25 留守番はつらい
シャーリンは指先にしびれを感じていた。
この感覚は、夢の中のことなのか、それとも現実なのか? わたしは、今どこにいるのだろう?
遠くで人の声がする。今度は、手首が焼けつくように熱くなってきた。なぜだろう。
突然、顔に何かがあたるのを感じた。驚いて目をぱっと開く。すぐ前に板の間のような床が見えた。
ここはどこだ?
ゆっくり頭を回すと、天井らしきものがぼんやりと認識できた。あたりは妙に静かだ。
リンがすぐそばでこちらをじっと見ている。
肘をついて体を起こすにつれて思い出してきた。
ここは、ミアの船の中だ。リセンで船に乗せてもらって……。
カレンとウィルはどこ?
毛布をよけてゆっくり立ち上がると、じんじんする手首を交互にさすった。このしびれるような感じは本当に薬の効き目なのだろうか?
あれ? 小刻みに揺れるようなこの感覚は、船が走ってない?
もう、アッセンに着いたのか。起こしてくれればいいのに。
ちょうど操舵室に入ってきたミアに話しかけた。
「もう着いたんですか?」
「いや。ここは、ネオンの少し手前」
意味がわからずしばらく黙る。
「ネオン……どうして止まってるんですか? それにカレンとウィルの姿が見えないのだけど」
「うん、そのふたりから伝言があるんだがね」
「伝言? どこかに行ったんですか?」
あたりをぼんやりと見回した。ここは船着き場ではなくて、岸から遠くないところを川の流れに逆らってゆらゆらしているようだ。
「ふたりは、ソフィーとジャンとかいう連中の船を偵察に出かけたよ」
シャーリンは口をポカンとあけたが、すぐに立ち直るとぼそぼそと口を動かした。
「ソフィーとジャンって言いました? それってダンをさらった連中の仲間なんですが。つまり、ダンは……」
ミアは手を振って遮った。
「ああ、だいたいの話はカレンから聞いたよ。そのソフィーとジャンは、ネオンに停泊している船にいたらしい。彼らがどこかに出かけたとカレンが言うなり、ふたりで船着き場に向かった。で、あたしはあんたのおもり役を言いつかったわけ」
ミアは飛び乗ってきたリンを抱き寄せると付け加えた。
「そうそう、あらかじめ言っておくけど、遮へいはしているから。あんたたちの敵さんには感知者がいるらしいからね。とまあ、そう言い残して出かけたんだが」
「それっていつのことです?」
「そうだな、出かけてから二十分くらいかな」
「どうやっておかに?」
シャーリンはきょろきょろした。
ミアは左前方の暗闇を指差した。
「あそこにあるちっちゃい小舟で渡った」
何も見えなかった。
操舵室の扉をくぐって外に出る。冷たい風に体をブルッとさせ、腕には刺すような痛みを感じた。さすがに昼間の暖かさはもうないか。
船首に向かって歩きながらあたりを見渡した。
漆黒に包まれた岸辺はひたすら静か。水の音すらしない。ミアが先ほど示した所にボートが引き上げられているのがかすかに見える。
手すりに体を預け、手の甲を口に押し当てると水面を見下ろした。
その時、おなかに何か固いものがあたるのに気がついた。驚いて身を引き、手を服の内側に入れる。小さな袋が入っていた。
引っ張り出して中を覗くと、カレンのレンダーとペンダントが入っている。元どおりに袋をしまいながら考えた。なんでこれを置いていったのだろう?
***
シャーリンは、いらいらしながら、広くはない操舵室の中を行ったり来たりしていた。
そんな様子をミアは不思議な表情を浮かべて見る。リンまで顔を振ってシャーリンの動きを追う。
「少し落ち着いたらどうだい? いらいらはその怪我の治りにもよくないよ」
「帰りが遅くないですか? 何かあったに違いない」
「でも、カレンは感知者なんだろう? それも優秀な。その敵さんが帰ってくる前に戻ってくるさ」
ミアは隣の椅子をポンポンと叩いた。
「そうだといいけど」
シャーリンはつぶやくと、おとなしくミアが勧めてくれた椅子にドサッと座った。すかさず、リンがミアからシャーリンの膝に乗り換えるとそこで丸くなった。
ミアと目を合わせるとぼそっと訴える。
「ここは寝床じゃないんだけど」
「ははん、そういうことか」
ミアはリンを見ながらつぶやいた。
***
椅子の上で再びうとうとしかけたシャーリンは、かすかな水音にビクッとした。
すぐにミアが部屋から出ていく。そんな様子をリンの背中を撫でながらぼんやりと見る。
外で、木のきしむような音に続き、ミアが何かしゃべるのが聞こえた。それから、ガシャガシャという音とウィルの声がした。
耳をぴくぴくと動かしたリンがむくっと起き上がると窓際の自分の位置に戻っていく。
やっと帰ってきたか。
シャーリンは立ち上がると、出口に向かった。外に出ると、ミアとウィルが小舟を甲板に引き上げていた。あたりを見回すがカレンがいない。
突如いやな予感に襲われ、急に頭がすっきりした。
「ウィル。カルは?」
ウィルが振り向いた。右手だけを使って船を引っ張っている。すぐに左肩を怪我しているのに気がついた。
「その肩、どうしたの? それに、カルはどこ?」
ウィルはたちまちうなだれた。
「シャーリンさま、申し訳ありません。カレンさんが捕まってしまいました」
「何だって!? どういうこと?」
「その、カレンさんとあの船の中を調べていたら、急に二人現れて、撃たれたんです」
「急にっていったって、あのふたりが戻ってきたらカルは気がつくだろ?」
「作用者じゃなくて、そいつらは普通の船員です」
「カルも怪我したの?」
「撃たれたのはぼくだけです、たぶん」
「ソフィーとジャンはまだ戻ってきてない?」
「あのう、今は船にいるんじゃないかと」
「見てないの?」
ミアが医療キットを持って現れた。
「その肩を見せな。どれ、撃たれたって?」
ミアはウィルの服を脱がせた。それから、キットの中をかき回して小さな光蓄棒を取り出すとスイッチを入れた。
「これはエネルギー傷じゃないな。機械式の銃で撃たれたのかい? 作用者でもないのに、どうしてそんなので撃たれたんだい? そいつは作用者相手に使う武器だよ」
ミアはウィルの肩に光を当てて見ながら言った。
「まあ、弾は貫通しているらしいから、消毒して固定しておけば、大丈夫だろ。しばらくは違和感があるかもしれないがな。いいか、少ししみるぞ」
ミアが正体不明の液体をどぼどぼかけると、ウィルは縮み上がって声を上げた。
「それで、カルのことは?」
「たぶん、船に捕まっていると思います」
ウィルは横目で自分の肩を見て震えながら続けた。
「撃たれて川に落ちたあと、桟橋の下に隠れてたんですが、さらに何人か戻ってきたのが声からわかりました。でも、それが誰なのかはわかりません。その作用者にも会ったことがないので。それで、どうしようもなくて、急いで戻ってきたんです」
「ミア、その何とかという船着き場までどれくらい? 助けに行かなくちゃ」
「とりあえず、ネオンの手前まで行こう」
ミアは推進機を作動させると船を進め始めた。
しばらくすると、再び動力を切って惰性で進むにまかせる。
「あの角を回ると町の桟橋だ」
ミアはまず、船の照明をすべて落とした。あたりが暗くなる。前方に明かりが見えてきた。それから、探査装置を操作して画面表示を呼び出した。
「このすぐ先が船着き場だ。ほら、桟橋の形が見えてきた」
さらにモニターをコツコツと叩きながら問いかけた。
「ウィル、その船はどこに停泊してた?」
「えっと、一番下流側です」
ウィルはミアの手を追って探査画面を見た。
「その探査装置、船がいるかもわかるんですか」
「そうさ。いるかどうかだけじゃなくて、大きさとかも何となくわかるんだよ。たぶんこれだろ」
そう答えると、ミアは船を岸に向けて転進させると、静かにもっとも上流側の桟橋に向かった。
船は滑るように進み、ゆっくりと桟橋に横付けされた。すぐに探査装置の電源も落としてあたりは真っ暗になる。
「おや、問題の船が動き出したよ」
シャーリンとウィルは窓からその船を見ようとした。
「あんたたち、頭を引っ込めな。遮へいしても見られちゃ意味ないよ」
ふたりは慌ててしゃがみ込む。
「まあ、暗いから大丈夫だとは思うけどね」
ミアは右の窓まで歩いていき外を見たが、すぐにこちらを向いた。
「さて、船は下流に向かったよ。どうする? あとをつけることはできるが、それ以上はどうしようもないな」
「わかってます。相手に気づかれないように、ついていってもらえますか?」
「あいよ。あんまり近づかないほうが無難だな。それに、あたしから離れるなよ。近いほど遮へい効果は高い。向こうの感知者がふたつもちってことだとすると、用心しないと見つかる」
シャーリンはうなずいた。
ミアは前方にかすかに見える船影を追って、かなりの距離を保ったままついて行った。途中の町から船が二艘現れたため、問題の船と自分たちの間に入れる。
これで、直接こちらを見られることはなくなった。
しばらくすると川幅が広くなってきた。再び探査装置を作動させていたミアが言った。
「かなり前方に船が何艘かいるぞ。うん、これは何だろ?」
「どうしたんですか?」
ウィルの声が聞こえた。
ミアは船を減速させて左側に寄せる。
「このままだと、向こうに近づきすぎるから、ここで待とう。どうやら、臨検か何からしい」
ミアがモニターを指差してから、左側の窓をあけた。
「何か聞こえますね」
「たぶん、速度を落とせと言っている」




