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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第2章

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219 帰還への道

 日が昇ってくると、カレンは目を細めて見回した。


 夜には月の淡い光の下で白っぽい大地としか見えなかったものが、今は上から見た雲のようにふわふわとした細かい綿毛が広がっている。

 当然ながらこの高さからはトランサーそのものが判別できるわけもないので、何も知らなければただの幻想的な一景色にしか思えない。


 ペトラの飛翔術も少しは上達したのじゃないかしら。こうやってまっすぐに飛ばしている間は、もうあまり干渉する必要もない。たぶん、手を離していいのではないかしら。

 彼女の手首を握っていた右手を少しゆるめる。

 ペトラがこちらをちらっと見たので、目を合わせる。彼女がかすかにうなずいたので、思い切って手を離してみる。


 ペトラはこちらに手を伸ばしたままでいたが、彼女の破壊作用に変化は感じ取れない。かなり弱い作用が滞りなく流れているのを感じて安心する。

 反対側に目を向けると、エメラインがこちらを見ていた。手を離したのには気づいたようだけれど、特に異議はないように見える。


 安心して目を閉じる。疲れた。しばらく休ませてもらおう。



***



「カレン?」


 そっと呼ぶ声にピクリと目を覚ます。これほどあっさり目覚めたのは久しぶり。


「お疲れとは思うけど、でも、もうすぐ壁に着くから」

「はい、平気です。メイは大丈夫?」

「このとおり。もう元気です」


 とてもそうは見えない。ものすごいやつれようだ。


 あれから休まずにずっと船を飛ばし続けてきたペトラとエメラインも無理しすぎている。早く戻らないとここで遭難してしまうかもしれない。


 眼下には登り斜面が見えている。勾配が急になってきた。もうすぐ。

 斜面の横穴の中もトランサーでいっぱいなのが見える。白くなったことで斜面に散らばる釦のように、くっきりとわかるようになった。

 この横穴のトランサーは、地上とは関係なく穴を進んでいるのは間違いない。つまり、トランサーが増え続ける限り、大陸の地下は掘り尽くされることを意味している。


 早くこの補給を停止させなければならない。

 斜面を通り過ぎ平地に差し掛かる。

 しばらく進むとエメラインの声が聞こえた。


「壁が消えている……」


 カレンは顔を上げて前方を見た。ここからではよくわからない。




 エメラインの声に反応したのか、メイが偵察席のほうに移動していく。カレンも追いかけた。


「あの光が全然見えないわね。それに、ほら、あそこで白い大地が途切れているでしょ。たぶん、あそこが壁の位置だと思うけど」

「メイ、遮へいをお願い。あそこに少し近づいてみたいの。エム?」


 カレンは席に戻ると、こちらに伸ばしてきたペトラの手を握る。


「降下します。ペトラ、少しずつ流れを閉じて……そう、その調子。下のやつらを刺激するのは避けたい。ゆっくりと……。次は旋回する。制御はこちらだけでするからそのまま」


 空艇は壁のあったあたりを回りながら降下する。


「メイ、トランサーの分布はどうなっていますか?」

「特に方向性はないように見えるけど。あ、今出た表示によれば、徐々に移動しているみたい」

「南に?」

「そう」


 エメラインが首を振った。


「まあ、北から押し寄せてくるんだから、南に向かうのは当然だが、問題は速度。壁のあるときより速ければ意味がない」




「向こうに空艇が見えるよ」


 ペトラの指摘に、横の窓を見る。確かに遠くに船が見える。壁を取り払った結果を確かめているのだろう。


「着陸しているみたいだね」


 片手で単眼鏡を取り出して(のぞ)いていたエメラインから信じられない言葉が飛び出た。


「人が見える。外に出ているようだ。無謀な。いくら遮へいすれば大丈夫だとわかってはいても、わたしなら出ない」


 トランサーとじかに対峙する。

 確かフランクもトランサーの中を歩いたと言っていたが、彼の話には少し引っかかることがあった。


「その外に出た人は何をしているの?」

「よくわかりませんが、トランサーを調べているのではないでしょうか。かがんで何かやっているようです」

「まさか、持って帰るつもりじゃないですよね」


 とても嫌な予感がする。


「ここからではよくわかりません」




「第三形態のトランサーのことはあまりわかってないのよ。うかつに接触しないほうがいいと思うの。エム、向こうにそう伝えたほうがいいわ」

「この船は軍用ではないので、ここにある通信機ではつながりません。あそこに行って直接話すか、指令所から連絡するか」


 メイがちらっとこちらを見た。


「あそこで余計な刺激を与えるのはやめたほうがいいわね……」

「わかったわ。エム、急いで帰りましょ。この件は戻ってアレックスに話したほうがよさそう」

「わかった。それじゃあ、まっすぐ移動するよ」


 まもなく、ゆっくりと走る庇車(ひしゃ)の一団の上を通過する。どうやら、すべての機材を移動させているようだった。

 しばらくすると、丘の上に広がる基地の輪郭が見えてきた。


 まもなく指令棟から少し離れたところに着陸する。日をまたぐ前に帰ってこられてよかった。

 (こわ)ばった足を伸ばして立ち上がる。


「みんな、お疲れさま」

「小型艇だと交代する人がいないのが困る」


 感想だけは述べたもののペトラはまだ動けないようだった。


「長距離も可能な船とはいえ、ふたりだけで何日も飛ばすものじゃありません。普通、こんな無謀な飛行は絶対にしません。覚えておいてくださいね」

「はーい」




 建物から何人か出てくるのが見えた。

 先頭を歩いてきたザナに抱きしめられる。


「無事でよかった。今日中に戻らなければ捜索に行こうと思っていたところよ」

「心配かけてすみません。向こうで思っていたより時間がかかっちゃって」

「そう? どうやら目的は果たせたようね」

「ええ、一応は」

「不満そう。問題があったのね」

「わかります?」

「顔にはっきりと書いてあるわ。まずは少し休みなさい。ほかの人たちも憔悴(しょうすい)しきっているじゃない。やはり、普通の船を出したほうがよかったんじゃないの?」

「ええ、そうかもしれません。三人に限界を超えて負担をかけちゃいました。食事とベッドのある部屋をお願いします」

「もちろん。さあ、こっちに」




「戻る途中で、空艇が着陸しているのを見ました」

「ああ、偵察に出しているの」

「何人か外に出ていたようだけど、トランサーに接触するのは避けたほうがいいと思う」

「ん? 接触? それはまずいな。すぐに連絡しよう」


 ザナはフィルを呼んで今の話を伝えた。


「それで、この後はどうするの?」

「レタニカンに帰って、イオナが来るまで待って、それから……イリマーンに戻ります。ケイトたちを取り戻さないと……」


 ザナは顔をしかめた。


「もう少し教えてちょうだい」

「わかりました。いろいろ相談もしたいですし」


 歩きながら見上げる。暗くなった空にすでに半分欠けた月が昇っていた。

 ぐるりと体を回すが見慣れた黄金色に輝く壁はもはや見当たらない。あの光がなければトランサーがどこまで侵攻してきているのかわからないことに気づいた。

 ひたひたと迫る見えない脅威。急がなければ、移住前に本当にこの大陸は消滅してしまう。


「カレン! いつまでも外にいると凍えるよ」

「はーい、すぐに行きます」


 もう一度、星が(またた)き始めた天を仰いでから、早足で建物に向かったところまでは覚えている。


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