200 ひとり旅
カレンは小さな川艇の船室にひとり座って、窓の外を流れる風景をぼんやりと見ていた。
国都の中心にある川港を出発してかれこれ五時間になる。
とっくに郊外に出て両側には草原か畑、それと森が交互に現れては消える単調な風景が繰り返されていた。
この船はとても小さい。沈んでしまったサンチャスの半分もない。
でも、速度はなかなかのものだった。足の遅い輸送艇を軽々と追い抜いて、分岐点を東に進みひたすら川を下っていた。ハルマンに入るのは夜遅くになってからだと艇長には言われている。
隣の席に置かれた大きな布包みに目をやる。これは、チャックが船を探してくれている間に、メイジーがどこからか買ってきてくれたお弁当だ。これを食べるのはまだ早いわね。まだまだだし。
上に目をやるとどんよりとした曇り空ではあるが所々に青空も見えていた。
少なくともここまではうまくいっている……と思う。でも、わたしが消えたのにペイジが気づいたら、イサベラが留守にしていることを考えれば、ほかの誰かに知らせるだろう。そうなれば、追っ手が来るかもしれない。
あの門扉を守っている人たちはわたしが敷地の外に出たことを知っている。問い合わせがあればすぐにどこに向かったかわかるに違いない。
まずは、感知者が送り出されて空から探される。
ああ、わたしに遮へいが使えれば簡単に隠れられるのに。このようなほかに誰もいないところで空から調べられたらたちまち居場所が知られてしまう。まあ、どっちにしろ目的地がばればれなのはわかっているけれど。
わたしにも遮へいは使えないのかしら。もしも、本当にわたしが本物のケタリなら、違う力が使えるかもしれない。どうにかして会得する方法はないのかしら。
しばらく、作用力の痕跡を求めて自分の中に力を注いでみたが、感知以外の力はこれっぽっちも視えない。
大きなため息が出た。やはり、イサベラを力覚できなかったことから考えれば、わたしは眠る前はケタリであったとしても、今はただのひとつもちにすぎない。遮へいどころか、一度使えた時伸も無意識のうちに使っていたらしい時縮も、どこにも見当たらない。
再びため息が漏れる。
頭を振って意識を現実に戻す。とにかく、もう一度あそこまで行って、そして、ケイトと話がしたい。もしかすると、お母さんとも話ができるかもしれない。そうすれば何かが変わる、わたし自身が殻を打ち破ることができるような気がするのは、単なる思い上がりだろうか。
ああ、もっと自由にならないかしら。
窓から空を見上げると上空を数羽の鳥が飛んでいるのが見えた。この船と同じ方向に進んでいる。あんなふうに自由に飛べたらどんなにいいだろう。あの鳥たちは何を考えているのかな? 彼らも何かしら作用力を持っているのかしら?
今は平穏で何も聞こえてこない。川艇が立てるエンジンの低い響き、水面を切るチャッチャッという音。それだけ。
見渡す限りほかの船も何も見えない。この河はこんなに交通量が少ないのかしら。やはり、ミルドガに向かうほうが主流のようだ。
カレンは目を閉じると、感知力を上に伸ばした。鳥たちのところまで。
うん、鳥たちは確かに作用力を持っているようだ。でも、いつも慣れている力とは少し違うような気がする。何だろう? それから鳥の周囲をぐるりと回りそれ以外の方向に力を向け始める。
そしてすべての方向に順繰りに、力一杯意識を伸ばしてみた。何もないところはとてもいい。心置きなく力を張り巡らすことができる。
限界を試してみようと思いさらに力を伸ばす。いくらでも伸びるような気がしてきた。この気分は爽快だと言ってもいい。
突然、かすかな作用力を感じて驚く。少しやり過ぎたことに気づいたときには遅かった。
別の感知力と交差するのを感じて、さっと力を引っ込めたが、すでに相手に察知されてしまったような気がする。
まったく、わたしはどこまで間抜けなの。ここに、感知者がいますと相手に宣伝してしまった。
しかも、わたしは遮へいできないから。一度相手に知られたら、もう隠れることも逃げることもできない。
カレンは、力をすべて引っ込めるとできるだけ静かにした。これ以上気づかれないように願って。
しばらくは何も起きなかった。誰かに感知されたのは気のせいだったのかもしれないと思い始めた。今度はもっと慎重にしなければ。
窓枠に腕をのせ、水面を眺める。いつの間にか川幅が広くなっていた。それでも、ハルマンとローエンの間では川幅はこんなものではなかった。ハルマンに着くまでには、多くの支流を集めて巨大な河に成長するに違いない。
何もすることがないので、メイジーのお弁当を開いて食べ始める。
売られているお弁当を食べるのは初めて、たぶん。すごくおいしい。メイジーは何でもずけずけと言うがとてもいい子だわ。わたしを子ども扱いするのは少し癪だけれど。
***
遠くの空に光が見えた。
すぐに、それが太陽の光を反射する飛行物体であると悟る。
それはしだいに大きくなり、空艇であることが見て取れた。こちらにまっすぐに向かってくる。やはり、先ほどの力を感づかれたらしい。
カレンはあたりを見回したが、もちろん、船の中に閉じ込められている以上、自分にできることは何もない。
ここで、攻撃されても防ぐ手段はない。
作用を使わないようにおとなしくして、接近する空艇を見る。わたしが逃げたことに気づいて追いかけてきた者だろうか? それとも、別の誰かかしら。
ハルマンで襲われた相手もまだわかっていないし、誰が来たのか見当もつかないけれど、少なくともこちらは船に乗って川の中に閉じ込められている。どうするつもりだろう?
いくら何でもいきなり攻撃してこの船を沈めたりはしないわよね。
どうしようもなく水中に体がどんどん沈んでいったあの時の記憶が鮮明に蘇ってきて体が震えた。
向こうから感知力が使われるのをはっきりと感じた。
それを視た瞬間、この感じは覚えがあるとわかる。
すぐ近くまで来た空艇は向きを変えると、こちらの川艇と並行するように飛び始めた。
これは、クレア……。ということは、あれは……。
もう日がかなり傾いているのに気づいた。太陽が眩しくて船体はよく見えないけれど、きっとあればイオナの船だ。
感知力をわずかに開き、空艇のほうに向けてみる。遮へいは解除されていた。それで、イオナも乗っていることがわかる。
カレンは立ち上がると前の小窓をそっと叩いた。こちらを向いた艇長が操船かんから片手を離して窓を開いた。
「どうかしましたか?」
「どこか、船をつけられるところはあるかしら? ここで降りたいのですが」
「ここでですか? このあたりには何もないですよ。次の町までかなりあるが」
「いいのよ。ここで降りたいの。ここであなたのお仕事は終わりです。支払いはしてあるので、ここからワン・チェトラに戻ってもらってかまわないわ」
「あい。それなら、船をつけられそうな場所を探します。座ってお待ちください」
空を見回すと、空艇はこちらが気づいたことを理解したのか、高度を上げたところで静止していた。小さくて肉眼ではほとんど見えない。
しばらく進んだところで、艇長が右の岸を指さした。
「あそこに小さな桟橋があります。いいですか?」
うなずいたカレンは、崩れそうな桟橋を見つめた。ここに桟橋があるということは、町はないにしてもこの近くに家でもあるのかしら。
船から降りて、艇長に礼を言った。
「本当に、こんなところでいいのかい?」
「ええ、問題ないわ」
艇長はあたりを見回していたが、空艇はすでに視界の外にいたし、ほかに船も見えない。本当にのどかなところだった。
窓から手を出して振った艇長は、船をぐるりと回すと上流に向かった。
船がかなり小さくなったころ、上から空艇が降りてきて川岸に着陸した。イオナの見慣れた白い船だった。
カレンが空艇に向かって歩き出すと同じく、船の扉が開きイオナが現れてトンと地面に降り立った。その顔には安堵と疲れが見えるような気がする。
足を速めたが、体が妙に重いことに気づいた。足が思うように動かない。きっと、無理して歩きすぎたせいね。今、考えると、このような状態で町まで歩くのは不可能だったに違いない。
あの人たちに出会えたのは本当に幸運だった。そして、いま、イオナと再会できたのはさらに運がよかった。この運をこれからも絶対に手放したくない。




