209 別の対処法
二度目の転移では前ほど衝撃を受けなかった。
カレンはあたりを見回した。周辺はとても明るく、木々もそれほど密に存在していない。
上を見ながらペトラが言った。
「それで、ここはどこなの?」
「レタニカン、つまり、エレインの家の裏に広がる森に着くと言われたけど……」
エメラインは単眼鏡を取り出して、ぐるりと周囲を見ていた。
みんなが彼女の偵察が終わるのを待っている。あれが役に立っているようでよかった。作業の様子を眺めていると、単眼鏡を下ろしたエメラインがこちらを見てうなずいた。
「尾根の西の斜面にいます。向こうに大きな建物があります。間違いなくレタニカンです」
カレンはエメラインが指さした方向を見たが、森の木々に阻まれて何も見えない。
「木しか見えないけど……それを使うと見えるの?」
「そうですよ。調整すれば、森を透かしてその向こうを見ることができます」
ペトラが口を挟んだ。
「へえー、そんな便利なものなのか。わたしにも使える?」
「生成を持っていれば、ちょっとした練習で使えるようになりますよ。これ、ものすごく高価なんです。カレンにはとても感謝しています」
あのスライダほどではないけれどね。
「とにかく、エムのお役に立ててうれしいわ」
「わたしもほしいな」
「ペトラ?」
「ああ、自分で何とかする。でも、買ってくれても全然かまわないんだけどな」
「マックスの店にはひとつしか置いてなかったようだけど、今度行って聞いてみましょ」
「ありがとう、お母さま」
「さて、このふたりを運ばないと。すまないけど、エム、レオンをお願い」
「お任せください。それに……ここはまだ森の中だから手伝ってくれるよね、リア?」
到着してから何も言わず黙って浮いていたリアはちょこんと肩をすくめた。
「ここはシルではないけど、シルとつながっているから、まあいいか……」
「助かった。意識のない人を運ぶのは面倒だから」
これを聞いたのか、ミアの様子を調べていたメイがニアを見上げて言う。
「ニア?」
「わかった。ミアを起こして背中を向けて」
「はい、お願い」
リアとニアがふたりを運ぶのを手伝ってくれたおかげで、森を抜けてから家に着くまで、苦労もせずに移動できた。ふたりを建物内に運び入れ、客間をふたつ整えるとベッドに寝かせる。
カレンはミアの上に浮くシアに尋ねた。
「いつ目を覚ますの?」
「もうすぐだと思う」
「エムはレオンの様子を見ていてくれる?」
残りの三人はミアの部屋でベッドの周りに座って彼女の目覚めを待った。
しばらくするとミアが身じろぎするのが見え、すかさずメイが身を乗りだした。
ミアはゆっくりと目を開いたあと、何度か瞬きをしたのちに、いきなり何度も咳き込んだ。ヒューヒューという音が聞こえる。うまく呼吸ができないのだろうか。
「落ち着いて。ゆっくりと呼吸して」
ペトラの言葉にミアは目を閉じて何度か息を吸ったり吐いたりした。しだいに落ち着いてくる。
しばらくすると、メイの顔に目を向けていたミアの声を聞くことができた。
「メイ? ここはどこだい?」
「お姉ちゃん、お帰り。ここは、レタニカン、カレンとおばあちゃんの家よ」
「そうか……カレンの家……それでどこにあるんだ?」
「ウルブ6から東に行った尾根よ」
顔を戻してしばらく天井を睨んでいたミアは、急に体を起こそうとしてうめき声を漏らした。
「お姉ちゃん、だめ、動かないで。ずっと寝ていたんだから」
「そうだ……トランサー」
ミアはまた起き上がろうとして、両手を伸ばした。その手をメイがつかみ、カレンは背中を支えた。
ミアは自分の腕を調べ、体のあちこちを探った。次に、自分の頭に手をやり、髪の間に指を滑らせると、伸びた髪の束を顔の前に持ち上げてギョッとしたように凝視した。
「全然痛くない。どうなってるんだ? それに、この髪はいったい……」
「ニアがお姉ちゃんを助けてくれたのよ。あそこで、あの崩れ落ちた崖で。トランサーの中から」
ミアはメイの顔を凝視した。
「ニアが?」
メイの肩からニアが顔を出すとミアはニアを見つめたまま固まってしまった。
それから力が抜けたようにぐったりとしたミアをふたりがかりで横にすると、カレンはペトラに目で合図した。すぐに察したペトラはカレンに続いて部屋を出ると、静かに扉を閉めた。
隣の部屋を覗き込むと、レオンもすでに目覚めているようで、エメラインと何か話をしていた。
部屋に入っていくとレオンが頭を回してこちらを見た。
「カレン……誰がおれを助けてくれたんだ?」
カレンはレオンの顔を見て、それからエメラインに目をやった。彼女が首をわずかに横に振るのが見えた。
「レオン、頭はしゃんとしてそうね」
「ああ、それなりにすっきりしている」
「あなたは、ミアとともに助け出されたわ。まあ、正しくは、ミアが大事に思っている人だから、ついでに救い出されたと言ったほうがいいわね」
レオンはフーッと息を吐き出した。
「そうかー、ミアも生きている?」
「ええ、隣の部屋にいるわ。今、メイと話をしているから、あとで会いに行きなさい」
「ああ、はい。あんたにはとても感謝している。おれがあんな酷いことをしたのに……」
「感謝ならミアにすることね。わたしは全然何もしてないから」
「うん、わかった。ありがとう」
ペトラがカレンを押しのけて前に出ると、腰に手を当ててレオンの全身を走査するように眺めた。
「ふーん。あなたが、ミアの連れ合いになるアダルのレオンね?」
レオンがギクッと震えるのが見えた。
「わたしはオリエノールはイリスのペトラ。えーと、カレンの娘よ」
「ええっ? カ、カレンの娘?」
レオンが目を白黒させるのが見える。
「ペトラ、省略しないの。誤解されるでしょう?」
こちらを振り返ったペトラは舌をちょっと出して見せた。
「はーい、お母さま」
そう言うと再びレオンを見る。
「レオン、対外的には、カレンはわたしの後見人ということになっているけど、まあ、だから母親」
「はあ? ……なるほど」
レオンは少し怯んだように目を動かしてペトラとカレンを見た。
「さて、いろいろ聞きたいことがあるんだけど、教えてちょうだい。まず、あなたはどこに住んでいるの?」
「これは……まるで尋問みたいだな」
「もちろんそうよ。あなたは、みんなに迷惑をかけたんだから、調査に協力するのは当然でしょ」
「……はい。……おれはだいたいはウルブ7の北の外れで暮らしている。アダルの家は父が残してくれた」
「なるほど。それで、ミアと出会ったのはいつ? どこで?」
「うっ、それは……」
レオンの相手はペトラに任せて、カレンはすばやく立ち上がると入り口に向かった。
扉を少しあけて連結間にするりと出ると、慌てたようにエメラインが続いて現れた。
エメラインはさっと扉を閉めて寄りかかると、ほっとしたように息をついた。
「ペトラさまは手厳しいですね」
「あれはいつものことだから……。さて、疲れたわ。とりあえずお茶にでもしましょ」
「ああ、わたしがやります」
「いいから、エム。今回はわたしがするわ」
カレンは厨房に入ると、部屋の奥まで行きお茶の道具を取り出した。水をポットに入れ加熱器にのせる。戸棚からカップをいくつか下ろして調理台の上に並べる。
「前よりお茶の種類が増えているような気がするわ」
「この前ここに泊まった時にメイの指示でフィオナが買ってきたんです」
「あ、そうなの。どうりで」
下の戸棚からお盆を見つけてテーブルに置く。
エメラインのしみじみとした声が聞こえた。
「カレンさまからは母親の風格を感じます」
人前ではキリッとした印象を崩さないエメラインが、たまに見せる気を抜いた自然体の顔はとてもかわいらしい。
その口から出た言葉が、冗談なのか本気で言ったものなのかわからない。
「ねえ、エム、それ、単にわたしが歳をとったと言ってるでしょ?」
「違います。カレンさまの振る舞い、わたしたちへの接し方のことです。母のことを思い出します」
穏やかに言う声を聞けば、彼女のほうがよっぽど品がある。
「まあ、いいわ。実際そうなんだろうし。でも、そのかしこまった接し方は忘れてほしいわ。カレンよ」
厨房の椅子に並んで座り、淹れたてのお茶を味わっていると、メイが顔を出した。
「カレン、ちょっと来てくれる?」
「どうかした?」
「先に行ってください。あとは、わたしが片づけておきます」
エメラインはサッと立ち上がった。
メイに続いて部屋の中に入る。
何度見ても髪の長いミアは少し違和感がある。隣のメイと並ぶとふたりが双子であることがよくわかる。ぱっとみた感じでは見分けがつかないようにできるだろうな。
「なんだい、じろじろ見て?」
「いえ、こうやってふたりが並ぶと、とてもよく似てるなと思って。今まで騙されていた感じです」
「あー、それは、この髪のせいだな。あたしは短いほうが好きなんだけどね。切ろうかな」
「あのー、そのままのほうがいいですよ。それに、おふたりに差し上げたいものがあるんです。といっても、それ、ハルマンに置きっぱなしなんですけど。今度向こうに行ったら渡します。それまで髪は切らないでください。お願いします」
「なんだ、カレン。髪に関係あることなのか?」
「うっ、内緒です」
「はは、わかったよ」
「それで、ご用は?」
「そうそう、大事なことなんで早く言っておいたほうがいいと思ってね」
「はい」
「トランサーのことだけど、やつらはたぶん作用力に反応して襲ってくるんだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「あのとき、やつらに襲われた時に、防ぎきれなくて、どうしようもなくなって、もうだめだと思ったんだけど……」
ミアは顔をしかめると、ちょっと言葉を切った。
「もう攻撃する気力もなくて。それで、遮へいしてみたんだ。どうしてあんなことしたのかな。そしたら、急に攻撃が弱くなったかと思うと、やつらが飛びかかってこなくなった。妙だと感じたのは記憶にあるけど、次の瞬間には足元が崩れて、真っ逆さまに落ちていく感覚に襲われた。そこまでは記憶があるんだが、そのあとは、さっき目覚めるまで何も覚えてない。メイの話だと、どうやら、あたしは二年近く寝ていたらしいが……」
カレンはミアの顔を見つめたままで、頭の中では考えが駆け巡っていた。
遮へいで攻撃がなくなった?
そうか、もし、トランサーが作用力に引きつけられて、向かってくるのだとすると、作用を封じ込めれば襲われないということなの?
つまり、人が防御フィールドを作るからそこに殺到してくるの?
レイの長が言ったように、トランサーの海が作用力の何かの間違いで生まれたのだとしたら……。
そういえば、ウルブ5をトランサーは無視して通り過ぎた。
ミアの顔には疲れが見えた。
「ミア、ミア、とても助かったわ。これで、トランサーとの戦い方に違う道が開けるかもしれない」
「ああ、役に立ったのならいいが……」
「ええ、とっても。さあ、ミア、もう休んでください。ずっと眠っていたのだから、体力が落ち込んでいるでしょ。たぶん、食事なんか無理だろうし」
ミアはおなかに手を当てて撫で回した。
「そうだな。ここに胃は存在しない気がするよ」
「そうそう。これ」
そう言いながら、ミアのペンダントを引っ張り首からはずす。
「返すことができて本当によかった」
「これを渡したのは正解だったな。そうだ、これはカレンが持っていてもいいんだよ」
「何を言っているのですか、ミア」
ミアの手を開きペンダントを握らせる。
ペトラが隣の部屋から出てくるのが見えたので声をかける。
「ペトラ、ミアとレオンの回復の手助けをしてもらえる?」
すでに医務室からかごに入った器具を持ってきていたペトラはうなずいた。
「わかってる。今日は回復剤の点滴だけにするね。急に食べるのは無理だから。明日からは少しずつ口からものを入れたほうがいい。さあ、腕を出してください、ミア」
「レオンもちゃんと面倒を見てあげてね」
ペトラがうなずくのを確認すると、カレンはメイのほうを向いた。
「確か格納庫に通信設備があったでしょう? あれで軍にも連絡が取れるかしら? ザナと話したいのだけど。今はウルブ7にいるかな。それとも、前線のほうかしらね」
「大丈夫よ。フェリシアがあの設備を直してくれたから、ウルブ7でも前線でも連絡するのは簡単よ。すぐやってみる」
「それじゃあ、とりあえずウルブ7に残っている軍の誰かと話したいの。できれば、カティアかザナと直接話がしたい。そうすれば、あとはどうにかしてくれるはずだし」




