206 森の中へ
森の中に入ってからずいぶん歩いた。最初だけは駆け足だったものの、すでに、のろのろした歩きになっている。
ひたすら足を動かしながらカレンは考えていた。
しばらく前に、爆発音のようなくぐもった音が聞こえたこともあった。みんな、大丈夫だろうか。あそこから離れてまもなく、彼らの様子がほとんどわからなくなった。
ニコラの遮へいはとても優れている。クレアほどではないにしても同じくらい。
クレアもそうだが、ふたりとも本気で遮へいを張るとほぼ感知できなくなる。これは、いいことではあるが、一方で、それ以外に相手へ対処する手段がないのを意味する。
歩きながら、ずっと協約のことを考え続けた。
本当にわたしが協約というものを引き継げば、この大惨事を何とかできるのだろうか。
わたしの中途半端な力のことをシルは、それにレイは理解しているのだろうか? わたしにも制御できない力を。
考えれば考えるほど間違ったことに思えてきた。
それでも、わたしは、先人の誤りを正す努力をするべきだ。それは間違いない。
「ねえ、カル。どこに向かっているの? 目的地はわかっているの?」
そう言われて立ち止まった。確かに、この方向で正しいという確信があるわけではない。でも、直感ではこちらでいいような気がする。というか、たぶん、森の奥まで進めば、シアから何らかの示唆があるはずだ。
そうでないと、わたしたちは森の深部で迷子になってしまう。
上を見るがびっしりと枝葉で覆われており空は見えないし、今の時間帯もわからない。なぜか進むにつれてどんどん薄暗くなっていく。まだ、昼にすらなっていないというのに夕暮れのような暗さだ。
そういえばこの森の木々は冬でも葉を落とさないらしい。何の木かしら。
しばらくすると、またペトラが袖を引くのを感じた。
「どうしたの?」
「少し休憩してもいいんじゃないの? 誰か追ってくる人でもいるの?」
カレンは立ち止まり、周囲を探索する。何も感じない。思い切って感知を広範囲に伸ばしてみた。それでも、何も視えない。
カレンは首を横に振った。
「誰も追ってきてはいないわ。今のところは」
ペトラは近くの切り株に向かって二、三歩歩くと腰を降ろした。
「目的地まであとどれくらい? それがわからないとすごく疲れる」
「確かに、あとどれくらいかわかれば元気も出ますけどねー」
メイは背負っていた小さなかばんを降ろすと、水入れと包みを取り出した。
「これしかないのだけど、ここでおなかに入れてしまう? これからあと一日歩けと言われたら、これじゃあとても足りないわね」
「メイ、びっくりだよ。あの状況で、よくそれを持ってきたね」
「メイはいつだって用意周到なのよ」
ペトラは切り株をメイに明け渡して、地面に直接座った。
「だいぶ、湿っぽいな」
メイは水入れと小さなカップをいくつか取り出し、中身を確認すると、水を注いで順番に渡した。包みを開き固い菓子を四つに分ける。
「さてと、これでからっぽよ」
「ねえ、カル、そろそろ目的地について話してくれてもいいんじゃないの?」
カレンは困ってペトラの顔を見つめる。
「それが、わたしにもわからないのよ」
「うっ。それにしては、まっすぐにここまで歩いてきたけど」
「方向は合っているはず。でも、あとどれくらいかはわからない」
「だいたい、この森の奥に何があるの?」
「わたしにもわからない。こっちに来いと言われているのよ」
「誰に?」
「さあ?」
「なにそれ。誰だかわからない人に示唆されるままに歩いているの、わたしたち?」
「そういうことになるわね。でも、もうちょっとよ」
協約。つまり、トランサーの出現には、作用者だけではなくてシルも関係しているということになる。
あの海を自分たちで何とかしようと考えていたエレインも、わたしも、ザナも間違っていた。エレインは何のためにわたしを眠りにつかせたのだろう?
もしかしてこのすべてにシルの意志が働いているのかしら。そう考えたとたんになぜか胸がざわついた。
再び歩き始めてまもなく、周りの木が突然大きくなったような気がした。あるいは、自分たちが小さくなったように感じる。森の真ん中に近づいていると確信した。
そこで立ち止まり目を閉じる。何だかわからないけれど、作用力の充満を感じる。よく知っている力とは異質の。続いてかすかな風を感じた。ここは森の奥なのに。ひんやりとした空気に体が少し震える。
全員があたりを見回していた。おそらく、誰もがこの異質な雰囲気を感じ取っている。それから、はっきりとした風の流れを感じたとたんに、少しだけ空気が光ったような気がした。
次の瞬間には、シアが目の前に浮かんでいた。シアだけではなかった。ほかにも二体の幻精がシアの両側にいた。
三体には大きな違いがある。シアとティアも髪の色とか目の色が少し違っていたが、それよりもはっきりとした差異が見られた。
息を呑むような音が聞こえた直後、名前らしきものをつぶやく声がした。
頭を回すとメイとエメラインがびっくりした顔を見せていた。
それでもふたりの顔は先ほどの疲れ切った表情とは違いとても明るい。つまり、知らない二体の幻精の信人がこのふたりなのは明らか。
「どちらが、どっちなの?」
すぐに、シアが答えてくれた。
「そっちがニアでこっちがリア」
メイがニアと呼ばれた幻精に近寄るのが見え、リアはエメラインのもとにすっと移動した。
シアとティアは青い服をまとっていたが、ニアとリアは赤っぽい服を着ている。どちらかというと薄い橙色に近い。三体とも薄らと光っているのは同じだ。
ペトラがうっとりとした様子で眺めていたが、すぐに真剣な表情になり何か言いかけた。
「ペトラ、質問はあとにしてね。それで、シア、どうすればいいの?」
「もう一度確認するけど、本当にいいんだね?」
「はい、シア。わたしにはできることをする義務があるし、何がやれるのかわからないけれど、わたしの全力を注ぐ覚悟はある。それに、もう、後戻りはできないし」
「わかった。みんないい?」
ニアとリアはかわいらしい頭を動かすとぱっと位置を変えた。
「ここの円の中に立って」
そう言われて地面を見ると、かすかに光る輪が見えた。
エメラインがさっと頭を上げた。彼女の見ているほうに目を向けるが何も見えない。慌てて感知を開くと、遠くから何かが急速に近づいてくるのを感じた。追っ手だろうか?
シアを見るとうなずいた。
「少し急いだほうがいい。ニア、リア、準備はいい?」
カレンからはニアとリアは見えないが、周りに作用力が沸き立つのを感じる。周囲の大木と大気から湧き出る力と精気が三体の幻精にどっと流れ込む。それから触れたことのない作用が光の輪の中に満ちていった。
かすかだった風の音がしだいに大きくなり、しまいには唸るような音になった。そのあと、ピンという高い音を耳にしたかと思うと、風の音が聞こえなくなり無音の世界が広がった。
一瞬後には、少しだけ落下するような感覚を味わい、再び足を地につけていた。
周囲はとても明るくしかも暖かかった。先ほど見えていた大木はもう見当たらない。
「シア、これはいったい……」
「シルにようこそ、カレン」
「シル……ここが?」
慎重にあたりを見回す。
「そう」
「どうやって……」
「転移」
一瞬にしてハルマンからメリデマールに移動したのか……。
「カレン、長が対話を望んでいる」
「長? シルの?」
「レイの長」
「はい」




