212 守り手
ザナは驚いた。突然カレンから連絡があったのは一昨日。
これほど早くに戻ってくるとは考えてもいなかった。レタニカンにいるという。
急にロイスからいなくなってまだ十日にもなっていない。行きはイオナの空艇を使ったのだろうけれど、ワン・オーレンからウルブ6までは海艇だと四日か下手すると五日かかるはず。
いやに早い。
何かあったに違いないと思ったら、案の定トランサーについての話だった。
遮へいすればトランサーから攻撃されないかも、という話に最初はピンとこなかった。
エネルギー性を持つトランサーからの攻撃を防ぐ一番確実な方法は、防御フィールドを展開してトランサーを消滅させることだ。
一つひとつ攻撃して破壊するより安全で確実。
誰も防御作用なしにトランサーにわが身をさらすことなど考えもしなかったし、正軍も作用者を伴わずにトランサーの群れに突っ込むなどあり得なかった。
すぐにアレックスと相談し、この情報が本当かどうかを確かめることになった。
基地に残っているフィルと連絡を取り、庇車に配備している空艇まで遮へい者を何人か連れていってもらう。
遮へいされた空艇は壁を越えてトランサーの群れに近づいた。
防御フィールドなしでトランサーの海の中に降りるなど、正気の沙汰ではないとフィルはあきれたが、それでも危険な任務を遂行してくれた。
結果は実に衝撃的なものだった。こんなに簡単なことにどうして誰も今まで気づかなかったのだろう。
トランサーが作用で造られた壁そのものに引き寄せられて、ひたすら攻撃を続けているのだとしたら、壁の存在自体が間違っていたことになる。
壁がなくなれば、トランサーはこちら側に向かってこなくなるかもしれないとフィルが言ったが、さすがにそれはないと思う。
今後もまた、トランサーは北の大地でどんどん増え続けるだろうし、増加すればその勢力範囲が広がるのは必然。結局、南下も止むことはないだろう。それでも、壁が存在しなければ執拗に南を目指すのはなくなるかもしれない。
それに、大群は大地そのものを破壊している。地下深くで広がっているトランサーの数は地上より遥かに多いはず。結局のところいつか、この大陸はトランサーの海に飲み込まれてしまう。もはやそれは避けられない。
それでも、壁を維持する必要がなくなれば、その人員と資源を移住作業に振り向けることはできるだろう。これで脱出計画が加速されればいいのだが。
しかしその前に壁を取り払うことを三国が同意しなければならない。
壁を越えた実験の結果を知るとすぐに、アレックスは四軍から関係者を緊急招集し会議を開いた。17軍とオリエノールの北方部隊から実務担当者にも来てもらった。
ウルブ7の近くに展開していた庇車は、カティアの指揮の下、すでにカルプの北十万メトレのあたりまで押し返して、混成軍との接続に入っている。すぐそばまで迫っていた海は、トランサーが固化している間に何とか押し戻せた。
これもカレンとほかの人たち皆の頑張りのおかげ。
とにかく、これでウルブ7の危機は当面回避され、非常事態を宣言することにならずに済んだ。カティアは面倒な調整作業を終えてすでに戻ってきている。
シラナ河からこちら側の、17軍、混成軍、それにオリエノールの全部隊で以前のように一続きの壁を維持している。
壁を取り払うとしたら、すべてのブロックに遮へい者を配置して同時に実行しないと意味がなかった。
この方針は三国の間であっさりと合意され、すぐに準備を始めることになった。
混成軍の面々を前にアレックスは語った。
「これが成功すれば、庇車も作用者も前線には必要なくなる。少なくともしばらくの間は」
カティアはうなずいたものの、すぐにアレックスの含みのある言い方を理解したようだ。
「つまり、地下を進んでいるトランサーの動向しだいということね。あたしの考えでは、庇車はここから半分くらい下げたこのあたりに待機させておくのがいいと思う。それに、地下のトランサーの移動状況を常に監視しておく必要があるわ」
「賛成だ。壁を消ししだい作用に関係あるものはすべて遠くに下げる。その上で空艇を使ってトランサーの様子、特に進行速度を定量的に測る。幸い、混成軍には遮へい者が大勢いる。全部の空艇を長時間運用できるだろう」
「遮へい者にもやっと出番が来たというわけね」
「計測が終わったら、その後の監視作業は全部正軍にやってもらう。ここは、レナードとマリに引き継ぐことにした。むだな刺激を与えないためにも、作用者がトランサーの勢力範囲へ立ち入ることは禁止する」
フィルがぼそっと口にした。
「それで、われわれはどうすればいいんです? 失業ですかね」
「それも悪くないですね」
セスの声はあまりうれしそうでなかった。
「いいか、トランサーはどんどん増えているから、おそらく今後も南下が止まることはないだろう。もし、移動が早まったら時間を稼ぐためにも再び壁を築くしかない。庇車は地下の進み具合に合わせて南下させ待機させておく」
アレックスは全員を見回しながら言った。
「とりあえず、力軍はそれぞれの本国に帰し、正軍も大幅に縮小することを進言しようと思う。それでも、混成軍に属する者は当分、予備役扱いだ。再び招集されることもあると覚悟しておいたほうがいい」
***
その晩、カレンたちが空艇で到着した。
小さな船から下りてきた面々は、カレン、ペトラ、メイにエメラインの四人だけだった。
ということは、ペトラが飛翔術を少しは扱えるようになったのかしら。いや、それよりも、カレンが動かしたというほうが現実的ね。
カレンはまっすぐこちらに歩いてきたが、残りの人たちはまだカティアたちと話をしている。
「遅くなりました、ザナ。この前はすみませんでした。勝手にいなくなって……」
「イオナと一緒だと聞いて心配したのだけど、どうやら取り越し苦労だったみたいね」
「はい。イオナは……とてもいい方でした」
「ねえ、カレン、あなたにかかればほとんどの者はいい人に分類されるわ」
「そ、そんなことはないと思いますけど」
「まあ、カレンらしいけど……」
カレンはうれしそうに続けた。
「それに、イオナにオベイシャはいなかったの」
「それは……ちょっと意外だわ」
だとするとやはり、フィオナはカイルのオベイシャか。だが、それにしては……。
「あのー、お話ししたいことがあるのですが……」
カレンの目はまだ向こうにいるペトラたちに向けられていた。
「……ふたりだけで?」
「はい」
「それなら……わたしの部屋に行こうか。あそこなら邪魔は入らないから」
カレンがうなずいたので、あとの段取りはセスに任せて住居棟に向かう。
「遮へいの効果はちゃんと確認できた。確かにカレンの言うとおりよ。これで状況が変わるかもしれない」
「よかったです。全部ミアのおかげです。彼女が見つけてくれたんです」
「そうね、とにかくミアが生きていてよかった」
カレンを自室に招き入れると椅子に座るように勧めた。
ところが彼女は、部屋の一角を占拠しているテーブルにまっすぐ近寄るとその前にかがみ込んだ。
「うわぁー、すごいですね。ザナの部屋にこんなものがあるとは思ってもみませんでした」
「……やっぱり変かな……」
カレンは振り返ってこちらを見上げた。
「全然変じゃないです。かわいい……。こんなによく集めましたね」
「あちこちで手に入れた物の寄せ集めなのだけど……」
「とても寄せ集めには見えませんよ。本当に小さくてかわいらしいものが好きだったのですね……」
ナタリアには変わった趣味だとさんざんけなされたが、カレンが今でもこんなに食いつきがいいとは思わなかった。たとえ記憶を全部失ったとしても、カレンの本質は昔のままで変わらないことを知り安心する。
これを始めたのはカレンと暮らしていたときだった。
「……楽しそうですね。こういう小さな世界を作るのって。あら? ここにあるの、何となくシアとティアに似てません?」
慌てて部屋を見回す。ティアが留守でよかった。
「ねえ、カレン。それをティアには言わないでね」
「えっ? どうしてですか。こんなにかわいらしいのに」
「それを言ったらティアはしばらくおかんむりだった……」
「あらら。かわいいところがあるじゃない、お堅いティアにも」
「実物のほうがもっとかわいいけどね」
カレンがこちらを見上げる。
「実物?」
「ティアの寝顔」
「ええっ、幻精って寝るんですか?」
カレンの顔には信じられないといった驚きがあった。
「ティアは寝る必要はないと言っているけど、たまに無防備な寝姿を見せるから……」
「そうなんですか? ……シアの寝顔を見てみたいわ」




