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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第2章

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230 つながりとは

 カレンは、マヤが手渡してくれた紐をスルスルと動かして、オリエノールの符環だけを外した。


「……うまく言えないけど、花の蜜に引き寄せられて集まる(ちょう)の……」

「まあ、あきれた。まったく(ひど)いたとえだわ。ねーえ、マヤ」


 残った符環を手渡すと、マヤがペンダントとそろえて元の場所に戻してくれた。


 朱砂よりも鮮やかな紅色のものは、もはや自分のとは思えないし、単なる腫れにも見えない……。

 じっと見つめるマヤの大きな目がさらに広がり、左、右とキョロキョロ動く。おずおずと両手をあてがったとたんに声が出る。


「あつい!」


 それから手のひらをいっぱいに広げて何度も動かす。いったい何をしているのだろう。小さくしようとしているのか、それとも……隠そうと頑張っているのかしら。でも、こんなになってしまっては……もはやマヤの手では覆いようがない。


「あついの……」


 こちらに向けたマヤの目には、今にも(あふ)れ出そうな光るものが。その潤んだ瞳を見た瞬間、彼女と確かにつながっているのがわかる。


「心配しないで、マヤ。もう大丈夫だから」


 そう声をかけたものの、本当は燃え上がるような熱とはじける痛みを感じていた。

 ああ、手を当てたままじっと動かないマヤは、力を使って治そうとしている作用者そのものの姿。




 気がつけば、ペトラはまだしゃべり続けていた。


「……ちょっと考えすぎかな。でも、エムの変わりようが……」

「あれは、ペトラが勝手に決めつけただけでしょ。エムは迷惑していたわよ」

「そんなことないよ。エムは内心喜んでいたと思うけどな、お母さんの娘だとい……」

「だから、どうしてそういう話になるのよ?」


 マヤがすっと頭を上げて何かを悟ったかのようにこちらを見た。あちゃー。


「カレンはそのひとのおかあさんなの?」

「マヤ……」


 突然マヤが小さな涙声でたどたどしく歌い出した。


「……あたしには……お姉ちゃんがいっぱい……チョウチョウがいっぱい……花のおかあさんに……みんな、みんなは……チョウチョウよ……」

「ペトラ、マヤが完全に誤解しちゃったじゃないの……」

「だって、本当のことだし……」




 マヤは張りつめた患部に両手を当てたまま顔を近づけ凝視していた。何か変化が起きるのを待つかのように。

 ポトリ、ポトリとこぼれる大粒の涙が紅の坂を滑り落ちる。いつの間にか高くなっていた日の光が差し、斜面に描かれた波模様は虹色に(きら)めく。


「マヤ、もう離して大丈夫よ。さあ、こちらにいらっしゃい」


 マヤは離した左手を背中に回し肩に頭を乗せた。


「ごめんなさい」


 どっと(あふ)れ出た涙が胸元を濡らす。泣きじゃくりながら繰り返す。


「ごめんなさい……」

「しーっ、さあ、もういいわ。マヤは一所懸命頑張っただけよ。何も悪いことはしていないの」


 何度も何度もしゃくり上げ涙目を向ける先には、まだ伸ばされたままの右手。


「わたしの教え方がよくなかったせいなの。ごめんね、(つら)い思いをさせて。……もう大丈夫だから……心配しないで……」




 マヤの力量に有頂天になり、初めてなのに無理をさせて、本当なら何日も、いや、ひと月もかけて覚えていくだろうことをたったの半時間で……。未熟さに目を(つむ)り制御できない力を暴走させてしまった。


 正しい訓練方法も知らないのに思いつきで始めてしまい、自らを窮地に追い込み、ないはずの力を呼び出してしまった。自己過信から途中でやめさせなかったわたしが悪い。


 まだ深い眠りについていた力髄を無理やりたたき起こし、立て続けに刺激を与え共鳴させることによって未完の作用が発動した。そして、それを受け入れたために、図らずも作用のつながりを生み出した報いなのだわ。




 すすり泣きがしゃっくりのように止まらない。

 左手を持ち上げマヤの右手に重ねると、かすかに震える手に力が入った。


「大丈夫よ、マヤ。そのまま、しっかり握っていてちょうだい……」


 マヤの力髄に向かってゆっくりと力を注ぐ。こんなに疲弊してしまって、もうカラカラじゃない。いったいどれだけ頑張ったの? 


 流れが安定すると手を離す。ようやく涙も()れたのか、震えが治まり手が緩むのを感じた。

 マヤの閉じた目にまだ残る涙を指で押さえながら話しかける。


「ねえ、マヤ、わたしは今とてもうれしいの。マヤとわたしの間につながりがあることが。そして、このきずなを見いだせたのは、ふたりで一緒に頑張った結果だということが……。ほら、もう一度耳を澄ましてみて……。今度はちゃんと聞こえるでしょう? わたしたちの根源の間に流れるやりとりが……交わされるおしゃべりが……」




 マヤの背中に当てた手にぎゅっと力を込めて待っていると、小さなかすれ声が伝わってきた。


「風がささやいて……さらさらの水が跳ねてる……」


 風に水……、天空と癒やし。そう、そのとおりよ。

 突如、目頭が熱くなり(まばた)けば涙がにじんでくる。


 どっと引き寄せられた精気が取り巻きマヤの中に(あふ)れている。この地に宿す根源に向かって伸ばされる手も感じた。いずれ、あらゆる生き物の本質と触れ合えるに違いない。

 髄と気……、大地に導き。世界の根源と接し、力の源を取り込む。


 しばらくたったころ途切れ途切れのささやき声がする。


「おかあさん……ずっと……こうしてていい?」


 カレンはそっとため息をつく。


「アリシアさんに来るように言われるまではね。でも、ほかの人の前でわたしをお母さんと呼ぶのはだめ。約束よ」

「うん、わかった。……おかあさん」


 素直に答えるマヤの横顔を眺める。

 大丈夫かしら。すぐにも本当の母親に全部話してしまいそうだわ。




 目を閉じて頬をくっつける幼子のような仕草に再び目頭が熱くなり、しばらく熱も痛みも忘れられた。

 あっという間に寝息が聞こえてくる。力を使い果たし、たっぷり運動もしたし、何よりまだお昼寝の途中だった。マヤはきっと早起きに違いない。


 マヤの薄い涅色(くりいろ)の髪を撫でながら考える。たとえわたしに子どもが何人いたとしても、このように抱いたことはない。子どもを育てたことがあったとしても、いずれ記憶からは抜け落ちてしまうのだから同じだけれど。


 決して存在しない記憶の隙間をマヤが少しだけ埋めてくれたような気がする。

 もしかしたらそのために、彼女は赤ちゃんの振りをしてくれたのかしら。見かけ以上に繊細で敏感にこの痛みを感じ共有していたのかもしれない。


 今度マヤにも何かすてきなものを見つけてこないと。そっと記憶のリストに刻み込む。




 毛布を拾ってきたペトラが、床に膝を付けて屈むと手を伸ばしてきた。マヤの手をそっとずらす。しばし患部を検分してから、自分の手をあてがった。

 しばらくしてポツリと声がする。


「ズタズタ……奥まで達していて、破壊の(あと)()ぜたような痕跡がたくさんある」


 つぶやきながらペトラはもう一方の手も当てた。


 破壊? やはりあのチクチク、ズキズキはつながる手の間から漏れ出た作用……。


「はっきりはしないけど、火炎か雷撃に内側が焼かれ膨れたかのよう」


 ヒンヤリと気持ちいい。すぐに作用がぐんぐん流れ込むのを感じる。




「ねえ、カル、あそこで、メダンでカルとつながってから、急に作用の使い方が上達したんだよ。マヤもそれと同じなのかな」

「わからないわ。わたし、子どもがどうやって作用を使えるようになるのか、全然知らないのですもの」

「知らないのにマヤに教えたの? すごいね、お母さんは……ほんと」

「すごいのはマヤだわ。何の手助けもなく自分で力髄を活性化するやり方を見つけたのだから」


 ペトラは思い切り眉をひそめた。


「そりゃ最初のやり方は人それぞれだけど……それがあんな……変な方法なの?」

「そうね……」

「それに、この(とし)で……」




「お母さんの学校では、初動より前にまず四、五歳ころに訓練していたらしいの。だから、マヤの歳ならもう問題ないはずだわ」

「ふーん、今とはだいぶ違うんだね……」


 ペトラのことだからきっと、まずは理論から学んだに違いない。


「……ひょっとしたら初動だったのかな?」

「この歳でそれはあり得ないはずなのだけど、実際に力を出して……」

「お母さんの初動はすごく早かったとディオナが言っていたよ」

「そうなの?」


 しかし、マヤはまだ四歳になったばかりだ。初動ならそう感じたはず。それとも、あの状況では、気づかなかっただけかしら。

 それに、最後のほうは本来の作用だったのだろうか。あれほどの力を(あふ)れさせたのだからそう考えるしかない。しかし、年齢が……。


 また堂々巡りが始まる。いや、マヤはそもそもわたしの……。




「……カル……ねえ、お母さん!」


 さっと見上げると、ペトラは険しい顔をしていた。


「あ、はい?」

「どっちにしても、今日のやり方は絶対に間違っているよ」


 叱られてしまった……。


「はい。わたしは……思い上がっていました。ごめんなさい。もう決してしません」


 マヤの寝顔を眺めたあとそっと続ける。


「……でもね、それでもね、辛抱したかいは十分にあったと思うの。……多くのことを学んだの。だけど、次はもっと別の……被害が起きない方法を考えるわ」


 それまで今日の教訓を覚えていられたらだけれど……。少なくとも今回の経緯は詳しく書き綴っておかなければ。




 ペトラが途中で何度か作用を切り替えたのがわかる。

 これが同時に使えればすごい作用者になるのに。どうしてできないのかしら。何が足りないの?


「それにしても、こんな(ひど)い状態になるまで頑張らなくていいのに……」

「知らなかったの。こんなになっているなんて……。それに……やめさせようとしたけど、動けなかった……。聞こえていなかった……」

「ええっ? だったらもっと早く言ってくれればいいのに……」


 ペトラはあきれたように首を振った。


「……そうでした。反省します」




 しばらく当てていた手が引っ込んだ時には、はち切れそうだった患部は目に見えて縮んでいた。

 色はそのままだし元の大きさにはまだ遠いけれど、カッカとしていた火照りと痛みが気にならない程度に治まっていた。


「言っておくけど、この出血の痕と腫れが全部消えるには……ひと月はかかるよ。そこは特別だから……あまりいじらないほうがいいの。だから、熱と痛みに水疱や壊死(えし)した部分を取り除いただけ。これからもっと黒くなると思う。何日かしたらまた見せて」


 そう言うペトラはもう一人前の頼もしい医術者に見えた。


「ありがとう、すごく楽になったわ」

「寒くない? そっちに寝かせたら?」


 気持ちよさそうに眠っているマヤを見下ろし、ささやき声で答える。


「このままでいいわ。動かすとまた起こしてしまいそうだから」

「そうだね」


 ペトラはマヤの右手を持ち上げ元の位置に戻した。とても温かいの。

 手にした毛布をペトラが持ち上げたので、首を横に動かす。

 二度と得られないかもしれない静かな時間をこうして過ごすのも悪くはない。目を閉じて睡魔に身を委ねる。


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