199 グウェンタ
「町に行きたいとおっしゃってましたね。もしも、何かお困りでしたらお力になりますよ」
「町を目指して歩いていたのは、実はハルマンに行きたいからです。それには、車を使わないと行けないでしょう?」
「事情はよくわかりませんが、ここからハルマンに行くのなら、車ではなく川艇にしたほうがいいでしょう。ワン・オーレンまで河でつながっていますから。そのあと近くの川港から目的地までは車で行くのが普通です。それに、川艇のほうが速くて疲れませんよ。車はとてもくたびれる。長年、商品を届けるためにこれを走らせていますがね」
「商売をなさっているのですか?」
「まあね、この道に入って何年だっけ? そろそろ三年になるかな。そこそこやっているよ」
「ここで、あなたにお会いできてとても幸運でした。一時はどうなるかと思いましたけれど……」
「あはっ。それは大正解だ。チャックは完全に獲物を見つけたといった感じだったからなー。あたしがいなければ今頃どうなっていたことか。まったく、いやらしい」
「なあ、メイジー。おまえは何か勘違いしているようだが、おれは下心なんか持ち合わせてないぜ。ただの親切心から話しかけただけだ」
「ふーん。とてもそうは見えなかったけどね。あたしという者がいるのにどうかしてるよ」
チャックは諦めたように肩をすくめた。
「でも、あなたのような身分の方がイリマーンに来るのはきわめて珍しい。しかも、ひとりきりとなればまずあり得ない」
「そのう、実を言うと……」
チャックは右手をぱっと挙げた。
「待った! あなたは、その、実におおらかな性格のようだが、この国では、うかつに何でもぺらぺらとしゃべるんじゃない」
「あ、はい。そうですね、常識がないとよく言われます。わかりました。それで、何も話さなくても助けてくださるのですか?」
「あたりまえだ! 何のための同境だ? あなたのような若い娘さんが同境のリングの所持者となれば、いやでも興味指数が振り切れてるが、ここは余計なことは聞かないのがよさそうだ」
チャックは大きく息をついた。
「それでだ、ハルマンに行くには貨客艇に乗船するのが一番いいだろうが、それだと、ほかの大勢の客と相乗りになる。それでいいか? ちょいと速度は劣るが、小さな川艇を借りきるという手もある」
「できれば、ひとりのほうがいいのですが……」
「その分、かなり値がはるよ。それでもいいのかい?」
「あ、大丈夫です。支払いはできます」
ワン・チェトラでも一度買い物に出かけているから大丈夫。
「よし、わかった。町についたら、川港まで一緒に行こう。いくつか心当たりはある。つまり、余計なことを聞かないやつがね」
再び車を始動し速度を上げてから、チャックはこちらをチラリと見た。
「あのな、お嬢さん。そのふたつの符環は旅の間はしまっておいたほうがいい。どっちかひとつでも持っていることなんぞを誰かに見られると余計なやつがわんさか寄ってくる。ふたつなら、想像はつくな?」
しばらくごそごそしていたメイジーが、細い鎖を一本渡してくれた。
「これに通して服の内側に入れておくといいよ。あたしもそうしてる」
そう言いながら自分の胸をポンポンとたたくメイジーの顔から首元に目を移す。確かにこれと同じような鎖が何本も見え、服の内側に消えていた。大事なものは全部あそこに入れているようだ。
「はい、ありがとうございます。あっ、あらためまして、オリエノールはロイスのカレンといいます。本当にありがとうございます」
「あんたは礼儀正しいね。あたしは、グウェンタのエスタメイジー。こう名乗ってもみんなイジーとしか言ってくれないんだけどね」
「はじめまして、エスタメイジー」
「いやー、久しぶりにそう呼ばれたわ。……ああ、やっぱり、イジーでいいよ」
カレンはさっそくふたつの符環を指から抜くと鎖に通して首からかけ、すでに下げているふたつのペンダントの隣にしまった。
「あのう、世間知らずの女だとお思いでしょうね?」
「まあね。でもね、世の中、不思議なことがいっぱいあるからね。まあ、それが、生きている証拠のようなものでしょ。あんたをあたしの研究対象にしようかな」
「こらっ、おまえ、お嬢さまに何を失礼なことを言ってるんだ。皇女さまだぞ」
「おまえ呼ばわりするな、チャック。もう少し優しく呼んでほしいよ」
「研究?」
「こいつの研究というのは、付きまとって謎を解明するってことですよ」
「何を失敬な。あたしは、守り手になることと引き換えに少しだけ新しい知識を……」
「おまえにはトマルで仕事がある。忘れたのか?」
「ああ、わかったよ。でも、あと一回だからね。わかった?」
「わかった、わかった、メイジー。あとは好きにしろ」
「あのー、エスタメイジーも同境なのですか?」
「そんなわけないだろ? これは水軍を勤め上げて辞める時にもらうもんだ。こんなひよっ子には与えられない」
「ひよこで悪かったね。あんただって勤め上げるほど長く水軍にいたわけではないだろうが。どうやってちょろまかしたんだい? それに、あたしのほうが力はあるんだよ」
「けっ、それが家父に対する口のきき方か?」
「えっ? おふたりは親子だったのですか?」
「違う!」
大声が両側から聞こえた。
「ひっ?」
「こいつは連れの……レイナの娘だ」
「ああっ、そうですか」
むすっとしているメイジーに言ってみる。
「でも、でも……今はお父さんなのですよね?」
「まあ、実の親はもういないから、一応はチャックがあたしの唯一の家族であることを否定するのはできないな」
「なんだ、その回りくどい言い方は。素直に言えばいいのに……」
「ものごとは、そう簡単に割り切れるものじゃない……」
そうつぶやいたきりメイジーはそっぽを向いてしまった。
反対側に顔を向ける。何があったのかわからないけれど、人生は複雑なのね……。
急にチャックがこちらを向いたため、お互いの目を覗き込むことになった。彼の薄い茶の目に一瞬驚きが見えたのは気のせいだろうか。すぐに彼は前方に向き直り、何度か肩で息をした。
その横顔をじっと見つめる。変わった髪色。淡い茶色に光が差したような金が混じっている。なぜか目が離せなくなる。不思議な人。
小さな咳払いが聞こえそちらに目を向ける。なぜかメイジーの目がキラキラしている。
ふたりとも颯爽として見えるが、わたしにも何となくわかる。雑な話し方から滲み出る思い、気の配りよう。苦労を積み重ねてきたに違いない。
どういうわけか、初対面なのにわたしのすべてを託せると感じる。シャーリンとペトラにはあきれられるわね、きっと。
カレンはチャックに顔を向けた。
「ところで、後ろに商品を積んでいると言ってましたよね? どこまで行くのですか?」
「ああ、トマルまでだ。つまりミルドガの。交易商品はたいていトマルから輸送船で運ばれる。イリマーンにも交易のための海港はいくつかあるが、今でも一番いいところはすべてミルドガに牛耳られているからね」
「そのトマルってどんなところなのですか?」
もう機嫌を直したらしいメイジーが口を出した。
「港には船、船、船。陸には倉庫、倉庫、倉庫。あたしにはそれ以外に何があるのかわからないよ、あの町には。ああ、宿なら星の数ほどある。ついでにあたしたちの家も」
「えっ? イジーはイリマーンの方だと思っていました」
「まあ、イリマーンの生まれには違いないし、そりゃ、ワンにも家はあるけど、今はこの人と一緒にトマルを拠点にしている」
「拠点?」
反対側からチャックが説明してくれた。
「グウェンタはイリマーンで手広く交易業を展開していてね。グウェンアイといえば有名な商会で、グウェンタは方々に地所と建物をたくさん持っている。幸いなことにそのいくつかは前からメイジーのものになっていて、トマルにもひとつある。つまり、よく考えれば、おれは単なる居候みたいなもんだな」
メイジーは前屈みになるとチャックを見上げた。
「いきなり何を卑屈になってるんだ? あたしはそんなふうには思ってないよ。ほんと……ひねくれてるんだから」
「それはお互いさまだろ」
肩をすくめたチャックは前を向いて車の速度を上げた。
しばらくして、ぽつりと言う。
「そういや、ミン・オリエノールのあの家には最近行ってないな……」
「じゃあさ、今度行こうよ、オリエノールに。あたしも見たい。川や運河が張り巡らされているという町とか港をさ。この前は何も見物できなかったし。そうだ、カレンさんが国に帰るときにでも……一緒に……ね?」
「ああ、そうだな……それも悪くない……」
メイジーの手が伸びてきて腕に回される。肩によりかかる彼女から作用のうねりが流れ込む。
そういえば、わたしも運河というものを知らない……。あれは南に行かないと見られないらしいから。




