216 ケイト
もう一度横になる。
今度はそれほど時間をかけずに眠りに引き込まれていった。
もうおなじみの闇夜の世界にポツンと立っているのがわかる。
ぐるりと見回すがもちろん何も見えない。これも同じだ。何をしに来たのかを考え始めるやいなや、遠くに光がポンと出現した。その唯一の目標に向かって歩き始める。
走って時間を節約すべきか迷っていると、ただの点だった黄色い光が急に輝きを増しそれから白く膨れ上がる。明るくなった球体があっという間に迫ってきた。ぶつかると思った瞬間に目を閉じる。
何も起きない。左目をちょっぴりあけてみる。
すぐに白い世界が見えた。驚いて、もう一方の目もぱっと開くと、目の前に光の輪が踊る。ここでこんなに明るいのは初めてだわ。
あっという間に光の輝きはおさまり自然の明るさとなる。
一度だけ、このような場所に存在したことがあったっけ……。そう考えている間にも、周りの世界が何となく色づいてくるのを目の当たりにして、知らずに言葉が漏れる。
「色が……ある」
この世界にも色があった。これまで、この空間は光以外は白黒の世界だと思っていたがそうではなかった。
体をくるりと回してあちこちに目を向ける。まだ、全体に霧がかかっているが、何となく想像できる景色は草原と空だ。間違いない。
「レン!」
はっきりとした声にぱっと振り向くと、目の前には、鏡に向き合ったかのように自分が存在していた。向こう側の顔に笑顔が広がる。
いや、これは自分ではない。
「お帰り、レン」
視線の先に見える服には見覚えがある……。あの写真だ。
ふたりでおそろいのかわいらしい橙色の服。でも、これは小さいときのものだわ。そこでハッとして見下ろすと、自分も同じ服を身につけていた。
これはどういうことだろう?
「レン、迷った?」
「……少し。あっ、ただいま……ケイト」
鏡の中の自分が何度も首を動かすのを見ると変な気分になる。
あたりを見回すが、ここに存在しているのはケイトだけだった。ほかの人たちはどこにいるのだろう?
突然、名前が浮かび上がってきた。
「ラン?」
「はい。さあ、こっちに来て座って」
いつの間にか草原に木のベンチが現れケイトがすでに腰掛けていた。
カレンは腰を降ろしながら疑問を口にした。
「ねえ、ランにはわたしがどう見えているの?」
「ん? そうねえ、あの日、最後に話をした朝、そして、レンが眠ったまま帰ってきた時と同じ。あたしと同じ服を着ている。これには覚えがある。小さかったころ……」
ケイトにも同じような姿が見えているようだ。この世界では、それぞれが作り出した姿を見ているのだろうか。
「わたしは……ケイト、ランのことを、それに、お母さんやお父さんのことも覚えていないの。目覚める前のことは何も……。それに、目覚めた後のこともだいぶ忘れてしまった……」
「ごめん、レン」
「どうして謝るの?」
「あんたを眠らせるべきじゃなかった。残った記憶を全部失うかもしれないとわかっていたのに。この計画は止めるべきだった……。それに、目覚める時には側にいると約束したのに、ごめん」
カレンはケイトの横顔をじっと見て、何か知っていることがないかと頭の中をむなしく探し回った。
「わたしは自分の意志で時縮を使ったのよね? そして眠りについた……」
ケイトはこくりとうなずいたが、そのあと顔を回してこちらを見た。
「でも、本当はもっとあとに始めるはずだったのよ。あんなに急に……」
そうだ、時間……。
「ねえ、ラン、わたしは聞きたいことがいっぱいあるの。お母さんやお父さんにも会いたい。でも、わたしがここにいる間にどれくらいの時間が過ぎるのかしら? あまり長居はできないのだけど……。メイがひとりで頑張ってくれているの」
「あの子たちはどうしてる?」
「元気よ、ふたりとも。今までいろいろ助けてもらったの。ミアはお母さんとランに感謝していると言ってました。ふたりも一緒にこっちに来られるといいのだけど」
「それは無理よ。あんたとあたしだからできること」
そう言うとケイトは首を少し傾げた。
「あたしたちがこっちに取り込まれてからどれくらい? レンがここに来たということは、少なくとも二年はたっているはずよね」
「わたしが目覚めてから一年以上たつの。だから、ランたちがいなくなってからだいたい三年」
「三年か……。こっちの時間は案外早いのかもしれない……」
「そうなの? だとすると急いで話を……」
「レン、よく聞いて。エレインもトーマスもレンと話はできない」
「えっ、どうして?」
「こっちに取り込まれて時間がたつと外界と接触することはできなくなるの」
「でも、こうやってわたしはランと会っているじゃない」
「あたしたちはつながっているから。それに、レンがあたしを引っ張り上げてくれているのよ。おかげで海の中から顔を出して話ができている。そうじゃないと無理」
「それじゃあ……会えないの?」
「うん。……エレインは自分の部屋に記録を残している」
「それは見た。だからここに来られた」
「筆記帳の裏を見るようにと言っている」
「うら?」
「そうよ。それから、レンのために新しく作ったペンダントで……」
「うん。みんなのペンダントを使って、両方の家を見つけて入れた」
「役に立ったのね、トーマスの作ったものが。符丁に地図を仕込むなんて、まあ、ああいう仕掛けを考えるのが好きだから……彼は。それで、レンのペンダントを使えばレタニカンにある空艇をひとりで飛ばせるから」
「えっ? そうだったの? 実はあれに乗ってここまで来たのよ」
「それでね、フランクが教えてくれたの。あんたが記憶を全部失って目覚めたことは」
「フランク? ああ、でも、あの人は一年前に……」
「彼はここにいる」
「えっ、どうして?」
「あたしたちが帰らないので、ディオナはフランクを呼び寄せた」
「ディオナ?」
「ナンのお母さんよ」
「ナン……ザナのことね?」
「そう、ザナンよ。彼女にはもう会った?」
「会ったわ。でも、彼女は……」
「わかってる」
「……わたしは、記憶がないまま、気づいたらロイスの家にいたらしいの。しゃべることすら忘れていたみたい」
「たぶん、ディオナが連れていったのよ。あたしたちは、時縮を使っても、少なくともレンの眠る前の記憶はそのまま保たれると思っていた。あんたにとってはたかだか十日だから」
カレンは首を横に動かした。
「ごめん、レン、本当にごめん。こんなことになるんだったら、実行すべきじゃなかった」
「あのね、ラン。イリマーンで、カムランの館で眠っているランたちを見たわ。あれは、まるで、時間が止まったみたいに寒々しい場所……」
「それじゃあ、イサベラにも会ったのね?」
「うん。本当に彼女は……」
突然ケイトがニヤッとした。
「あたしもびっくりして卒倒しそうになったわ。イサベラの父親が、あたしをイサベラの母親だと断言した時には。まったくもう、レンは……」
あのディランの何かを求めるような目、それにイサベラの存在。
それだけで、あのときに何があったのかはおよそ想像はつく。
「それは……」
「いいの、それ以上言わなくても」
「……つまり、わたしが何をしたのかをランは知っているのね?」
「もちろん知らないわ。パムが真っ青な顔をして走ってきたことしか」
「パムって?」
「パメラ、イリスの」
「えっ? ランはパメラさんと知り合いなの?」
「パムはレンのことが大好きだったわ。紫黒の海でレンがパムを助け出してからというもの、レンを崇拝してたわ。それで、あんたの無理な頼みも引き受けてくれたと思うの。でもね、あの時は本当に危なかった。もう少しでふたりとも死んでしまうところだったのよ」
パメラを助けた? ふたりともトランサーの海に足を踏み入れたということ?
「とにかく、あの日もレンはパムを迎えに出かけたの……。あんたたちは三日も行方がわからなかった。彼女がレンを助けてと駆け込んでくるまでは。結局パムはその後もあの三日間に何があったのか一言もしゃべらなかった」
「わたしはランに何と言ったの?」
ケイトは悲しそうな顔をした。
「あたしたちがパムに連れられて行った時には、レンはすでに眠りについていた。時縮作用をかけてしまったことはすぐにわかったわ。でも、どうしてそうなったのか、何で予定より早く実行しなければならなかったのか理解できなかった。だって、眠りにつくのはお互い子どもが産まれてからのつもりだったでしょ。それなのに、一年も早くいなくなるなんて」




