「準備はできているの?」
「うん、ムリンガの出発準備は済んでいるし、食料の積み込みも終わっている」
「おー、ちゃんと仕事はしていたのね」
「そんなこと、ペトには言われたくないな」
「それじゃあ、明日出発しようよ」
***
晩食のあと、フィオナに声をかけられた。
「お話ししたいことがあります」
彼女について部屋まで行くとすでにペトラとザナが座っていた。隣に腰を降ろしペトラと顔を見合わせる。
扉を閉めたフィオナは、少しためらうように見えたがすぐに話し始めた。
「わたしのせいなんです」
「何が?」
「ノアさまが誘拐されたのが、です」
「どうして? あれは単に……」
「玄関の扉をあけたのはわたしです」
わけがわからずフィオナの顔を見つめる。
「扉をあけたときにやつらが押し入って来たのだよね?」
「そうですが、偶然すぎます。きっと、わたしがあの人たちのために開いたんです」
ザナが身を乗り出して尋ねた。
「その時に何か感じた?」
フィオナは首を横に振った。
ペトラは怒ったようにまくし立てる。
「とにかく、フィンのせいじゃないから。悪いのはカイルであって、それ以外の誰でもない」
フィオナは自分の胸に手を当てた。
「せっかくこれを作ってもらったのに……」
「最初に言ったと思うけど、それは遠くからの干渉を防ぐためで、近くにいたのならどうしようもないの。それくらいみんな知っているから」
「それでも……」
「いい? フィン、あなたに責任はないの。それに、誰も傷ついたわけではない」
「でも、ノアさまとカレンさまは……」
「大丈夫。カレンはノアを解放しに行っただけだし、そのカレンはわたしたちが助け出すから。フィンも一緒に行くよね?」
「わたしがご一緒すればまたとんでもないことに……」
「今回だってフィンのせいじゃない」
「あのカイルをどうにかすればいい」
「シャル?」
「ああ、フィオナをこんなに苦しめるなんて許せないから」
「相手は強制者よ」
「フィオナ、わたしがいればあなたは大丈夫よ。もし何か異変を感じたらすぐに知らせるから」
ザナの説明に全員が納得する。
「じゃあ、この話はこれで終わりね。とにかく明日の朝出発よ。……さてと、そうと決まったら準備、準備と。早く寝たほうがいいかな」
三人はフィオナの部屋をあとにした。
「ねえ、シャル、一応言っておくけど、向こうに行っても、ひとりで何かしようとするのはだめだからね。……ねえ、聞いている?」
「わかった、わかった、ペト。そんなにしつこく言わなくても、カルにも念を押されたから……」
「本当かなあー。不安だな。カルにはまかせておいてなんて請け合ったけど……」
「何か言った?」
「いいえ。早く寝ようっと。あ、そうだ。その前にちょっと書棚を見てから……」
「また調べ物? 好きだねえ……」
「ザナに見てもらいたい本があるの。……そういえば、シャルは修練を全部受けたんでしょ?」
「まあ、一応はね」
「ガムリアの歴史も」
「そうだよ」
「ガムリアの言語については?」
「いったい何が知りたいのさ?」
「イス」
「えっ、イス? あの古のイスのこと?」
「うん、そうだけど」
「何でそんな大昔の話を……」
「実はね、カルにメリデマールの古書を買ってもらったんだけどね」
「カルが古書を買ったあ? つまり、ペトが買わせたの?」
「聞き捨てならないわね。お母さんが買ってくれたの。というより、お母さんはメリデマールの人たちのために貴重な本を買い戻して、わたしに一時的に貸してくれただけよ。解読するまでの期限付きで」
「解読?」
「うん。その本にはね、二大帝国の時代の教えが書かれているんじゃないかと思って。そこを読むにはイスの言葉を学ばないと」
「ちょっと待って。どこでそんな本を手に入れたの?」
「セインのマックスの店」
「ああ、あそこか……一度行ったことがある。あんなところで? 何か騙されたんじゃないの」
「見たい?」
「いま持っているの?」
「うん。取ってくるから、居間で待っていてちょうだい」
しばらくして戻ってきたペトラは金属製の容器を持っていた。
「はい、どうぞ」
渡された箱をテーブルに置き蓋を開く。えらい厳重だな。
「ねえ、ザナ、ディオナはイスの言語に関する本を持っていない?」
「わたしの記憶では、アトインカンには書物がほとんどなかったと思うけど」
「そうか、残念」
パラパラとページをめくりながら言う。
「これは確かにすごいね」
「最後のページを見た? メリデマールの古い国章があるんだよ」
そう言われて本をひっくり返して最後のページを開く。
「ロイスに何か本があったりしない? あそこはお城だし古いものがいっぱい……」
「ない、ない。オリエノールの本なら昔のもあるけど、イスは五百年以上前だよ」
突然、ザナが口にした。
「ナタリアなら何か知っているかも」
ペトラがさっと顔を上げた。
「そうか、西の国について詳しいんだよね」
呼ばれてやって来たナタリアがソファに座ると、ザナがテーブルの上の本について説明する。
「これは……」
本を手にしてページをめくる音が何度か聞こえたが、ナタリアはすぐに閉じて箱をテーブルに戻した。
「これは作用者向けの本ですね」
「ええ、そうだけど」
「あたしには読めません」
「えっ?」
どういう意味かわからず、ナタリアの顔を見る。
「これは作用者にしか読めない書物です」
ザナが驚いたように彼女を凝視した。
「そんな本があるの?」
ナタリアは箱から本を取り出して傾けると側面を見せた。
「ほら、表紙がすごく厚いでしょう。ここに何か仕掛けが施されているのだと思います」
ペトラはそっとため息をついた。
「イスの言葉に関する手引きがないと読めないの」
「これは、メリデマールの文館にあったものという話でしたね」
「うん、たぶんね」
「ペトラさま、その文館あるいは中央図書室には、この本を読むための対義書などもあったと思います。そうでないとこの本の価値が損なわれますから」
「それなら、メリデマールに行けば」
「どうやって行くのさ。あそこはインペカールの……」
そう言いかけたところでザナのほうを見る。
「ザナとアレックスなら……」
ザナは首を横に振った。
「でも、おふたりなら……」
「いいえ、そうじゃないの、シャーリン。メリデマールの文館はもう存在しない。インペカールの侵攻時にすべて焼け落ちた。わたしたちはメリデマールに住んでいたことがあるから知っている」
「そんな……」
ペトラがこちらを向いた。
「レオンから聞いたんだけど、レオンのお父さんはあの時、国都に住んでいてウルブへの脱出は大変だったらしいよ。彼と一緒に暮らしていた何人もの命が失われたと話してくれた。当然、多くの建物がなくなったんだろうな」
「おふたりはメリデマールにいたことがあるの?」
ナタリアをちらっと見たザナはうなずいた。
「カレンが眠ってしまったあと、当然ながら、わたしはケイトと暮らしたわけだけど、母の故国であるメリデマールのことが気になって調べ始めたのよ。そうしたら、ある日ケイトに言われたの。そんなに気になるなら自分の目で確かめなさいって」
ザナは眉間にしわを寄せて続けた。
「わたしの義務はケイトとカレンに対するものだったけど、ケイトには見透かされていたわね。言われたのよ。カレンが目を覚ますまでは自分の好きなようにしなさいと。だけど、当時のわたしはまだ子どもだったのよね。それでナタリアが、ああ……付き添いとして一緒に来たわけ」
「でも、どうしてインペカールに?」
疑問に思っていたことをペトラが口にした。
ナタリアが代わりに答える。
「それはあたしの提案なのよ。メリデマールをどうにかしたいなら、その元凶のインペカールの内情を探るべきだと。いろいろあったけど、最終的にはインペカールの軍に入ることになった」
「へえー。つまり、メリデマールを独立させるとか、そういう話?」
ザナは首を振った。
「よくわからない。あのころはそう考えたかもしれないけど、今さら独立できたとしても意味はないし。遠い島に移住するのだから……」
しばらく沈黙が続いたあと、ナタリアが口を開いた。
「まだ、ひとつ可能性があります」
すかさずペトラが聞いた。
「えっ、どういうこと?」
「マゴリアとイリオンが消滅したあと、南の国は再建され、時を経てメリデマールから人々は西に移住した。最初に入植したのが今のローエンよ。そのときにメリデマールの中央図書室と同じものが作られたと聞いています」
「えっ、そんな話は知らないわ」
ザナが驚きの声を漏らした。
「そうですね。エルナンのことには触れないようにしてきましたから」
「どこにあるの?」
「あるとしたら、たぶん、エルナンの館の地下でしょう。まだ、残っていれば……の話ですが。あそこには、今もペトラさまのお探しの書物があるかもしれません」
ローエンのエルナン。ザナの、そしてディオナの故国。いや、故国ではないか、ふたりの故国と呼べるのはメリデマールでしかない。
しかし、エルナンの人たちは今どうしているのだろう? メリデマールに亡命せず残された多くの人たち……。
「ナン……エルナンの人たちは……」
ザナは手を上げた。
「リアナ、そこまでよ。あそこはトランの……」
「そのトランよね。カルを拉致したのは」
「ペトラ? 拉致されたのはイオナの弟で……」
「つまり、ローエンのトランは、ハルマンのアデルに喧嘩を売ったってことよね」
「ペトラ、アデルの人たちは絶対に喧嘩は買わないわよ。もちろん、わたしもよ」
「うーん、行き詰まったな……」
そう言いながらペトラはテーブルの上の本を見つめた。




