210 飛翔術
カレンはメイと一緒に格納庫に向かった。エメラインもついてきた。
メイが通信装置の準備にかかっている間、カレンはがらんとした格納庫の高い天井を見上げていた。そういえばあれはどうやって開くのかしら。
「カレン、あの空艇のことですが、こんな小さいのを見たのは初めてです」
エメラインはポツンと置かれている空艇を眺めていた。
「あれはエレインたちが使っていたのだと思う」
「はい、聞きました。それで、この前来た時にかなり整備したのでこれを飛ばせます」
「あ、そうだ。何も大きな空艇で行く必要はないわ。遮へいこそが重要なら……」
ふたりは空艇に近づいた。
カレンは船体の周囲をぐるりと巡って手で触れながら言った。
「エムは空艇を飛ばせる?」
「はい、できます。もうひとり、破壊のほうの飛翔術を使える人がいればですが……」
もうひとりか……。ペトラは飛翔術は学んでいないと言っていたっけ……。
突然、考えていた人の声がした、
「これで壁の向こうに行くつもり?」
「もう終わったの?」
「わたしも手際よくなったでしょ。ウルブ7でさんざんやったからね。それで、これを飛ばすの?」
「うーん、そうね。ミアが言うように遮へいが重要だとしたら、別に強力な防御を持つ戦闘用の空艇でなくてもいいわけでしょ。かえって小さいほうがすんなり行けそうな気がするの」
「それには、これを飛ばす人と遮へい者が必要というわけね」
「そうよ。ペトラ、あなた、飛翔術を覚える気はある?」
「実はね、カル。ディードに少し教えてもらったの。ムリンガをエムとディードで飛ばしたんだけど……」
「そうそう、シアが言っていたけど、ムリンガって本当に空を飛べるの?」
「そうなんだよ。すごい海艇だよね。さすがメイのとこは格が違うよ。ああ、それで、ディードに飛ばし方を少しだけ練習させてもらったの。でもね、とても手強いんだよ。わたしには医術より難しい」
ペトラは顔をしかめてため息をついた。
「それじゃあ、無理か。ザナかカティアに誰か手伝ってくれそうな人を紹介してもらおうかしら」
「あのね、カル。カルが手伝ってくれればできるよ」
「わたしは飛翔術を知らないわよ。あー、少なくとも記憶にはない」
「作用はその記憶のあるなしとは関係ないと思うけど。つまり、やればできるんじゃないかと思う。ちょっと試してみる?」
「どうやって?」
「ここで、この船を浮かせられるかどうか、やってみるのはどう?」
「わたしは破壊作用を使えないのよ」
「つながったときに、わたしの破壊力を使えたでしょ。たぶん、同じよ、つながれば飛翔術もきっと使える。わたしを通してね」
ペトラは船体に手を伸ばして続けた。
「それに、そうやって、カルに自分の力を使ってもらうと自然にわたしも上達する。これは、医術の時に経験済みなんだよね」
「なんか、ずいぶん都合がよくない?」
「試してみて損はないと思うけど。やってみないと何事もわからない。そう言ったよね?」
「はあ、わかったわ。それじゃ、あとでやってみましょ」
メイが手招きしているのに気づいた。
「まずは、連絡が先ね」
結局、メイがウルブ7の臨時指令所と連絡を取ってくれて、ザナと直接話をすることができた。カティアはフィールド形成部隊と一緒に出かけて直接指揮を執っているため不在だという。
ミアから聞いた情報について話すと、トランサーに関することならば、防御指揮を担っているカティアもいたほうがいいと言う。今はカルプの近くにいるらしい。戻るのは明後日になるとのこと。それに合わせて、こちらも前線に行くと伝える。
その前に遮へいが本当に効果があるのか、実験して確かめてもらえることになった。
これはとても助かる。遮へいに効果がないなら、覚悟を決めて戦闘用空艇を使わせてもらうしかない。
海の中に降りて休憩できなければ、ここにある空艇で行くことなど無理。
ザナが迎えを寄越すと言ってくれたが、その前に格納庫にある空艇を動かせるか試すことにする。飛ばせそうだったらあれで行くことにしよう。
ザナとの話の結果をペトラとエメラインに伝えると、ふたりはさっそく空艇の準備を始めた。
とりあえずカレンにできることはないので、ふたりに任せておく。
メイはロメルと話をしている。彼女のお父さんはきっと仰天するに違いない。お別れの会で送り出した娘が帰ってきたのだから。とても忙しいらしいけれど、こちらに来られるかしら。
エレインの部屋に入り、例の記録をしまってある棚を開く。もう一度目を通して何か見落としがないかを調べないと。
筆記帳を一とおり見終わったころ、エメラインがやって来て、船を動かす準備ができたと言う。
カレンはエメラインと並んで格納庫に向かった。
「ねえ、エム。ペトラは本当はどれくらいできるの?」
「まだ全然だめです。流れの供給がまったく足りてなくて、ムリンガでは浮かせることすらできていません」
「そうなの。飛翔術は難しいのね?」
「一人前になるのに少なくとも二か月、普通はその倍くらい訓練するんですよ。二、三日で習得できるものじゃないです」
「それじゃあ、無理じゃないの?」
「それは何とも言えません。ひとつには、これは偵察用の小型艇なので、ムリンガと違ってとても扱いやすいはずです。力もそれほど必要としません。それに……」
「それに?」
「実はカレンが船を扱ったことがあるのではないかという、ペトラの考えが正しいと期待しているんです」
「うーん、それは、やってみればすぐにわかると思うけど。あまり期待しないでね」
カレンはエメラインに続いて空艇の狭い扉から体をかがめて入った。
室内もあまり広くない。見回したところ、座席が六しかない。
「想像していたより狭いわね」
「これは偵察艇ですが、それでもこんな小さいのは見たことがないです。しかも長距離用ですよ」
後ろに見える小さな扉をエメラインが指さした。
近づいて開けてみる。なるほど。貨物室ではなかった。
メイとペトラがすでに席についていた。
「ああ、カル。エムが起動前の準備をしてくれて、もう完全だって」
「記録によると、この空艇は三十年近く前に作られたものです。最後に飛行したのは五年前。推樹脂は格納庫に保管されていた新品に全部入れ換えました。といっても、交換したものもそれほど新しくはないですが。少なくとも手つかずなので状態はましでしょう」
「古いのね。大丈夫?」
「別に問題はないです。少し旧式ですけど、いろいろ改造されているみたいです」
「改造?」
「今の空艇と同じで、左席が生成者なのでわたし、右席が破壊者で、つまりペトラ」
エメラインはそれぞれの席を順に指さして説明を続けた。
「普通だと中央は艇長、前方の二席は攻撃者と感知者、後席が防御者です。でも、小型艇なのに操船席の機能は二組備わっています」
確かに、レンダーグローブがふたつずつ備わっている。
「飛行中に交替可能ということです。といってもここには飛翔術を扱える者がふたりしかいないので無理ですが」
「わたしは後ろの席よね。みんなに近いほうがいいだろうし、全体を遮へいするならなおさら」
エメラインは同意した。
「それで、中央の席にもふたつのレンダーグローブがあるでしょう。つまりほかの席の機能を中央席でも使えるはずと思っているんですが……」
メイが後ろから引き継いだ。
「どう切り換えるのかわからないのよ」
「どういうこと?」
「いざとなれば、中央席のひとりでこの空艇を操ることができるのではないかという意味です」
「それって、飛翔術を知っている陰陽がいて、しかもふたつ同時に使うという意味よね。それは無理でしょう?」
ペトラがこちらをじっと見ているのに気づき付け加える。
「わたしにはできないわよ」
「わたしは両方の飛翔術を習得するつもりよ。同時に使うのは無理だけど」
「将来、同時に使えるようになるかもしれない……」
「今じゃとてもそんな気がしないけど。あれから、何度か試したけどまったく無理だし」
「それで、どうするの?」
「まずは、この船を浮かせられるかどうか試すのがいいでしょう」
「わかったわ、エムに任せる。どうしたらいいか指示をくださいな」
カレンは真ん中の席に座り、右手を伸ばしてペトラの左手を握った。
目を閉じて空艇の飛ぶさまを想像する。しかし、何も湧いてこない。本当に空艇を動かした経験があるのだろうか? 最近何度か空艇に乗ったけれど特別な感じがしたことはない。
「どうすればいいの?」
「ほら、この前、破壊作用を使った時みたいに、こっちの中に入って作用を押してみて。最初の起動だけは頑張って試してみるから。何か思い出してきたら、そのまま好きなように使ってかまわない。そうすれば、わたしは、そのやり方を追体験できる」
「わかったわ」
「それでは始めますよ。ペトラ、弁を開いてゆっくりと流れを回して」
初めは何も感じなかった。どちらかというと、カレンがペトラの破壊作用の流れを追って、どこにどれくらい注がれているかを眺めていた。突然、推樹脂が気化し始めたのか流れが感じられた。しだいに速くなりぐいっと膨らむ。その流れが飛翔板に注ぎ込まれていくのがわかった。
久しぶりの動きに抵抗するかのように、何度か船体がきしむような音を立てた。蒸気の出るようなシュワーという感じを肌で受ける。次の瞬間には、下から少し突き上げるような力を感じ、正面の窓を通した景色がわずかに動いた。ちょっとだけだが確かに浮いた。
「やったわ」
ペトラの叫び声が聞こえた。
その直後ドスンと落ちる音がして、足に衝撃を感じる。
「ペトラ、気を抜くと墜落して命をなくしますよ」
エメラインの低い声が聞こえた。
「すいません……」
再び、始動から始める。今度はカレンも手順を視ているだけでなく手伝えた。
あっという間に、連続的な流れが太くなり安定してくるのを感じる。その感触に浸っていると、急速に作用の流れに引き込まれた。空艇が少し振動し体を揺さぶった。
カレンは、ペトラの作用力を追いかけ、その上に自らの力を重ねた。すぐに、自分の中からペトラに向かって作用がどっと流れるのを感じる。次の瞬間には、彼女の中を回ってきた力が戻ってくる。
あっと思った時には、ペトラの破壊力をしっかりと受け止めていた。
そして、その力は急速に増大し再び彼女のほうに流れる。カレンはパニックに襲われた。
両手をつないでいるわけではないのにこの流れは何? あの時とまったく違うじゃない。
メイが何か叫んでいるのが耳に伝わってくる。少したってようやく聞き取れるようになった。
「天井にぶつかる!」
ハッとして窓を見る。壁が流れるように動いている。ものすごい勢いで上昇していた。ここから隔壁を開けるだろうか、と考えた瞬間にエムの怒鳴り声がした。
「ペトラ! 弁を閉じろ!」
窓から光が差し込んだと思った時には、天井が急速に開き始めていた。
「間にあわない! ぶつかる!」
メイの悲鳴が耳を覆った。
カレンは祈った。曲がれ、もっと曲がれ。
その時、空艇がぐいっと傾いて、右に滑るように動き、次の瞬間、少しだけ開いた天井からポンと飛び出すように抜け出た。
そのまま、上へ上へとぐんぐん登り続ける。
「カル! これ止めて。まるで制御できない!」
カレンは大きく深呼吸をすると目を閉じた。ペトラの中の作用に意識を集中する。突然、破壊作用を両手でつかみ取ったかのように、しっくりとした感触が手に残った。
徐々に暴走した力を抑え込み、ゆっくりと減速させる。
しばらくすると流れは落ち着いて、力を制御することに成功した。
ペトラが探るように、作用力を撫でているのを感じる。彼女の中の作用力がしだいに安定してきた。
やがて、カレンは、力を少しだけ供給するにとどめ、ペトラが力を掌握するのを手伝う。
「すごい高さ! こんなに上ったのは初めてよ」
メイは立ち上がると、前方に歩いて行き、偵察席に座ってあたりを調べ始めた。
「あった」
ガクンという音とともに外側の隔壁が開き始めた。
「下を見て! すごい、あんなに小さく見えるわ」
「恐れ入りました、カレン。もうだめかと思いましたよ。格納庫の外に引き出してからやるべきでしたね」
「エムの制御のおかげよ。よくあのすき間を通り抜けられたわ」
「自動で開く天井でよかったー。いやはや、寿命が縮まったわ」
ペトラはそう言うと、左手を離して手の甲で額を拭った。とたんに船体に振動が発生する。
慌ててペトラの手をつかんで破壊力を安定させることに集中する。
「ごめん……」
「気を逸らさないでください、ペトラ」
エメラインの落ち着いた声はいつでも安心感を与えてくれる。




