198 助け船
「お嬢さん、こんなところで何をしてるんだね?」
カレンは両手を背中で組んだ。符環を見られるとやっかいなことになりそうなのは十分に想像できる。
少し距離をとったところで立ち止まると、どう答えるべきか悩んだ。
それを誤解したのか、肩をすくめた男性が話を続ける。
「別に、取って食おうというわけじゃない。だがね、こんな何もない道路を歩く若い女性はとても目立つ」
「町まで行こうとしているだけです」
「歩いてか? その格好で?」
こちらを上から下までなめるように見る目つきは、自分の答えが言い訳にすらなっていないことを示していた。
そうあからさまに言われると、あらためて自分の体を見下ろしてしまう。
歩くのに適した格好でないのは最初からわかっていたが、この服では嘘を突き通すこともできない。それに裾周りがかなり汚れているのを発見した。あの草むらを突っ切った時だろうか。草とすれただけでこれほど汚れるとは思ってもみなかった。
「それで、何のご用でしょうか?」
だんだん目の前の男がかなり怪しい人物に見えてきた。
道路の縁に立っているふたりとすぐ隣に停車している大型車。逃げるべきだろうか? でも、この格好ではとても走ることはできない。
その時、後ろから女性の声がした。予想外のことに息が詰まってしまう。
「ねえ、この子、震えてるじゃないか。もう少し優しくしたらどうだい?」
感知を使うのをすっかり忘れていた。いったい何をやっているのだろう。
これがわたしの唯一の武器なのに、ここで失敗するなんて。どうしようもなく情けなくなってくる。
ゆっくりと振り返ったカレンは、黒が混じった銀髪に深い色の目を持つ若い女性と向き合うことになった。
「あたしはイジー。そっちはチャック。おびえさせてごめんよ。彼に悪気はないんだけど、なにしろ口が悪くてね」
顔から血の気が引くのを感じる。強制者。それに、遮へいを使っていた。
このような場所ですご腕の作用者に遭遇するとは。自分の運のなさを思い知ったとたんに、体がガクガクして倒れそうになる。何とか足を踏ん張って姿勢を保つ。
「メイジーこそ、お嬢さんを死ぬほど驚かせたじゃないか。そうやって、後ろから忍び寄るのはひどく礼儀に欠けると思うがね」
そう言われたメイジーは男をじろりと睨むと、少しだけ申し訳なさそうな顔を見せた。
「そんなに驚いた? つまり、あたしの力もまんざらではないということだね。安心したよ。でも、そうやって妙に身構えているところをみると、あんたは感知者かい?」
どうしてわかったのだろう? レンダーは見られたに違いないけれど、この人は感知者ではない。わたしの作用がわかるはずがない。
肩をすくめたメイジーは輸送車を指さした。
「町まで行くけど乗っていくかい? あんたの服はともかく、その履き物はいただけないね。それじゃあ足が痛くてこんな石だらけの道は長時間歩けないだろ?」
これ以上歩けないのはわかっていた。しかし彼女は強制者だ。
何も言わずにいると、メイジーはため息をついた。
「あんたが感知者なら、何を恐れているのかは想像がつく。でも、あたしはあんたに力を使ったりはしない。襲われない限りはね」
カレンはメイジーの顔を見る。澄んだきれいな瞳がまっすぐに向けられていた。
この人を信用するしかないか。ここで、車に乗れなかったら町には永遠にたどり着けそうもない。
「ご迷惑でなければお願いします。わたしはカレン……」
チャックがいきなり陽気な声を出した。
「迷惑なもんかいな。こんなところにお嬢さんを置いてけぼりにするのは、おれの信条に反するからね。さあ、乗った、乗った」
「なんだい、その態度の豹変ぶりは。あたしがいるんだからね。この人に手を出したら承知しないよ」
このふたり、どういう関係なのだろう? 見た感じ、親子には見えない。兄妹かしら。
言われるままに輸送車に向かって歩き出すが、足を少し引きずっているのを見られてしまった。近寄れば座席はかなり高い位置にある。
開きっぱなしになっていた扉の下をチャックが足で蹴飛ばすと、ストンと小さなはしごが降りた。
「そこに足をかけて。手はそっちに」
チャックはそう指示したが、手助けはしてくれなかった。
カレンは段になった横棒を手で握り踏み台に足をかけると、別の手を上のほうにある取っ手に向かって伸ばした。
すでに反対側から乗り込んでいたらしいメイジーの手がさっと下に延びてきてカレンの手をつかんだ。そのあと、ちょっとしたあえぎが聞こえたが、すぐにぐいっと引っ張り上げられる。
勢いがつきすぎてメイジーの隣にドサッと腰を降ろす。
「ありがとう。足が思っていたより痛くて」
手を伸ばして履き物を脱がすと体を捻って調べた。かなり赤くなっているが、まだ血は出ていない。とにかく、これで町まではたどり着けそうだ。ほっとして力が抜けるのを感じる。
隣にチャックが飛び乗ってくるとカレンはメイジーのほうに腰をずらした。両手を膝の上に置いた巾着の下に入れる。扉を閉めたチャックは周囲を確認してから運転を始めた。
こちらをじっと見ていたメイジーが静かに言う。
「あたしの目が確かなら、それは皇女の証しだね」
すでに車を動かしていたチャックがヒュッと息を吸い込む音が聞こえ、次の瞬間、車がガクンと止まった。両側から見つめられ思わず首を縮めた。
「これには……わけが」
「どこの皇女だ?」
そう怒鳴ったチャックはすぐに、口をすぼめてゆっくりと息を吐き出した。
こちらを見て出した声はとても穏やかだった。
「拝見してもよろしいですか?」
いきなり言葉遣いが変わったのにも驚いたが、その目の輝きがまるで獲物を見つけたかのようで不安を誘った。
見られてしまったものは今さらどうしようもない。右手を差し出した。
「はい、どうぞ」
カレンの手を取ってじっと見ていたチャックはそっと息を吐き出した。
「しかし、これまでの儀式でイリマーンの主家の面々にあなたの顔を見かけた記憶がないのだが。準家の顔も何人かは知っているがその中にも覚えがないな」
まあ、当然よね。二、三日前に初めて来たのだから。
チャックはしばらく首を振っていたが、突然、唸り声を上げた。
「ちょっと待て。そっちの手も見せてもらえるかな?」
しかたなく、反対側の手も差し出す。
肩越しにこちらを覗き込んだメイジーが耳元であえぎ声を漏らしたことで、わたしの秘密は全部知られてしまったのがわかった。
「こっちは、オリエノールはイリスの青だ。それに、これは同境のリングじゃないか」
「同境? どれどれ。ああ、本当だ。でも、どうして、あんたみたいな小娘が同境のリングまで持ってるの? どこで手に入れたのよ?」
ふたりにまじまじと見つめられ、どう答えていいのかわからなかった。しかもメイジーには完全に子ども扱いされている。
しばらく時が止まったように膠着状態が続いた。
カレンが何も答えないでいると、チャックが自分の左手をこちらに向け裏返して見せた。
喉奥で声にならない音が出るのを感じる。その指にはカレンの持っているのと同じ同境のリングがはまっていた。
「同境のリング……ですね。オリエノールの方なのですか?」
「まあね。しばらくオリエノールの水軍にいた。正確には力軍だがね」
「オリエノールかあ。……あたしは、ほとんど知らないよ。仕事でしか行ったことがないからね」
つまり、この人はわたしを……助けてくれるはず。
カレンはこのふたりに出会ったのが不運ではなく幸運だったことに気づき心の中で深く感謝した。




