191 街中へ
車から降りて少し歩くとすぐに、多くの人たちが集まっている広場に出た。
見回せば、周りは色とりどりの服を身につけた人たちばかりだ。
「今日は何か特別な日なの?」
イサベラは首を振った。それからカレンの耳に口を寄せて声を大きくした。
「このあたりはいつもこんな感じよ。まあ、少し離れればもっと静かになるわ」
この場所では、様々な色の服を思い思いに着るのが普通らしい。カレンが身につけている服はミン・オリエノールでは目立っただろうが、ここでは大勢の人たちに埋没していた。
それよりも、真っ白いイサベラのほうが少し浮いていることに気づく。離れて歩く黒と灰色の人たちも一目でわかる。これで変に思わない人はいないのではないかしら。
しばらく歩くうちに、周囲の人たちが身につけている服のほとんどは、素材が違うことに気づかされた。みんなが着ているのはよく知っている綿布のように見える。
わたしたちの服の生地はもしかして特別なものなのかしら。
「ほかの人たちの服は綿布のように見える。わたしたちが着ているようなのはあまり見かけないわ。これは高価なものなの?」
「そんなことないわ。まあ、ちょっとは値が張るかもしれないけど、それよりも、たぶん、手入れが面倒だから普段着にはしないだけだと思うけど」
「手入れ?」
「脱いだあと手入れをしないとだめになってしまうのよ」
「ああ、なるほど」
広場を過ぎると大きな通りに出たが自然と足が止まってしまう。
まるでお祭りか何かのように大勢の人にたくさんの店が並んでいた。予想すらできなかった光景にしばらく声が出ない。
「……これは、すごいわ」
いつの間にか護衛の人たちとの距離が近くなっていた。イサベラが作用力を使っているのもわかる。これだけ人が多いとそれなりに不測の事態に備えているようだ。
街中を歩きたいと言ったのは、実は難しいお願いだったことを知った。イサベラに何かあったら取り返しがつかない。早くここから抜け出したほうがよさそうだ。
「ここは人が多すぎるわ。頭がパンクしそう」
急に周囲の喧噪が大きくなった。イサベラは緊張した顔つきであたりを見たあと、道の先を示して何か言ったがまるで聞き取れない。耳を近づけるとようやく理解できた。
「ここを抜けたところにある店に行けばたいていのものが買える……」
カレンはうなずくと、足を速めたイサベラの後ろをついて行く。気がつけば衛事とケタリシャに取り囲まれていた。
人混みを抜け出たところで一息つく。イサベラも緊張が解けた顔を見せた。
「この道を通るのはちょっと無謀だったわね。どうして今日はこんなに込んでいるのかしら」
次の曲がり角まで来ると脇道の奥を示した。突き当たりに大きな建築物が見える。
その建物の前まで来るころには、ほとんど人通りがなくなった。
「ここには何でも売られているのよ。多くの店が集まっているの。すてきなものがいろいろとあるわ」
中は広々としていて、多くの品物が陳列された棚や平台に積み上げられた商品などが見えた。所々に仕切りの壁があることから、それぞれが独立した店らしい。
外の喧噪などとは無縁の静かな空間で、何人かの客が店の人に物を見せてもらったり話し込んだりしていた。その気さくな雰囲気はとても好ましく思える。
ここになら、髪をまとめるための道具がいろいろあるに違いない。いくらも歩かないうちに、ジェンナが使っていたような細長い布が多数掛けられている店を見つけ近寄る。
「お母さまはスタブに興味があるの?」
「向こうではあまり見かけたことがないので気になったのよ」
「そうなの? それじゃ、代わりに何を使うの?」
「飾り紐というのを使用しているの。細かい色使いがされているけど、あまり太くないのよ。これのようにヒラヒラすることもない」
「ああ、そうなの」
通路を挟んで向かい側の店には、もっと幅の広い布がずらりと並べられていた。あれは服を作るための生地なのかしら。とすると、あちらは服を仕立てる店らしい。
店の中に入ってしばらく見回していたイサベラが手を伸ばした。
「これなんかどう?」
「いいじゃない。あなたの明るい髪にはきっと似合うわ」
「お母さまによ」
「わたし?」
「この色、とてもいいと思うんだけど」
「あのね、イサベラ。こういうのはもっと若い……」
このスタブとかいうものは、若い人以外、使っているのを見ないような気がする。
「全然関係ないわ。お母さまはとても若いの、実際。ちょっと、試してみる?」
「昨日、これと同じようなのを使っていたわね」
「あっ、気がついてた? あれもここで買ったものなのよ」
ということは、ここはイサベラの御用達の店なのか。
「これで、おそろいにしたいな」
とても、現実離れしていると考えていると、イサベラがため息をついた。
「何か記憶に残るものがほしかったの。こっちのならどう?」
「わかったわ」
巾着の中から符証を取り出そうとすると、イサベラに手を押さえられた。
「お母さま、わたしに買わせてちょうだい。お願い」
結局、イサベラはさらにいくつか追加してその全部を購入した。
「これ、ほかの人への贈り物にもいいわね」
「もちろんよ。誰か贈りたい相手がいるの?」
「ええ、わたしの……友だちに」
淡い金髪には、黒の入ったスタブがとても映えると思う。ただ、一色だと単調だから、違う色も少し混ぜてみよう。ジェンナがしていたような編み込みの方法については、しょうがない、エドナに教わることにしよう。
結局、さらにたくさん買うはめになった。
「お母さまは装身具に興味がありそうね」
「こちらの装身具はオリエノールのとはだいぶ違うから」
「それなら、他の店に行ってみましょう」
イサベラに手を引かれて別の場所に連れていかれた。
「これなんかどう?」
「これは……えーと……」
「スティング」
そうだ、スティング。メイが使っているのを見たことがある。
イサベラは棚の上をぐるっと見回した。ひとつ取り上げて店の女性と話を始める。
イサベラに言われて、鏡の前に置かれた椅子に座わる。
先ほどの女性がカレンの後ろに回ると髪に手をかけた。スライダを取り外すと、手早く髪を整えさっとひねる。それからスティングという髪挿しの二本の軸を挿し込んで回した。あっという間の手際よさだった。
それから、彼女は別の鏡を持って後ろに立った。
イサベラがこちらを見る。
「こうやって使うのよ。とてもいいでしょう?」
なるほど。そう言われて店の陳列棚に並んでいる髪挿しを眺める。ほとんどのスティングは二本の軸がついたもので、反対側にはいろいろと派手な飾りがじゃらじゃらとぶら下がっていた。
立ち上がって奥にあるガラスケースの中を見ていると、すごく小さな飾りがたくさん入った容器がいくつも並んでいるのを発見した。
「あれは何かしら?」
指さすとイサベラは身を乗り出した。
「ああ、これは自分でスティングを作るための小物よ」
イサベラがお店の人に合図すると、ケースの中からいくつか出てきた。先ほどの女性が飾り気のないスティングを用意して、後部の鉤のような所に、容器から取り出したごく小さな飾りを取り付ける様子をじっと見た。
「なるほど、おもしろいわね」
もう一度ケースの中を眺めると、指の先ほどもない極小の飾りから、大きめの手の込んだ立体的な装飾品まで、いろいろな大きさの物がそろっているのがわかった。
並んでいる飾りをじっと見る。これは……ザナにいいかも。そう気づくとさらに吟味し始めた。
たくさんのミニチュア飾りの中には、小さな葉っぱとか花びらを模したもの、木の実や動物などいろいろある。イチョウやスイレンらしきミニチュアも含まれていた。
これを一そろい買えば自分で好きなようにアレンジできる。
軸はどれにしようか……。
ふと奥に置かれている少し太めの銀色の軸が目にとまった。先のほうが膨れた少し変わった形をしている。軸がひとつだが、一本挿しとも多少異なる。
「あちらの銀色の軸を見せてもらえますか?」
渡された軸をよく見ると、六本くらいの細い軸が束になって六角形を形作っているようだ。
「こちらは二本足のスティングと一緒に使う物になります」
そう女性が説明を始めた。
「反対側から重ねて用います。お試しになりますか? では、少々調整しますのでそのままお待ちください」
女性は軸をいったんバラバラにしてから装飾品をつけ始めた。
「昔はこのようなものを護身用として身につけていたそうです。今では普通の装飾品でしかありませんが……」
「護身? 武器なのですか?」
「正確には武器とは言いがたいです。これで、致命傷を与えるのは難しいでしょうから」
この艶のない色は……。
「これは、もしかしてメデュラムでできていますか?」
「さようでございます。お客さまはよくご存じで」
どうしてメデュラムでできているのだろう。レンダーとして使うのだろうか。スライダのように。いや、この細さでは髪になど挿してもほとんど意味はないだろう。
護身用ならこれで身を守るのだろうけれど、メデュラムはそれほど堅くないはず。武器にするのなら普通の鋼のほうがいいのではないかしら。
それでも、どういうわけか、この何本もの軸が緻密に組み合わされて計算された美しさを作り上げていることに目を奪われる。
これは守り手が持つには相応しいかしら。それとも単にあきれられるだけかもしれない。
でも、これにとても小さな葉と花を並べればすごくかわいらしいと思う。
お店の女性はいくつかの飾りを銀の軸に取り付け組み立て直すと、まだつけたままのスティングの上に反対側から、できあがった新しいスティングを挿してくれた。
角度を変えて鏡で確認する。なるほど、両側から……。やはりこれはセットで使うのがいいみたい。
結局、イサベラの勧めもあって、飾りのたくさん入ったセットをいくつかと何本ものスティングを買ってしまった。
「すっかり長居してしまったわ」
「いいのよ。お母さまが楽しんでくれてわたしもうれしい……。こんなに充実した日は久方ぶりだわ」
そのあとも、いろいろな店をかたっぱしから覗き込み、そこに並べられている品物について質問し教えてもらう。ハルマンでやり損ねたことがここでできるとは想像もしていなかった。
前を歩くイサベラの後ろ姿を眺める。
まだ、目の前の人物が自分から生まれたとは信じられない。すべては夢の中で、あの世界のように、あとで目覚めたときにはこの記憶も消え失せてしまいそうな気がした。
かすかに震えが走りピクッとする。ああ、どうしたらいいのだろう? 今晩もシアが来てくれるかしら。
植物が並べられている店が目にとまり、自然と足がそちらに向かう。
近寄って展示されている商品を観察する。小さな容器に土が入れられていて、とてもかわいらしい草木が植えられている。植物はこうやってお店で売られているのか……。
それぞれの容器には名前が書かれた札がついている。
腕の長さほどもないひょろひょろした木を順番に眺める。エグランドで延々と木の説明を受けたため、名前だけは頭に入っているが、そのほとんどの実物は見たことがない。
そのうちのいくつかに触れることができた。といっても、目の前にある小さな木では実際の成長した姿もどんな花が咲くのかもまるで見当がつかない。自分の記憶は何の役にも立たない単なる名前のリストであることがわかりがっかりした。
いずれにしても、知っている樹木はほとんどない。
後ろから声がする。
「お母さまは草木に興味があるの?」
腰を伸ばして立ち上がり振り向くと、背中で手を組んだイサベラが店の中を見回している。
「この前ね、樹木に由来するハチミツを買ったことがあって、それで、その元となる木はどんな姿なのか、わかるかなと思って。でも、この赤ちゃんのような木ではまったく想像もできないわね」
「カムランの内庭園にもたくさんの木が植えられているわ。今度、案内してあげる」
「ああ、それはすてき。ぜひお願い」
「でも、今は花の季節ではないから、あんまり参考にはならないかもしれないけど」
「わかっているわ。それでもいいのよ。ありがとう」
その後も散策を心行くまで楽しんだ。イサベラではないが、とても充実したひとときになった。




