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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第2章

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211 第五作用

 夕方、カレンが客間を(のぞ)くと、すでに点滴の終わったミアがメイと話をしていた。


「ミア、具合はどうですか?」

「一眠りしたら少し気分がよくなったよ」


 カラカラという音がしたと思ったら、ペトラが運搬車を押しながら現れた。何を始めるのかしら。


「あっ、カル、ちょうどよかった。手伝ってくれる?」

「何をするの?」

「湯浴み」

「えっ?」


 代わりにメイが説明する。


「あのね、カレン。お姉ちゃんはひと月、というか実際は二年だけど、入浴してないから……」

「体を清潔にするの。こっちに移すのを手伝って。メイは真ん中、カルは足を持って」


 ペトラに手で指示される。

 ミアが慌てたような声を上げた。


「ちょっと待て。湯浴みなら自分で……」

「満足に動けない状態では無理でしょ。わたしは医術者よ。これは医療処置です。それに、お父さんがここに来るんでしょ。きれいにしないと。とてもこんな姿は見せられない……」

「いや、でも……」

「メイはミアの妹だし、カレンは……まあ、母親だから……気にすることないわ」




 観念したミアを医務室まで運び入れると、すでに沐浴の準備がされていた。

 ここにこのような設備があるのに今まで気づいていなかった。もしかして、わたしも眠っている間に処置されたことがあるのかな。


 あの日から着たままの服をメイとふたりがかりで脱がせる。ミアを寝かせた台を薬槽にゆっくりと沈め、ペトラに渡された柔らかいスポンジを使って足を洗う。

 ペトラが頭を支えながら言った。


「これをくわえて目を閉じてください。頭も入れますから」


 髪と顔も含めて全身をきれいにしたところで台を引き上げる。驚くことに、ひと皮むけたように肌が白くなっていた。

 全身をタオルで拭きながら気づく。


 ミアは髪が伸びた以外に具合が悪そうなところは見当たらない。

 加速された体を維持するための回復術が施されていた。手足の爪もきちんと手入れがされている。

 つまりミアは適切に介抱されていた。このひと月、シアがほとんど留守だった理由がわかった。




 ミアの上半身には傷がまったく見当たらなく、とてもきれいな肌をしている。

 シアが完璧に治したみたい。でも、両足にはいくつか傷が残っていた。


「シアは足の傷を治してくれなかったのかしら」


 そう漏らすと、聞こえたのかミアが答えた。


「ああ、それは古傷だよ」

「えっ?」

「前に話したと思うけど、あたしはしばらく混成軍にいたことがあってね。まあ、初心者がよく犯す間違いさ。隊長にはだいぶ叱られたなー」

「隊長?」

「ザナのことだよ」

「ええっ? ザナと一緒に軍で働いていたのですか?」

「まあね」

「ああ、それで……」




 何とかミアに新しい内服を着せ終わり、再び客間に運ぶ。ベッドの敷布を新しく整えてようやく寝かせることができた。人のお世話をするのは大変な重労働だと思い知った。

 すっきりとしたミアは顔色もよくなったような気がする。疲れたのかすぐに眠ってしまった。


「さてと、次はレオンね」


 ペトラは医務室に戻っていった。入れ替わりにエメラインが帰ってくる。


「整備が終わりました」

「明日も何度か練習に付き合ってください。ペトラには早く上達してもらわないといけないから」

「わかりました」


 レオンの部屋に運搬車を入れながらペトラがこちらを見た。


「エム、ちょうどよかった。手伝ってくれる?」

「はい、何をすればいいですか?」

「これからレオンを移動するの」

「どこに?」

「ほら、だいぶ臭いでしょ。この人を洗浄するのよ」

「洗浄?」


 エメラインが手伝ってくれるならとても助かる。


「沐浴よ、エム」




 大声が聞こえた。


「ちょっと待て! 風呂は必要ない」

「レオン、あなたはとても不潔よ。このままだと別の病に冒される。それでもいいの? それに、こんな汚い格好じゃあ、ステファンにミアの伴侶として認めてもらえない」


 そう言いながらペトラはベッドの上掛けをまくった。


「真ん中が一番大変だから今度はエムが持って。メイは足のほうをお願い。それじゃあ、移すよ」

「自分で……」

「何をばかなことを言ってるの? 医者の命令はちゃんと聞きなさい」

「でも……」

「メイはミアと同じだしエメラインには弟がいる。何も気にすることないわ」

「えっ? そうなの?」


 カレンはエメラインに顔を向けた。


「あ、はい。ふたりいます。母が亡くなってからは世話をしたこともありますが……」

「ちなみに、わたしにも弟がいる」


 意味のないことを言うペトラがこちらを向いた。


「ああ、カルはもういいわ。お母さんでは少し力不足なので……」

「そ、そうよね。では、お願いするわ」


 救われた。カレンはレオンの部屋からさっさと退散して居間に移動した。

 しばらく、レオンの抵抗する大声が聞こえていたがじきに静かになった。



***



 居間でひとりお茶を飲んでいると、エメラインが戻ってきてソファにドサッと腰を降ろした。ずいぶん顔が火照っている。かなりの重労働だったようだ。


「エム、お疲れさま。いろいろとごめんなさいね」


 カップにお茶をついでエメラインの前に置くと、厨房で発見したお菓子を勧める。

 エメラインはのろのろと顔を上げた。


「確かに少しばかり……疲れました。その、精神的に……」

「そうだわ。忘れるところでした」


 立ち上がって近くの棚からスタブの入った小さな袋を持ってくる。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます。本当にいただけるのですか?」

「エムの髪は明るい金髪だから、濃いめのこれなんか似合うと思うのよ」


 ふたりでテーブルの上にスタブを並べて話し合っていると、ペトラとメイの声が聞こえてきた。


「やれやれ、レオンは強情だねえ、まったくもう……」

「彼は意外にうぶね。二年も眠っていたことを忘れていた。エメラインには気の毒しちゃったわ」


 見ればエメラインの顔がまた赤くなっている。


「ミアには口が裂けても言えないな……」


 げっそりとした顔のペトラが居間に入ってくるなり声を上げた。


「それはエムがもらったスタブ?」

「そうです」


 エメラインの口調にはトゲが感じられた。




 気を取り直すと、黒灰と深緑、それに純白のスタブを取り出して並べてみせる。


「この組み合わせがいいと思うわ」

「ねえ、カレン。ちょっと実演してもらえない? カレンがしていたような編み込みのやり方を教えてほしいの」


 ペトラが勢いよくうなずく。


「それ、わたしもぜひ見たい」

「それじゃあ、エム、そこの鏡の前に座って」


 それから、エメラインの髪を()いて整えると、三色のスタブを巻いていくやり方を披露する。

 完成したところで角度を変えて出来映えを確認する。

 わずかに緑がかった白金色に深緑と艶のある濃い灰と白を沿わせた髪は、想像していたとおり流れるような上品さを見せた。


 エドナに教わったようにできたことですごく満足した。

 自分が使うとどうにも子どもっぽくなるけれど、エメラインは……完璧な女性になった。これなら母親のような振る舞いも違和感がない。髪の色や質だけが原因ではなかった。


 ペトラが感心したような声を上げた。


「すごい、エムがぐっと大人っぽくなった……これはすごい」


 そのとおりよ。まったく同意見。つまり、わたしの見方は正しかった。




「ペトラさま? それはわたしが子どもっぽいということでしょうか?」


 まずい。エメラインは端正な顔立ちをしているけれど、あどけなさも兼ね備えている。年下に見られることを心配して、常に気を張っているのかしら。

 慌てて言う。


「それは違うわ、エム。エムはとてもかわいいから誤解されやすいだけなのよ」

「カレンさま、どういう意味でしょうか?」


 彼女の頬がほんのり染まっている。

 メイがころころと笑い声を上げた。


「あのね、エメライン。あなたはとてもすてきな大人の女性だということよ。前から思ってはいたけど、あなたはとってもきれいだわ」


 いたたまれないような様子のエメラインを見て、カレンは急いで話題を変えた。


「ほかにも、いろいろなやり方があるのよ。十種類くらい教わってきたから、またみんなに教えてあげるわ」

「それ、全部覚えてきたのですか?」

「もちろんよ、メイ。実はね、向こうにいる間に側事(そくじ)を三人も押しつけられて、それは大変だったのよ。だから、スタブを買った後、たくさん実演してもらったの。何か気を紛らわせるものを与えてあげないと、いろんなことを始めてしまうのですもの」



***



 カレンが居間を(のぞ)くと、ミアとレオンが座っていた。


「寝てなくて大丈夫なの?」

「うん、まだすごく大変だけど、少しずつ動かないとね。じゃないと、いつまでたってももとに戻らない。それに、明日にはステファンがやって来る」

「お父さんが来られそうでよかったわ。あんまり無理しないでくださいね。レオン、あなたもよ」

「おれは大丈夫だ。その……君にはとても感謝してる」


 ミアが横腹をどつくとレオンはうっと声を上げた。


「ミア!」

「レオン、カレンに失礼だろ。カレンはあたしの……叔母だよ。もっと敬意を払ってほしいね」

「すまない、カレン。ああ……おばさま?」


 ミアは頭をかかえ、カレンは苦笑した。


「いいのよ、レオン。わたしはまだ若いつもりだから。とりあえずミアの妹のままにしておいてね」

「おいおい、カレン。何ならカレンのことを母さんと呼ぼうか?」

「もう、やめてよ、ミア」




「それで、ふたりとも本当のところはどうなの?」

「たぶん、長い間眠っていたせいで筋肉がなくなっているだけ。すぐに元どおりになってみせるさ」

「そう? 何か必要なものがあるなら調達してくるけど。レオンはどう?」

「いや、特にないです。ありがとう。あなたは本当にいい人だね。こんなおれを助けてくれるなんて」

「助けたのはわたしではなくてよ。あなたが生還できたのはミアのおかげですからね」

「わかってる。それでも、永い眠りから解放してくれたのはあなただ。何でもするから言ってほしい」


 レオンの真剣な眼差しを眺めながら考える。


「そうね……。ひとつ、頼みを聞いてくれる?」

「なんなりと」




「何日かしたら、イオナがノアという男の子を連れてくるの」

「誰だい? そのイオナとノアって?」

「ハルマンの人たちよ。ノアはイオナの弟なのだけど、時縮のせいで眠っているの。もう四年になるんですって。それで、何とか目覚めさせる方法を探しているの。あなた、第五作用には詳しいでしょ。何とかできない?」

「うーん。知ってると思うけど、第五作用は通常は自分にしか使えない。結局は自分で解除するしか方法はないんじゃないかな。それに、おれはそんなに永い作用はかけたこともないよ」

「医務室に特別なベッドが置いてあるでしょう。あれには時縮で眠っている人をもとに戻す装置が備わっているのではないかと思っているの。でも、違っていた場合のことも考えていて、ほかに方法がないかなと」

「第五作用に介入する装置か……。そういえば、以前に、防御フィールドに干渉させて打ち消す道具があると聞いたことがあるけど……そういった類いのものかな」


 ミアが声を出した。


「本当にそんなものがあるの? あたしは聞いたことないけど」

「あなた、時伸が使えるでしょ。時伸で時縮を打ち消すのはできないの?」

「だから、ほかの人に対しては……」

「わたしは、ほかの人の作用に介入できる」

「えっ、そうなの?」

「たぶんね。それでね、たとえばよ、ノアとあなたをつなぐことがもしできれば、あなたの時伸の効果をノアに注げるかもしれない」




 しばらく考えていたレオンは顔を上げた。


「うーん、なるほど。やりたいことは理解できたと思う」

「わたしにはそれしか思いつかないの。どう思う?」


 ミアが口を挟んだ。


「わからないけど、そのベッドの機能が使えなかったら、それを試してみて損はないでしょ。レオン、協力しなさい」

「……わかった、ミア」

「ということで、カレンが戻るまでに、レオンの体力をちゃんと回復させておくから、心配しないで」

「……よろしく、ミア」


 レオンがげっそりとした顔でミアを見つめていた。


「それじゃあ、何もなければ、もう少ししたら出発します。食事を……」


 ミアがパタパタと手を振った。


「大丈夫。メイがごっそり用意してくれた。一週間くらいは何もしなくても生きていけそうだよ。それよりそっちのほうは大丈夫なの?」

「携帯食がたくさんあって、あれはかさばらないから旅に最適」

「ああ、あれか……。確かこの前メイの指示でスタンが買ってきたんだっけ。何のためにと思ってたけど……なるほどねえ」

「あれはメイが……確かにあなたの妹は先見の明があるわ」

「うん。じゃあ、気をつけて」

「わかりました。それでは行ってきます」

「エレインとケイトに話ができたら……感謝していたと伝えてほしい」

「わかりました」

「カレン、注意を怠らないように。危険は至る所に潜んでいるから。無理するなよ」

「はい、気をつけます」


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