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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第2章

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227 練習の方法は人それぞれ

 ほかの三人と別れてから、モリーと一緒に別棟の二階に上がり大きな部屋に案内される。前室には正軍(せいぐん)力軍(りきぐん)の服を身に付けた者が二人ずついた。


 床にはふかふかの絨毯(じゅうたん)が敷きつめられており、暖房がよく効いている。冷え切った手足には願ってもない暖かさ。

 カレンは、入り口で羽織を脱ぎ畳んで棚にのせると、部屋の中をぐるりと見回した。壁際にはいくつもの戸棚やテーブルが並び、いろいろな飲み物が置かれている。


 あら? これは……寝ているのかしら。ああ、それで……。


 内庭に面した大きな窓からの、暖かな日差しは入り口近くまで広がっている。部屋の真ん中には大きな真四角の木製テーブル。その角を挟んで置かれた肘掛けなしの小ぶりな長椅子。

 いかにも座り心地がよさそうなソファがしきりに手招きする。


 わずかの旅だったのにもう疲れたし、体が重くてまだ調子が戻ってこない。呼び出されるまで少し休憩しようかしら。


 窓を背にしたソファの後ろを(のぞ)くと、丸くなった女の子が床で眠っていた。体には毛布がかけられ、そばに散らばるのは、たくさんの紙、短くなったペン、そして、小さな机に置かれた書機。

 つい先ほどまでここで遊んでいたかのよう。


 マヤはいつもこの部屋で過ごすのかしら。どうやら彼女の側事(そくじ)はいないみたい。彼女を目にしてからは、何度も欠伸(あくび)が出てしまう。

 これならしばらく誰も邪魔しにこないはず。

 とても不作法なのはわかっている。それでも睡魔には勝てなかった。


 ソファに座り背中のクッションを一つずらし、体を倒してクッションに頭を沈める。仰向けになって膝を立てれば、スカートが滑り落ちた。

 直そうと手を動かしたが、もう我慢できなかった。

 足を横に倒すのがやっと。たちまち眠りに引き込まれる。



***



「……カル……まだ具合が悪いの?」


 ひそひそ言う声にパチッと目をあける。顔を左に傾けて声の主を見る。

 深く眠っていたわけではないが、こちらに向けたペトラの顔は本当に心配そうだった。


「あら、早かったわね」

「別に早くはないと思うけど……。それはともかく、すぐに声が届いたようで安心した」

「わたしだって、いつも気を失って寝ているわけじゃないわ」


 床に膝をついたペトラは、カレンの手首を持ち上げ目は閉じた。

 氷のように冷え切った手。


「外はまだ寒いの?」

「うん、ここもあそこと大差ないよ……」


 見上げれば眉間にしわが寄っているが、すぐに目を開いた。


「とりあえず今は大丈夫そうだね」


 握っていた手を離したペトラは、体をさっと倒して左耳を寄せてきた。

 彼女の顔を眺めながらしばらく待ったが、黙ったままなので口を開く。


「だいぶ髪が伸びたわね」

「うん。エムみたいにしようかと思って」


 ペトラの髪に何度か指を通しながら答える。


「きっと似合うわよ」

「本当? あっ、別にエムのまねをしたいわけじゃないからね」

「彼女もそう言っていたわ」

「ふーん……エムがお姉さんだとすっごくいいなー」


 ペトラは好き嫌いがはっきりしている。それを何でもすぐに口にしないほうがいいのだけれど。




「……それで、わかるようになった?」

「こうすると全部()えるんだよね、カルは」

「こんなにくっ付かなくてもわかるわよ。作用力の状態とか力髄(りきずい)の疲労具合も……」

「そうなの? ……うーん、ぼやっとしか感じない……」

「耳を付けてもだめなの? そこも敏感なはずだけど……」

「うーん……」


 また(うな)ったきりペトラは黙ってしまった。


「……たぶん手のほうがずっとわかりやすいわ。それに、力髄からの感覚をはっきりつかむには、直接触れるのが一番」

「……試してもいい?」

「どうぞ」


 服を見てすばやく考える。片手ならこのままでも何とかなるわね。右手を細腰にやり裾を二枚まとめて持ち上げる。


「ひゃっ! まだ冷たいじゃない」


 すぐ動きが止まる。


「続けていいわよ」


 一瞬身じろぎしてから手が伸びてきた。


 ペトラは力髄の真上に左手を落ち着けると目を閉じた。

 たちまち自分の作用が彼女の中に入ろうとする欲求が湧き上がってきて、その感情を抑えつけるのに苦労する。

 その代わりに、別のムズムズするような感覚が広がってくる。これはいったい何かしら。


 少したってから声が聞こえた。


「えっ?」

()えた?」

「ううん。そうじゃなくて、さっきよりだいぶ……」

「どうかした?」

「何でもない……ちょっと驚いただけ」


 ペトラはフーッと息を吐き出した。


 練習の邪魔をしないようにぐっと我慢していると、ボソッと言う声が聞こえた。


「細かいところがぼやけている。内蔵とか代謝とかの状態はすごくよくわかるけど、作用が鮮明に()えるとはとても言えないよ。やっぱり感知を持ってないと無理なんじゃないの?」

「そんなことはないと思うけど。誰でも自分の作用の働きは()られるでしょ。それと同じよ」

「うーん」


 またうめき声が出ると、後ろから呼応するように小さな欠伸(あくび)が聞こえた。

 あらら? 起こしてしまったかしら。


「それに、ペトラは素質があるのよ。力絡(りきらく)はくっきりと()えている?」


 首がわずかに縦に動いた。

 

 こちらを向いたペトラと目が合う。


「前から思っていたんだけど、お母さんの手ってすごく柔らかいよね」

「はあ?」

「マヤの手と同じくらい……いや、もっとかな」

「それって、わたしが子どもだと言っている?」

「そうじゃない。でも、不思議だなって思ってさ。何か秘密がある?」

「そんなに違う?」

「まったく」

「産まれて1年ちょっとのようなものだから、確かにマヤより若いかもね?」


 大きな吐息のあと低い声が続いた。


「やっぱり、お母さんのようにケタリじゃないとだめなのかな」

「全然関係ないと思う」




 ペトラの中に何度も入ったからよく知っている。彼女には繊細で鋭い感覚が備わっているし、陰陽でしかも経路が二つあるくらいだからできないはずがない。

 少し考えてから言う。


「じゃあ、両手を使ってみる?」

「両手?」

「感受帯を広げたほうが格段にやりやすくなるはずよ。とにかく一度どう()えるのかを知って覚えてしまえば、そのあとは離れてもすぐにわかると思うけれど……」

「……いいの? お母さん?」


 ため息をついた。


「ほかの人にはできないでしょう?」

「うん」


 さすがに両手は無理だわね。

 打ち合わせのホックを外していく。ちょうど両方とも前明き。


 震えるような忍び笑いが伝わってきて、手を止める。


「どうしたの?」

「いや、こんなところをシャルに……」




「カレンはペトラのおかあさんなの?」


 後ろから弾むような声が響いた。

 ビクンと体を震わせ大きなあえぎを漏らしたペトラが、ガバッと頭を起こしたかと思うと目をまん丸にした。


「マヤ! いつからそこにいたの?」

「お昼寝してたの」


 ペトラは慌てたように手を引っ込め、カレンからさっと離れた。

 カレンは体を起こし、ペトラが隣に座れるように、ソファの端に腰を寄せた。

 にもかかわらず、立ち上がったペトラは隣のソファに移動して座った。


「そ、そうなんだ。でもまだお昼にもなってないよ。何でこんなところで……いや、ここが居場所だった……」

「なにしてたの?」

「何って……」

「さっきの。いいことあるの?」




 珍しくペトラが困ったように黙ってしまったので助け船を出す。


「こちらにいらっしゃい、マヤ」


 マヤは走ってくるとカレンの前に立った。

 マヤを少し引き寄せ、体を屈めて彼女の胸に耳を当てる。


「こうやって耳を澄ますとね、マヤがどんな子かわかっちゃうのよ」


 疑い深い声が聞こえる。


「そうなの?」

「あら、本当よ」

「……それで、なにがわかったの?」

「マヤはペトラとー……フィオナも好き。それにお絵かきがすごく気に入っているのね」


 頭上からクスクスと笑い声が響いた。


「あたしの絵を見たのね?」

「まだ見ていないわ。見せてもらえる?」

「うん、いいよ」




 マヤはパッと体を離すとソファの後ろに駆けていき、しばらくごそごそと動き回っていた。それから、かき集めた紙の束を持って再び現れた。


「どうしてフィオナは来ないの?」

「もう何日かしたら帰ってくると思うわ」

「これはね……フィオナにあげるの」

「とってもすてきな絵ね。フィオナもきっと喜ぶわ」


 渡された図画を一枚ずつ見ていると、マヤが首を傾げながら言った。


「カレンのも聞きたい」

「……いいわよ」


 絵をそろえてテーブルに置いた。スカートの裾を引っ張り広げてから、マヤをよいしょと膝に抱き上げる。そのまま背中のクッションにもたれかかる。……ふう。




 彼女は思っていたより重い。

 こんなものなのかしら。それともわたしが疲れているだけ?

 向こう側のソファを見れば、ペトラが気の抜けたような顔をしてだらんとなっていた。そんなにショックだったの? ちっとも気にすることないのに……。


 耳を当てていたマヤは、むくりと起き上がり眉をひそめた。


「なにも聞こえない。……おねえちゃんのまねしていい?」


 彼女が初動するのはまだ何年も先。この(とし)で作用が使えないのはあたりまえ。


 それでも小さいころに訓練を積み重ねるのは大事かもしれない。お母さんの養成所ではどうやっていたのだろう。力髄(りきずい)とか力絡(りきらく)の場所もきちんと教えたほうがいいかしら。どうしたらいいかわからず考えあぐねてしまう。


 それでも、期待を込めて見上げる真夏の空に日の光を映す深い瞳と向き合えば、おのずと結論にたどり着く。




「それじゃあ……」


 何から説明すればいいかしら。


「……こうしようか。マヤの手は小さいから両方の手のひらをそろえて練習するの」


 何はともあれ感受帯は大きいほうがいい。


「こう?」

「そうよ」


 答えながら明きを広げる。


「それはなに?」


 マヤが何を指さしているのかは見なくてもわかる。


「お守りよ。マヤも持っているでしょう?」

「うん。ひとつ」




 ペンダントと符環を引っ張り出して邪魔にならないように肩の後ろに回した。マヤの両手を引き寄せて、まずは真ん中に当てる。


「マヤの手はとても温かいわね。さてと……ここには心臓があるの」

「しんぞう? ああ、ドックン、ドックンするやつ?」

「そうよ。そして……」


 彼女の手を左側の下までずらす。


「この下にもうひとつ別の……()っちゃな心臓みたいなのがあるの。力髄というのよ」

「りきずい?」

「ええ、作用者の要であって作用を(つかさど)る精媒を持っている。そして、わたしたちの体が生み出す精分は、力髄を維持するとともに、周りから取り込む精気を糧として作用を生じさせ、それが力絡を流れていって、最終的に力となって発動するの」

「……わかんない……」

「え、えーと、つまり、力髄というのはわたしたちの根源であり、とても大切なものなの。命そのものと言ってもいいわ。でも、マヤには少し難しすぎたわね」


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