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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第2章

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215 呼びかけ

 カレンは受け身で周囲を監視していた。

 船の黒い影が下に広がると、トランサーに動きが見られた。

 メイから安堵の声が聞こえる。


「移動してるわ。空き地ができていく」

「この船を避けているのかしら」

「よし、このまま着陸する。ペトラ、もっとゆっくり」


 着陸の瞬間に少しだけ振動があったが、そのあとは静かになる。

 トランサーは襲ってこない。


「こちらにまるで関心を示さないな。どうやら、うまくいったようだ」


 エメラインはゆっくりと立ち上がると周囲を見回した。

 窓の外を見たメイがうなずく。


「空き地の大きさが効果の範囲だと思う。なら、もっと弱くしても大丈夫そう」


 しばらくたってメイから満足そうな声が出た。


「これくらいかしら。この程度ならほとんど力を使わないから一晩中続けても問題ないと思う」


 遮へいは弱い力でもトランサーを防ぐことができる。防御なら全力を出す必要がある。すなわち精気の少ない場所に長時間滞在できる。


「それじゃあ、ここで少し休憩しましょ。メイ、しばらくお願いね」

「わかったわ。たっぷり休んでちょうだい。何かあったら起こすから」


 ペトラが手首をぐるぐる回しながら言った。


「飛翔術はすごく疲れるね。エムは大丈夫なの?」

「コツがわかると、途中で力を抜くことができるようになります。そうじゃないととても半日交替で飛行するのは無理ですから」

「そうだよねー。わたしは、ちょっと横になる」

「エムも休憩してちょうだい。まだ、先は長いんだし」

「わかりました。それではしばらく眠ります」

「メイがいれば目的地に長居できることがわかったわ。これで一安心」



***



 日が傾いてきたころ、再び出発する。

 元気になったペトラとエメラインによって空艇は快調に前進する。

 太陽が沈むと眼下には幻想的な風景が広がった。暗い月明かりの下で、白っぽい世界に細かい灰色の模様が浮かび上がる様は、とても小さなトランサーの集合体とは思えない。

 月の光を反射してゆるやかに波打つ姿を見ていると、別世界にいるように感じる。


 夜になっても、トランサーから上がってくる波動はほとんど意味をなさない。

 月が高く昇るにつれて、地面に描かれる明暗が変化していく。しばらくその移ろいを眺めていたカレンは、ハッとして視線を地上から引き()がす。


 前のめりになっていた体を起こすと、目を閉じて座り直し背中を椅子につける。

 そろそろ目的地に近づいていることを感じた。


 メイとエメラインが小声で話しているのが聞こえる。しばらくじっとしていると、声も空艇から伝わるかすかな振動も消えていく。その状態で待つ。

 ついに、無音の世界に包み込まれた。



***



 突然、頭の中に声が形作られた。


「レ、ン」


 最初はほとんど聞き取れなかった声が、すぐに明瞭になる。


「レン」

「ケイトなの?」

「やっと来たのね、レン」

「この前よりはっきりと聞こえるわ」

「すぐそこに()えるから……すごく近い、もう少しよ。ここまで……」


 しばらく声が途切れた。

 今度は周囲が見えるようになった。少しだけ明るい霧の中。この光景も記憶にあった。

 あれはいつだっただろう? だんだん霧が晴れてくる。

 そして、再び声が届く。


「もう少しよ、レン」

「どっちかわからなくなった。どうしたらいい?」

「そのままでいい。とても上手よ、ここまで来たら教える」

「うん、わかった」




 ケイトから合図があってすぐに、つながりが失われたのを感じる。

 あっという間に周囲が闇に包まれ、もとに戻ったことがわかる。

 カレンはぱっと目を開くと、フーッと息を吐き出した。頭を回すとペトラとメイがこちらを心配そうに見ているのに気づいた。変なところを見られたかな。


「わたし、何か言ってた?」

「いや、ぜんぜん。また、意識を失ったのかとびっくりしただけ」

「よかった。着いたわ。ここで下に降りる。メイ、出番よ。今度は長くかかるかも」

「大丈夫よ、カレン。十分に休んだから。さあ、いいわ。降下してちょうだい」


 今度は、時間をかけずにどんどん降りる。

 地面がすぐ近くになってから速度を落とす。前と同じように、眼下のトランサーが逃げるように移動を始めた。踏み潰されるのがわかって動いているのかしら?

 最後は、静かに着地しずっと感じていた空艇からの振動が止まる。


 急に世界が無音になったかのような静けさが漂う。窓から見えるなだらかな景色は、月にほのかに照らし出された灰白色の別世界だった。

 しばらくして、ペトラがぽつりと言った。


「それで、ここが原初(げんしょ)なの?」

「今度は大丈夫。ケイトが導いてくれたから……」




「さて、それじゃあ、ケイトと話ができるかやってみる。本当はメイも一緒に行けるといいのだけれど」

「わたしは大丈夫。元気にしているとだけ伝えてもらえる?」


 カレンはうなずいた。


「それで、どうやるの? まさか、外に出る必要はないよね」


 ペトラは鼻にしわを寄せた。

 ゆっくりと首を振る。


「場所は関係ないの。ふたりの間の距離だけが問題だと思う。これまで、お互いが認識できたのは、何というか夢の中だけ。さっき、わたしが意識を失っているんじゃないかと言ってたでしょ? あのような状態にならないと彼女とは話ができないの」

「つまり、ここで失神するの?」

「何か変な人みたいに聞こえるわ。わたしにとっては単に眠って夢の中で目覚めるといった感じなのだけれど」

「なるほど。ここでしばらく寝るということ……」


 うなずく。


「大丈夫よ。周囲のトランサーは遮へいしている限り襲ってはこないから。もし、何か変なことになったらすぐに起こしてちょうだい」

「ずいぶん行き当たりばったりだけど、まあ、わかった。いいよ、寝て」




 カレンは、椅子を倒して横になる。といってもすぐに眠れるわけではない。

 緊張しているせいかな。いつまでたっても夢の世界に入れない。

 しばらく、眠ろうと努力したがこういうときに限ってうまくいかない。


 カレンが目をあけると、こちらを見下ろしているペトラと目が合った。


「会えた?」

「……眠れない……」


 ペトラは何度もうなずいた。


「そうだと思った」

「どうしよう? 時間がかかるとメイの負担が大きくなってしまう」

「わたしは大丈夫よ。真夜中は過ぎたけど、わたしは眠くないから」


 カレンは空を見上げた。月はすでに違う方向にあって高度も低くなっていた。反対に目を向ければ星がたくさん(またた)いている。そっとため息を吐く。


「薬がいる?」

「あるの?」


 ペトラは手を出した。手のひらに二つの小さなカプセルがのっていた。


「ここの医療キットにあったのはこれだけ」


 カレンは手を伸ばしたがその前に、ペトラがぱっと手を閉じて引っ込めた。


「これを飲めばしばらく起きられなくなる。トランサーの襲撃にあっても、カルが目を覚ましてくれないと船を飛ばせないのはわかってると思うけど」


 カレンは手を差し出したままペトラの顔を見つめた。


「カルが異世界にいる間の時間は、こっちと同じなのか違うのかが、すごく気になるんだけど。ケイトがこっちの時間経過をわかってくれるといいけど」


 カレンはうなずいた。


「うん、向こうに行ったら、ケイトに聞いてみる。できるだけ早く戻るようにするけど、いざとなったら……頑張って何とかして。ペトラならできるから、大丈夫よ」


 顔をしかめたペトラは、それでも手を開いてこちらに出した。


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