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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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195 そこで見たもの

 午後も遅くになって、イサベラがやってきた。


「お母さまに見せたいものがあるの」

「見せたいもの?」

「ええ。ほかの人たちは反対したけど、わたしは隠しておくのは間違っていると思う。みんな出かけてしまったので、今なら誰も止める人はいないから」


 カレンはイサベラに続いて廊下を歩いていた。一度も通ったことのない通路を進み、階段を下りて何度も曲がって奥まで行くと、大きな扉の前で立ち止まった。隣には警備室のような部屋がある。

 イサベラは振り向いて命じた。


「みんなはそこの部屋で待つように。ここからはふたりだけで行きます」


 イサベラが警備室から出てきた指揮官らしき人にうなずくと、扉がゆっくり開いた。


 人が通れるほどのすき間ができると彼女はそこをすり抜けて中に入った。それから、振り返ってうなずく。カレンも同じように中に入ると、扉はすぐに閉じ始めた。


 そこは少し薄暗い通路になっている。目が慣れると、通路が奥まで続き、左右にいくつかの大きな扉が見えた。ここはなんだろう? 秘密の部屋らしいけれど、わたしに見せたくないものとは何だろう? 作用力に関係あることか、もしくは、ケタリに関係するものだろうか。


 再び歩き出したイサベラに追いつくように足を早める。


「何があるの?」


 イサベラは一瞬こちらを向いた。


「すぐにわかるわ」




 イサベラがひとつの大扉を過ぎたところで立ち止まり、隣に並ぶ普通の扉の取っ手をつかんだ。ゆっくりと扉を押して開くと、中に入り扉を押さえた。


 中は廊下よりさらに暗く、何も見えなかった。

 カチッという音とともに天井に赤い線が走り、すぐに安定した橙色の光となった。部屋の真ん中に四つの物体が置かれているのが目に入る。

 明るくなるにつれて、細部まではっきり見えてきた。


 それが何であるかがわかると、心臓が止まりそうになった。医療用のベッドだ。イオナの館で見た設備に似ている。それぞれのベッドまでいくつもの管や紐状のものが伸びている。

 しばらく足が動かなかった。息を止めていたことに気づき大きく息を吸ったものの咳き込んでしまう。




 急いで一番近いベッドに近づく。

 ここにも眠れる人たちがいるようだ。


 ベッドの前に立ち、意を決して(のぞ)き込んだ。ノアのベッドのように透明なカバーで覆われている。ひとりの男性が横たわっていた。顔が見えるようにベッドの側面に回り込む。見下ろした先の顔に覚えはない。


 それは当然だわ。わたしは記憶がないし、持っている記憶でもほとんどロイスから出たことがない。首を傾げて眺める。

 若くはない。五十歳かもっと年上かしら。この歳で第五作用力を使ったはずはない。それでは、この眠りは何だろう。顔を近づけしばらく見つめるが、呼吸しているようにすら見えない。単なる時縮作用ではないということかしら。


 顔を上げて残りのベッドを眺める。入り口のほうを振り返ると、イサベラは先ほどの位置から動かずに立ったままだった。




 カレンは、体を起こすとベッドの縁を回って隣のベッドに向かって歩く。

 なぜか動悸が激しくなってくる。胸の真ん中が熱くなってきた。なに、これ?


 どうして力髄(りきずい)が暴れるの? 床を這っている管に(つまず)きそうになり、慌てて手を伸ばす。後ろから押し殺した叫び声が聞こえた。


 何とかベッドの縁につかまり体を立て直したが、その先に見えたものに気づき、今度は自分の口から叫び声が漏れるのを耳にした。


 そこには、自分の顔があった。いや、正確には自分と同じ容姿の女性が横たわっていた。目の前の顔から目を離せない。どんどん胸が苦しくなってくる。


 つかまっても立っていられなくなり、ベッドの脇に崩れるように両膝をつく。今度は、なぜか、涙が出てくる。知らずに何度も嗚咽(おえつ)が漏れた。


 しばらくして動悸が静まってくると、何とか自分を抑えて目の前の光景を直視する。


 ケイトに違いない。歳を取った自分がそこにいた。目は閉じているが、自分よりわずかに薄い色の目を想像する。歳は十代にはまったく見えない。間違いない。


 でも、どうして? という考えが浮かんだ次の瞬間には自分で答えを見つけていた。

 しゃがんだ姿勢のまま顔を上げて振り返り、ベッド越しにイサベラの姿を探す。イサベラの目を捉えると彼女がゆっくりとうなずくのが見えた。


 しばらく、ケイトの姿を見つめたあと、次のベッドに近づく。予想したとおり、女性が横になっていた。歳は五十か六十か、よくわからない。


 この人がエレインに違いない。わたしの母親……。顔は知らなくても確信があった。




 しばらく、女性の顔をじっと眺める。それから、立ち上がると少し離れた最後のベッドに向かう。残る人物と言えば、あの人しかいない。

 娘と一緒に緊張した顔で写真に収まって、いつ撮られたのかは知らないけれど、もうひとりの方ならじかに会っている。たぶん、あの方と同じ顔立ちのはずだ。


 最後のひとりを確かめる。

 そこには予想した人はいなかった。てっきりわたしと入れ代わりに消えた人だと思ったけれど、よく考えればそれはおかしいわね。

 あれは、一年と少し前のはず。ほかの人たちとは違う。それでは、これは誰なのだろう? 何となく見覚えがあるのは気のせいだろうか。


 振り返ってほかの人たちが収納されているカプセルを眺める。エレインとケイト。きっとあの男の人はエレインの連れ合いに違いない。名前は……思い出せない。いや、聞いたことがなかったかしら。


 もう一度、目の前の透明のカバー越しに顔を見る。突然、誰に似ているかわかった。イサベラの兄たちだ。

 面影があるが、どうしてケイトたちと一緒にいるの? いや、イサベラの兄とは限らない。振り返って彼女を見る。




 イサベラは両手で体を抱きしめるような仕草で何かを待っているようだった。

 もう一度部屋の中をぐるりと見回す。足元の機械が立てるかすかな音だけが聞こえる。ここは……あまり長居する場所ではないわ。


 カレンはイサベラのもとに戻る途中で、もう一度カプセルの中で身動きしない三人の姿を順番に見た。いったい何が起きたのだろう。

 この人たちは今でも生きてはいるようだが、それ以外に何の気配も感じない。魂が抜けた体のようだった。思わず体が震える。


 急いで、イサベラのそばに寄る。


「イサベラ、ケイトたちにいったい何が起きたの? それに、あの向こう端で寝ているのは……」

「ええ、ご想像のとおり、あれはわたしのすぐ上の兄です」

「どうして、一緒に?」


 イサベラは部屋を見回すと首を振った。


「上に戻りましょう。ここで話すようなことではないわ。ここは……寒すぎる」


 うなずく。実際に寒いわけではなく、先ほどから力髄が激しく揺さぶられている。

 おそらくイサベラも同じように感じているに違いない。

 くるりと向きを変えて扉に向かった彼女を追いかける。

 部屋から一歩出たとたんに、外の空気に暖かさを感じる。中が涼しいわけではなかったはずだが。


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