193 同調
翌日カレンは、今日も休みだというイサベラと朝食をとってから、エドナとタリアにスタブの使い方を教えてもらう。編み込みの方法とアレンジの仕方についていろいろと。
エドナは椅子に座ったタリアを実験台にして、いろいろなやり方を次々と披露してくれた。それから今度は、イサベラに座ってもらい、覚え立ての知識をいくつか実践してみる。
彼女が満足げな表情をしていることから、うまくできたのがわかる。
それが終わると今度は、御髪を整えましょうとタリアに言われる。イサベラが賛成するものだから、否応なく髪の手入れが始まってしまう。希望を聞かれたのがせめてもの救いだ。
少し短くとお願いし受け入れられた。なぜかふたりは楽しそうに作業をし、イサベラは終始にこやかに眺めていた。
ようやくふたりから解放され、軽くなった髪を振って鏡で見る。
側事はこのような仕事もできなければならないのか……とても大変なことだわ。
その後、早いお茶にたわいもないおしゃべりをしていると、部屋の扉の開く音が聞こえた。
ペイジの声がすると思ったら、すぐに三人の男たちが入ってきた。
その先頭を歩く男性を見て、心の中で声を上げてしまう。わたしの人物認識学習が順調なら、彼の歳は四十くらいだろうか。黒に近い茶のとても短い髪、近づくにつれはっきりとしてきた切れ長で琥珀色の目。ドキリとする。何となくレオンと似ている。
立ち上がって服を整える。この人がイリマーンの王。ディラン……。
まっすぐにカレンの前まで歩いてくる。
「無理やり連れてきたそうですまない」
そう言ったきりこちらを調べるように目を動かした。
丁寧に挨拶をする。
しばらくしてようやく、ためらいがちな声が発せられた。
「驚いた。わしの記憶にかすかに残っている姿とまったく同じだ。本当だったのだな……」
「当然です、お父さま。すでに、ザームから結果を知らせてあると思いますが」
「ああ、わかっておる。しかし、よく戻ってきた……」
戻ってきた?
拉致されて来たのですけれど。自分の眉間にしわが寄るのを感じる。
「お父さま!」
「あ、すまぬ。かなり乱暴だったかもしれないが、そなたの居場所がわかったとなれば、これ以上待つのは得策ではなかった。苦痛を与えてしまったのなら誠に申し訳ない」
ディランはそう言うとすまなそうな顔を見せた。
黙ってしまったディランに取って代わり、イサベラが残りの人たちを紹介してくれた。皇子のブランとエイデン、つまり、イサベラの兄たち。
「それでもだ、とにかく、これですべて解決だ。いやはや、長かった。これでやっと念願のケタリがわが国に戻ってくる。そなたにはとても感謝している」
そうでしょうとも。
でもあなたの願いがすんなり叶うとは限らないわ。
「そなたさえよければ、さっそく始めたいのだが……」
「お父さま、そんなに急がなくても……」
ディランの格好は埃で汚れており、外から帰ってきたばかりであることを示していた。着替えも惜しんでこちらに来たのだろう。
イサベラはすぐには力覚しようとせず、父親の帰りを待った。そして、ディランが帰ってくるなりその話になった。誰が何を望んでいるかはこれで明らか。
しかし、彼女はなぜ力覚するのを先延ばしにしたのだろうか。
「いや、これはおまえにとってとても重要なことだ。わかっているだろう? わしの帰りを待つ必要はなかったのだよ」
別にカレンに異存はない。
できればよし、できないなら結果は早くわかったほうがいい。このもやもやした感覚がいつまでも続くのは我慢できない。
ディランに促されて、全員がぞろぞろと移動する。途中で何人か知らない人たちが加わる。
目的の部屋に入る前にわかった。その部屋が待機室のような造りであることが。どうしてこのような場所で力覚を行わなければならないのだろう。
首を傾げて部屋の中を見回していると、こちらの考えを察したのかイサベラが簡単に説明した。
「お母さま、これは安全のためよ。力覚を実施する際は、外部からの影響を遮断することになったの」
どうして? 力覚がそれほど危険なはずがない。それとも力覚には何か副作用のようなものがあるのだろうか? あるいは、以前に何か起こったのだろうか。
もしくは、ほかからの干渉を予想しているというのか。たとえば、イサベラがケタリになるのを望まない人たちかしら?
それは十分にあり得ると気づいた。イサベラをケタリにすることで、イリマーンに新たな火種が生じる?
でも、イサベラはすでに王女としての立場を持っている。
自分と同じように緊張が感じられるイサベラをちらっと見る。彼女は本当にケタリになりたいのかしら?
全員が部屋に入ると、重々しい扉がガシャンと閉じられた。
カレンのすぐ前にはこちらを向いたイサベラ。少し離れた右側にディランとその皇子たち、左側には壮年の男性が立つ。この人はきっと権威ある者に違いない。
その向こうには、イサベラの主事だというザーム、壁際には黒服の衛事たち、他にも知らない者が何人か。
さて、どうすればいいのだっけ?
確かお互いにつながるだけでいいはず。普通の作用者にできないことだとしたら、同調力を使うしか考えられない。それ以外に方法はないはず。
不安そうにしているのが伝わったのだろうか。イサベラはうなずくと確認するように話した。
「やり方ならわかっています。わたしと手をつなぎ、お母さまの同調力を使ってわたしの作用力をすくい上げるだけのはずです」
イサベラが説明した後は、誰も身動きせず部屋の中を静寂が支配する。
カレンは肩をすくめると、まっすぐに差し出された彼女の両手を握った。
その手は氷のように冷たかった。
少し意外に感じて顔を上げると、イサベラの目には強い緊張がうかがえる。
彼女と視線を合わせた時に張り詰めた静音に身構えるような堅さを感じ取った。このあと起こることを理解しているのだろうか。
カレンは軽く息を吐き出し、もう一度イサベラの手を握ると、緊張した顔を覗き込む。
彼女は覚悟を決めたようにわずかに首を動かした。
目を閉じると、シャーリンやペトラにしたように、ゆっくりと力を注ぎ込み始める。イサベラの手首がピクッと動き、自分の力が彼女の持つ感知力をつかみ増大させているのを感じる。この感触は以前に同調力を使った時とまったく同じだ。
感知力以外の力はおよそ自由にならないけれど、同調力だけはいつでも使えることがわかりほっとする。ここまで特に違和感はない。
しだいに力を強めるが、イサベラから逆流する力に少しも変化が感じられない。
誰も一言も発しないまま時間だけが流れた。
時間感覚を失いそうになり小声で尋ねる。
「どうですか?」
返答がないので目を開いて確認する。
イサベラの顔には怪訝の表情が浮かんでいた。手をつないだままの彼女が振り向いて小さな声を出す。
「アイゼア、こうすればいいはずよね?」
イサベラの視線の先に目を向ける。権威ある者だと思っていた人の言葉を待つ。
「間違いない。同調力によって自然と力覚するはずです」
「何も変わらないわ」
イサベラはこちらに目を戻した。
どういうわけか、その顔には安堵が見て取れたような気がする。
失敗したのにどうして?
やはり、うまくいかなかった……。メイやシャーリンの時と同じ。
もう一度イサベラの顔を見たときには、再び怪訝の表情にとって変わっていた。
周囲の人たちから失望の声が漏れてくる。
それからもしばらく目を閉じていたイサベラはしぶしぶ手を離した。もはやその顔には動揺しか感じられなかった。
「体調が優れないのかしら?」
カレンは首を振った。
「昨日も申し上げたはずです。たとえ、あなたがわたしの娘だとしても、わたしのケタリとしての力は不完全で不安定でほとんど自由にならないと……」
「そんなこと……あり得ないわ。力覚は力とも記憶とも関係ないのですもの。たぶん、今日は調子が悪いのよね、ねえ、そうでしょう?」
そう言うなり、くるっと向きを変えたイサベラは振り返ることもなく部屋を出て行った。
その後しばらく、部屋の中に動きはなく誰も言葉を発しなかった。




