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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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197 行動

 その夜また、カレンは夢を見た。

 いつもと同じようなやり取りの後に、何度もレンと呼ぶ声がはっきりと聞こえ、そこで目が覚めた。


 部屋にはほのかな(あか)りがついているだけで窓の外は真っ暗だ。朝まではまだ時間がある。

 あの声、あれは、きっと、ケイトに違いない。


 最初は、あの部屋に眠るケイトたちを見たためだろうと思ったが、そうでないことはわかっていた。ケイトたちは死んでなどいない。みんなの意識はまだどこかにある。どこだろう?


 同じ声を、壁を越えての飛行中にも聞いたことを思い出す。突然、答えが浮かび上がってくる。彼らはあの壁の向こうにいる。トランサーの海のただ中に。


 そうだ、第二形態は意志をもっているかのごとく動いていた。あれが一時的に止まったのも白色と化したのも、彼らと関係あるのだろうか?


 もし、あの声がケイトなら、あそこにもう一度行かなければ。それもあの場所ではなくて、もっと遠くの、そう、原初のほうに。


 突然なぜか確信のようなものがどっと押し寄せてきた。きっと、あそこにみんな居るはずだ。あそこに行けば、ケイトと、それに母と父とも話ができる。そういった思いがどんどん膨れ上がり抑えきれないものになってきた。




 何とか心を落ち着かせて考える。

 さて、どうしよう。あそこに行くには船が必要。まず、ザナのところに帰ってこのことを話さなければ。それにはウルブ7かセインに戻る必要がある。

 でも、ここはイリマーンだ。果てしなく遠い地にいる。どうすればいい?


 シャーリンたちがこちらに向かっているはずだ。いや、ハルマンに。シアはいつ戻ってくるだろう? シアに伝言を頼めるといいが。

 もうハルマンに着いていて、カレンが行方不明なことを知っているかもしれない。


 そうだ、まず、ハルマンに戻ろう。それしかない。


 その時、イサベラの顔が浮かんだ。彼女が帰ってくるまで待つべきだろうか。いや、一刻も早く向かったほうがいい。どうやら、壁の状況も悪化しているようだし、そうなると壁を越えるのも大変かもしれない。


 どうすればハルマンに戻れるだろうか? ここにいる誰かに話すわけにもいかない。

 町まで行けばハルマンに向かうための車を借りられるだろう。空艇はたぶん無理ね。今までそのようなことをした記憶はないが、それしか考えつかない。


 とにかく、町に出かけてから方法を考えよう。あそこに行くのは別に禁止されていない。



***



 朝食を()りながら実行計画を立てる。


 イサベラとお茶をした時にいた部屋から町が見えていた。それほど遠くないはずだ。この前は車で行ったが、たいして時間がかからなかった。たぶん歩いても行ける距離のはず。

 それには、まず外服(そとふく)に着替えないと。内服(うちふく)では建物から出ることもできない。


 寝室との間にある着替え部屋に行って、戸棚を開いてみる。大きな空間に二着の外服を発見したが、どちらも昨日のドレスと同じようなもの。裾が長く手の込んだ装飾が施された衣装で、とても歩いて行くのに相応(ふさわ)しいものではない。


 もっと身軽で動きやすく短い服でないと。浴室で作業をしているタリアに聞いてみようと思ったが、忙しそうにしていたため諦める。


 少し考えてから前室に向かい、わずかに開いていた扉から顔を出す。ペイジがいた。こちらに背を向けて腰掛けている。


「ペイジ……」


 さっと振り返って立ち上がったペイジが言う。


「カレンさま、呼び鈴をお使いください」

「あ、ごめんなさい。今度からそうするわ。それで、ほかの外服はありませんか? あ、戸棚の中は見たのですけど、つまり、もう少し身軽な服がないかと思って……」

「それはどういう意味でしょうか」

「ちょっと、散歩をしたいのです。だからもう少し、その、ああ、汚れてもいいのを」


 ペイジは首を傾げた。


「汚れるとは、いったいどちらを散歩されるのですか?」

「とにかく、ほかのはありませんか?」

「わかりました。衣装部屋にご案内します」




 ペイジについて少し離れた部屋に行く。

 扉を通り抜けると、服がずらりと掛けられた部屋になっていた。


 カレンはぐるりと見渡し、目を引いた一角に向かった。短い服が並んでいた。これは、いつも着慣れている綿布で作られたものだ。手を伸ばしたところでペイジの鋭い声が聞こえた。


「カレンさま、こちらの中からお選びください」


 そのままの姿勢で振り向く。

 ペイジがたたみかけるように言う。


「そちらのはだめです」


 しぶしぶ手を離し、ペイジが立っている場所に向かい隣に並ぶ。


「これなどいかがでしょう。サイズも問題ないと思います」


 ペイジが示した服は、部屋にあるのよりは丈が短かったが、同じように繊細な作りの服だった。このようなのを着たらすぐにだめにしてしまう。

 カレンは首を振った。


「もっと、動きやすいのを探しているのですけど……」


 このような上等な服ではとても町まで歩けない。


「とにかく、こちらの一角からお選びください。それ以外はカレンさまに相応(ふさわ)しくありません」


 ずらりと並んだ服を眺めため息をつく。

 全然ないじゃない。これでは、わたしの計画は最初から頓挫してしまうわ。


「こちらはどうでしょうか」


 ペイジが奥から青い服を取り出した。 

 しかたなく、部屋にあったのより多少短めの服を手にした。作りはほかのと変わらず手の込んだものだ。


「あまり違わない……」

「カレンさまは動きやすい服をとおっしゃいましたが、こちらの生地のほうが薄くて邪魔にならずいいと思います。それに、この服は両脇が前後で分離していて、お考えになっている以上に動きやすいです。滑りがよく足にまとわりつくこともありません」


 そう言われてあらためて渡された服を調べる。確かにこの服はとても軽いし、内側もサラサラしている。

 それに、これがたぶん、この中で一番まともだった。鮮やかな青色は目立つかもしれないと思ったが、街中の人々を思い出し、妥協する。


 部屋に戻るとペイジがエドナを呼んで持ち帰った外服を手渡す。


「カレンさまが散策にお出かけになります」

「わかりました。それでは、カレンさまが先日お求めになったスタブを使ってみましょう」

「えっ? それは必要ないわ。着替えるだけで十分……」


 ペイジがピシャッと言う。


「なりません。外出にはそれに相応(ふさわ)しい身なりというものがございます」




 ため息が出る。ここにいると息がつまりそう……。

 服を着せてもらい、鏡の前でエドナが髪を整えるのを辛抱強く待つ。


「これは……子どもっぽくはないですか?」

「それはありません。大人でもこのようになさる方は大勢いらっしゃいます。それに……カレンさまは十分にお若いですから」


 はいはい、エドナにはわたしが年下に見えるわけね。確かにそれを否定はできない。


 邪魔が入ったが次は手紙だ。一度書斎に戻ると書き物机に向かう。

 幸い、紙とペンに書状入れは備えられていた。


 座って少し考えてから、イサベラ宛にしばらく留守にするという手紙を書く。

 まあ、これを読んだら追いかけてくる可能性はあるけれど、とにかく、どうして留守にするかはきちんと書いた。


 思っているように彼女が賢ければ、おのずと理由の見当もつくだろうし、おとなしく待っていてくれることを祈るしかない。


 国王との話も中途半端なままなのが気がかりだがしょうがない。もう少し当時の経緯を知りたかったが、帰りを待っている時間がもったいない。


 テーブルからスタブとスティングを取り巾着に入れる。部屋の中を見回し、ひとつ深呼吸した後、大股で前室に向かう。




「ペイジ、王女が戻られたらこれを渡してもらえますか?」


 ペイジが怪訝(けげん)な表情をしたので慌てて付け加える。


「王女からうかがった話をもとに思いついたことを忘れないように書き記したものです」

「かしこまりました」

「さて、わたしはしばらく散歩をしてくるわ」


 ついて来ようとしたペイジに向かって言う。


「ひとりで行きます。歩きながら少し考え事をしたいので。道はわかっています。覚えはいいほうなので……」


 急いで歩き始める。

 ペイジは追ってこなかった。まあ、ひとりで歩き回っても問題ない場所だし、わたしは一応イサベラの母親ということになっている。それに、何より、ここは町から離れた丘の上にある。まさか、歩いてここを出るとは誰も思ってもみないはず。


 でも、ペイジには感づかれたかもしれない。何度も動きやすい服にこだわったし。

 建物の入り口には何人もの兵士が詰めていたが、外に出る際には何も言われなかった。

 入ってくる人を監視しているだけかもしれない。




 さて、どっちだっけ? 空を眺めてから建物を見上げる。太陽の方向を見て右に向きを変える。


 歩き始めるが、すぐに、考えていたより距離があることに気がついた。道路から少し離れて、刈り込まれた芝生のようなところを進む。ふかふかして気持ちいいが歩きにくかった。


 しばらくすると木立が茂っている所に差し掛かりその中を慎重に進む。なぜか、丈のある草むらが服の裾にやたらとからみつく。やはり普通の道を歩くべきだった。振り返って確認するがもうかなりの所まで来てしまっていた。しょうがない。このまま直進しよう。方向は間違っていない。


 これ以上服が擦れないように気をつける。

 ようやく、林を抜け坂道に差し掛かった。丘を下ったころにはかなり疲れてくる。

 上でははっきりと見えていた町が確認できなくなっていた。


 ようやく下の環状道まで降りてくると大きな門があった。ここを通るしかないようだ。重たそうな鉄格子の扉はもちろん閉じていた。ここを通してくれなかったらどうしよう? 外に出るのはいいのよね。


 すぐそばには詰め所があり、門の内側と外側には兵士が立っているのが見えた。作用者でないことにひとまず安心する。


 ゴクリとつばを飲み込む。緊張してきた。ここまで来たらしょうがない。とにかく何とか理由をつけて通るだけだ。




 近づくと大きい門の脇に別の小さな格子扉があるのが見えた。あそこから出入りするに違いない。

 若い兵士がうさんくさそうな目でこちらを見た。気にしないで小さな扉を目指す。


 門扉の前まで来たが扉が開く気配はない。


「あけてくださる?」

「この時間の出入許可はありませんが」


 困った。どうしよう。許可がいるの?

 もう少しなのに。門扉を見上げた。それほど高いわけではない。シャーリンならきっと簡単に乗り越えるだろうけれど、わたしには無理だ。もう一度言ってみる。


「わたしは外を歩きたいのよ。ここが唯一の出入り口でしょう?」


 門扉を指さす。

 直立不動の兵士は困ったように首を振った。


「許可がなければあけられません」


 その時、詰め所の扉が開き、男の人が出てきた。


皇女(こうじょ)さまでいらっしゃいますか?」




 その人の視線は挙げた手に向けられていた。すぐに、手ではなく符環(ふかん)を見ていることに気がつく。


「はい」


 手を返して掲げる。


「大変失礼いたしました。おい、開け」

「すみません、突然来てしまって、少し散歩をしてきますので……」

「さ、散歩ですか? どちらへでしょうか?」

「そのあたりよ」


 にっこりと答える。


「はあ、かしこまりました。それでは、供の者をお付けしますので……」

「必要ありません。わたしは、ひとりで散歩したいのです。いいですね?」

「はい、心得ました」


 やれやれ、符環の威力は絶大だ。これほど重要なものとは思わなかった。




 それから、通りの端を一所懸命歩き出したが、道路はずっと先まで続いており、いくら足を動かしても町はちっとも見えてこなかった。完全に距離を見誤っていた。


 今さらだが、町はかなり遠いことに気づいた。それでも、歩き続ければいつかは着くだろう。でも、何も持たずに来たのは間違いだった。

 少なくとも飲み物と食料は持ってくるべきだったが、そのようなものが手に入るわけもないし、かばんを背負って散歩はおかしいだろうし。


 時々、傍らを車が走り抜けていった。たいていは大型の輸送車のようだ。いつの間にか道路の幅がすごく広くなっており、幹線道を歩いていたことに気づく。


 足が痛くなってきた。この外履きは長時間歩くのには適していないことがわかる。ペイジに歩きやすい履き物も出してもらえばよかった。この調子では町の入り口までもたどり着けそうもない予感がしてくる。


 完全に失敗だわ。もう少し計画をよく練るべきだった。といっても、今さら戻ることもできない。ここまで来たら前に進むしか道はない。歩く速さを抑えて長く歩けるように頑張るしかなかった。


 また、巨大な車両が傍らを通り過ぎたと思ったら、少し先で急に止まった。何だろうと考えていると、人が降りてくるのが見えた。そのまま、車の脇に立っている。何をしているのだろうと思いながら歩き続ける。とにかく疲れていた。もう考える気力も湧かない。


 先で待っているらしい人が男性であることがわかった。

 嫌な予感しかしない。


◇ 第2部 第1章 おわり です ◇


◆ここまでお読みいただきありがとうございます。

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