234 衛府に所属すれば
空が色合いを急速に増してきた。
眼下の森は黒く覆われつつあり、川は鈍い残像のみになった。セインを飛び立ってからずっと南下し、すでにロイスの近くまで来ている。
カレンは、両側の席に座るふたりの仕事ぶりを観察していた。小型艇にもかかわらず、彼らの眼差しは真剣だ。
「ふたりはどうして衛府に配属になったのですか? てっきり壁の再開に備えて待機するのだと思っていました」
一瞬こちらに目を向けたマレはわずかに首を縦に動かした。
「はい。確かにほとんどの者はそうなっています。期限ははっきりしないものの、休暇をもらえるまたとないチャンスですから。でも、衛府で空艇要員を探しているという話を聞いて、すぐに志願しました」
「どうして?」
マレはまっすぐ前を見たまま答えた。
「それは……西の国に行ってみたいからです。つまり、えーと、衛府にいればいつか外国に赴ける可能性があるんです。普通に力軍にいては絶対に無理ですから。ちょっと動機が不純でほかの人にはとても言えないのですが……」
「ええっ? マレもそうだったの?」
問われた主は首を回してしばらくロイを見た。
「ひょっとしてあんたも? ……へえー、驚いた。てっきり、衛府という格に憧れたんだと思っていた」
「いや、確かに、衛府は軍の中でも特別だから、そういう魅力があるのは事実ですよ。でもそれだけじゃない。子どものころから、海を渡って遠い国々を訪れるのがぼくの夢だったんです。まさか、本当に配属されるとは思っていませんでしたけど」
「指揮官が教えてくれたんだけど、作戦参謀長の推薦があったらしいわ」
「えっ? つまりカティア隊長の?」
「そう。もしかするとカレンさんと一緒に北まで飛んだ経験が評価されたのかも……」
「へえー、そうだったのか。知らなかった……」
「つまりは、こうして衛府で働けるのは、カレンさんのおかげなのです」
「マレ、それは違うわ。あなたたちの実力が認められたからです。ところで、カティアは作戦参謀長になったの?」
「あ、はい。混成軍の実働部隊は一時休暇になるんですけど、隊長は古巣に戻られるそうです」
「そうですか」
「それにしても、ふたりとも、どうして西の国なんかに行ってみたいの?」
マレの声は低く聞き取りにくかった。
「オリエノールは、この大陸はいずれトランサーの海に飲み込まれてしまいます。そして、あたしたちは未知の新しい土地に移り住むことになっている。でも、その前にこの大陸のまだ知らないほかの国々を自分の目で見ておきたいと思ったんです。すべてが失われてしまう前に。衛府に所属すればそれを叶えられるんです」
「衛府の人でないと行けないの?」
「そうです。通常の力軍の活動は基本的に国内に限られていますから。まあ、混成軍の行動範囲はオリエノールの外でウルブだといってもいいので、一応、外国にはなりますけど。あたしが見たいのはそういう近くの国ではなく、遠く西方のまったく知らない国々です。カレンさんは向こうに行ってきたとうかがいました。あたしも実際に行って自分で確かめたい。そう思ったんです」
「すごいわね。あなたたち……」
「それにしても、この船、すばらしいですね。こんな小さい船を飛ばすのは初めてなんですがとても楽しいです。何というか性能が半端ないです。旋回とか加速とか……」
「ねえ、ロイ。こういう小型の空艇はそういうものよ。それにこの船は偵察艇よ。だから、高速で運動性能が抜群なのは当然なの」
「それはわかっていますよ。そうだとしても、たぶん普通より速度を出しても小回りがきくんです。それに、これが衛府隊に入っての初仕事なんですよ。それが……」
「ロイ、少し黙って。カレンさん、すみません。ロイは少しばかり燥ぎすぎでして。混成軍の基地を出発した時からもう、新しいおもちゃをもらったみたいに喜んじゃって……」
「そんなことないですよ。これでも我慢して……」
「わかった、わかった。さあ、もうすぐよ。国境を越えるから少し出力を上げて」
空艇はロイスの手前で西に針路を向け上昇を始めた。
尾根の高さまで上がるといきなり前方に夕焼けの空が広がった。まさに沈む直前の真っ赤に揺らめく大きな太陽、そして橙に彩られた天空、眼下には金色に染まった大地が横たわる。
時間が止まったような幻想的な光景に圧倒される。
「きれい……」
「本当ですね……あたしもこんな景色を見るのは久しぶり……」
尾根を越えるとすぐに前方に広がる森の空き地に建物がポツンと見えてきた。
「あそこです」
空艇は大きく回り込んで降下しつつぐんぐんと近づく。建物の壁が夕焼けを映して金色に光っていた。
感激したかのような声がマレから聞こえた。
「すごいですね、確かレタって夕焼けの意味でしたっけ? それにしても、こんな大きなお屋敷にお住まいとは思いませんでした」
「あそこのドームから中に降ろしてください。近づけば屋根が開きますから。向こうの船は大きいので外に着陸してもらうようにお願いします」
「了解」
マレは首元に装着した通信機を操作した。
船が高度を下げると屋根がスルスルと開く。ゆっくりと降下し接地した瞬間がわからないほど静かに着陸した。
やはり、飛翔術を専門としている人は船の扱いが繊細でとてもうまい。普段あまり使うことがないエメラインとまったくの素人のペトラが動かすとどうしても荒っぽくなってしまう。
船の扉が開いた時にはすでにミアとレオンが待っていた。
髪を後ろできっちり結んだミアの顔は、かつてないほど上機嫌に見える。いいことがあったのかな。
「お帰り、カレン」
「ミア、レオン、ただいま戻りました。ふたりともすっかり元気そうね」
「まあね、毎日頑張ってリハビリしたからね。まだまだ元どおりとまではいかないけど、だいぶ普通に動けるようになったし、たぶん問題ない」
空艇から降りる際に少しふらついた。手をさっと伸ばしてきたミアの顔がいきなり変わった。
「ねえ、カレン、大丈夫? あんまり顔色がよくないな」
「大丈夫です。少し疲れただけです」
「すごく、の間違いだろ? 今日は早く休んだほうがいい」
「はい、そうします」
船から降りてきたマレの報告を耳にする。
「記録はすべて保存しました。特に問題ありません」
息を呑む音が聞こえて振り向く。
ロイはもの珍しそうに辺りを見回していたが、マレの視線はミアに釘付けだった。
ミアはマレとロイに目を向けた。
「ミア。少しの間だけど、混成軍にいたことがある。そいで、こっちはレオン」
「マレです。あなたのことを思い出しました。確か、あたしが混成軍に配属されたばかりのころでした。今はオリエノールの衛府隊の所属です。彼は同じく衛府隊のロイです」
ミアはうなずくとマレの肩をポンポンとたたいた。
「そうか、そうか。じゃあ昔なじみってわけだ。あなたたちも少し休憩していきなさい」
「でもすぐに戻らないと」
「いいから、お茶くらい飲んでいきなさい。外にいる人たちにはちょっと待ってもらえばいい。ほら、カレンと一緒に先に行って」
「……わかりました。では少しだけ」
***
マレに隣に座るように促す。
ロイは向かい側に腰を降ろし、落ち着きなく終始あたりをキョロキョロ見回していたが、大きな天窓に気づいたあとは上を見上げたまま固まっていた。
すぐにマレも上を見て感嘆の声を漏らした。
空が黄金色から濃い茜色へと移ろい、やがて青から紺へと変化する。最後にはひっそりと色が失せていく。
すぐにミアがお茶とお菓子を持って現れた。
渡されたお茶を静かに味わう。この味がとても懐かしく思えるのは、もうこの場所がわたしの帰るべき場所になったからかしら。
ロイの隣に腰を降ろしたミアがこちらをじっと見ているのに気づく。
「どうかした?」
「この部屋、寒いか?」
「えっ? あ、いいえ、大丈夫、暖かいですよ」
「そうかい?」
そう話すミアの視線が突き刺さってくる。
「あ、ミア、このお茶、とってもおいしいです」
すかさずマレがうなずくのが見えた。
「本当においしいですね。初めてです、こんないい香り」
「だろ? これは妹の希望で下のどこかの店で買ってきたものなんだけど、お茶に関しては小さいころからそれはもううるさくてね。おかげで毎日うまい茶が飲めるってわけ」
「妹さんがいらっしゃるのですか?」
「まあね。メイはウルブ1の……」
「ええっ!? ああ、どうりで……。ミアさんは、カレンさんと一緒に来られたメイさんの……お姉さまですか?」
「あ、ああ、そうだけど」
「そうでしたか。あたしはてっきり、ミアさんはカレンさんのお姉さまかと……」
ミアはうなずいた。
「まあ、カレンも家族には違いない……」
「えっ? でも先ほどロメルのお嬢さまだと……」
マレはこちらをちらっと見たあとミアに視線を戻した。
うわっ、どうしよう……。ミアが爆弾を投下しないうちに話題を変えないと……。
「ねえ、マレ、ちょっといいかしら」
さらにミアに質問しかけたマレはくるっとこちらを向いた。
「はい、何でしょうか?」
「あなたの力を視てもいいかしら?」
いったいわたしは何を言っているのだろう。
「ええっ? ……こ、ここでですか?」
マレの目が泳ぐのが見えた。
どうして彼女をこんなに動揺させたのだろう。何かいけないことを言ったかしら。
「わたしも、ちょっとした練習中なのです。それで少し実践させてもらえるととてもうれしいのですけど」
にっこりと笑いかけた。
クレアはわたしにもその方面の能力があるはずだと言っていた。
「わ、わかりました。カレンさまのご命令とあれば……」
マレは、ひとつ深呼吸するとさっと手を上げて上服を脱ぎ始めた。
ロイが弾かれたように立ち上がったかと思うと、ものすごい音が響き渡った。気づけば彼はソファの脇に倒れ呻き声が聞こえた。
反対側では腰を浮かせたミアが笑いを堪えている。
うわっ、これは勘違いされた。慌てて言う。
「マレ、そのままでいいですから。あの、脱がなくてもいいですから」
「えっ? でも力軍で感索者に調べられた時は直接……」
「ごめんなさい。ちゃんと説明しなくて。服は着たままで問題ありません。というかそういう練習をしているので……」
いつの間にかマレの頬は染まっていた。
「……もう少し早く言ってください」
***
「……医術もかなり勉強したのですね」
「はい。でも、混成軍では役割が決まっていたので、一度も使ったことはないです。だから、きっと錆び付いていますよね。衛府に来たからには医術もやり直します。いろいろなことができないと外国に行かせてもらえませんから」
「すごい。マレは医術も覚えたのか……」
「ロイは飛翔術だけ?」
「そうです。空艇を飛ばすこと以外はあまり学ぶ機会がなかったんです。でも確かに、これからは他のこともできないとだめですね。いろいろと勉強しなくっちゃ」
「あなたたちふたりは、ちょうどお互いを補完できるわ。ふたりでペアを組めば飛翔術だけでなく医術でも力を発揮できると思う」
「わ、わかりました、カレンさん。さっそく医術の勉強をします。でも、させてもらえるかな……」
「わたしからも、衛府にお願いしておきます」
「ありがとうございます」
深く頭を下げたロイは、顔を上げるとためらうように目を泳がせた。
カレンが一つうなずいて先を促すと、彼は勢いよく言葉を口に乗せた。
「カレンさん、今度、カレンさんが西の王国に行くときは、わたしも連れていってもらえませんか?」
急に何を言い出すの?
「わたしにそんな権限はないですけど」
「カレンさんが衛府に一言おっしゃっていただければそうなります」
「そ、そうですか。では……考えておきます」
さらに何か言いたそうなロイに尋ねる。
「ほかにも何か希望があるのかしら? もしお役に立てることがあるなら……」
「あのう、思い切ってお願いします。わたしたちをカレンさんの専属の侍衛にしていただけないでしょうか。船を飛ばす以外のことも、これから必ずできるようになりますので。医術とか護衛とかも……」
「あらあら、ずいぶん気合いが入っていること。でも、それは無理じゃないかしら。衛府には決められた方針と役割分担があるはずですから。それに、わたしにはすでにエメラインがいるし……」
ロイは見るからにがっかりした様子だった。
「ああ、そうですよね。申し訳ありません。何もできないのに無理なお願いをしてしまいました。すごく恥ずかしいです。それに、エメラインさんにはとてもかないません……」
マレはあきれたような顔をしていた。
「ねえ、ロイ、あんたのその計画にはあたしも入っているわけ?」
「ああ、いや、決してそういうつもりでは。ぼくは……つまり、そのう……単に任務として……」
「まあ、いいわ。あんたとペアを組むことになった時からの腐れ縁だし」
それからマレはこちらを向いた。
「カレンさん、失礼しました。ロイは何でも先走る癖があって。でも、まあ、やる気だけは人一倍持っていますから。何か機会があったらどうぞよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね。しっかり勉強するのよ、ロイ」




