189 カムラン
前室でペイジが合図すると内扉が開いた。
一歩中に入ったカレンは驚いた。部屋が異様に広い。しかも、内側に立っていたふたりの女性から挨拶を受けギョッとする。
「側事のタリアとエドナです」
ペイジが言うとふたりが腰をかがめた。
えっ、三人もいるの? とても嫌な予感がしてきた。
羽織を脱いでから、続き部屋がいくつもある居室をペイジの案内で一回りする。そのあと休む間もなく湯浴み処に連れていかれた。
奥に見えてきた浴室が見慣れたものであることがわかり拍子抜けした。先進的なのはアデルの館だけなのだろうか? イリマーンの主家が保守的なだけかもしれない。
でも、これなら誰の助けも必要ない。
「ありがとう。あとはひとりで……」
そう言った時には、三人に囲まれていた。
むだだとはわかっていたが一応抵抗してみる。
「ひとりでできますから……」
即座にきっぱりとペイジに言われた。
「それはなりません。カレンさま」
ひとりで湯浴みをしてはいけない理由は告げられなかった。
ため息が出た。どうしてこのような目に遭わなければならないの。わたしはひとりで入浴を楽しみたいのよ。
抗議もむなしく腰の帯が解かれ、イオナの館から着っぱなしの内服がするりと落ちる。
次の瞬間、小さな叫び声が周りから上がりビクッと震える。
「これはいったい……どうされたのですか?」
えっ? 何のことかと思って自分の体を見下ろした。
……こんなにたくさんあったっけ? 思わず苦笑が漏れる。打ち身のあとが昨日よりもすごい色になっていた。触ってみるとまだ少し痛む。
「ああ、これは……少しばかりぶつけたの。その、車の中で……」
目を見開いたまま固まっているエドナに向かって言う。
「見かけほど悪くはないのよ」
気を取り直したらしいエドナに肩を優しく押されて浴室内の椅子に腰掛ける。
これは、大変なことになった。自由がまったくないわ。早急に何とかしなければ。顔を上げて入り口に立っているペイジに目をやると、笑顔が返ってきた。
はあ。彼女に言ってもむだね。今度、イサベラからペイジに話してもらおう。わたしは、自分のペースで湯浴みをしたいのよ。
みんなはどうしているかしら。シャーリンたちはハルマンに向かっているとシアが言っていたけれど、すでにわたしはイリマーンに連れてこられた。
それに、イオナはどうしているかしら。わたしが急にいなくなったことで誤解しているかもしれない。せっかく関係を修復しようとしてくれたのに。
いちいちお付きの者に世話されるのは鬱陶しいけれど、今さら拒むこともできない。
タリアとエドナに腫れものに触るような手つきで髪と体を洗われたあとようやく解放される。それから、促されるまま浴槽に体を沈める。最初は少しピリピリした。
唯一の利点は、考え事をしている間にすべてが終わってしまうことね。自分でやっていたら、思案し始めたとたんに手が止まってしまうに違いない。
たっぷりのお湯に浸かりながら考えを巡らせる。これからどうしたらいい? シアが戻ってきたらわたしがどんな目に遭っているかを伝えてもらおう。
そこで気づいた。みんなと会うことはできるのだろうか? ここでのわたしには自由があるのかどうかもわからない。
もしかすると、この建物から外に出るのは許されず、シャーリンたちも入れてもらえない可能性はかなり高い。
ぼんやりしていると、エドナが現れ浴槽から引っ張り出された。
いつまでもお湯に浸かっていることは許されないらしい。まあ、きっと彼女たちにはほかの仕事もあって忙しいだろうし、ここは素直に協力するしかない。
そこに現れたタリアの手には大きな薬瓶が握られていた。ふたりがかりで軟膏のようなものを体中に塗られてから服を着せてもらう。
ここの内服はおなじみの上下に分かれたスタイルだったが、下のほうは内側がズボンのようになっていた。変わっている。
布地の素材は、ハルマンで着せられたのと同じく、すべすべして柔らかく薄い生地でできていた。こちらでは全部がこの生地なのかしら。
この肌触りのよさは気に入っている。こちらに来てこれだけは大収穫だ。
それにしても、三人はわたしのことをどう思っているのだろうか。テキパキと仕事を続けるエドナを鏡越しに眺める。
イサベラの母親だと説明されているのだとしたら、この人たちはそれをそのまま信じているのかしら? それとも単に機械的に義務を果たしているだけだろうか。
仕度が終わるころにはすでにタリアによって食事が用意されていた。その食卓を見て驚く。びっくりするくらいの量の料理が並んでいる。
まさか、これを全部ひとりで食べると思っているのじゃないでしょうね。というか、どうしてこんなにたくさん並べる必要があるのだろうか。
椅子に座ると、タリアがすぐ横に立つのが見えた。
監視されながら食べないといけないらしい。
目の前に並べられている料理は知らないものが多い。せっかくだからと思い、タリアの顔を見上げると、何でしょうという顔をされた。
「見たことがないものがあるわ。教えてもらえる?」
「かしこまりました」
タリアから一つひとつ料理の名前、食材などを聞き出す。
彼女はすべての質問に根気よく答えてくれた。知識と忍耐力があることには感心してしまう。
中でも気に入ったのは、少し甘辛い具だくさんのスープ。これは、食べ慣れたシチューと違って、ザラザラ感がなく舌触りがとてもなめらかだ。
きっとあのハチミツが入っているに違いない。タリアに答えを求めた結果、自分の舌が正しかったのが確認できた。
最後には見たことがない果物が出てきた。食べ方もわからない。
黙ってその不思議な形を凝視していると、タリアの手が伸びてきて、手際よく中身を取り出して食べやすく切ってくれた。
とても甘くてうっとりするような香りが口の中に広がる。聞けばスピュールというものらしい。東方の果物とか。でも、オリエノールでは見たことがないわ。
ソファに腰を沈めて温かいお茶を飲みながら、食卓が片付けられるのを眺める。もうおなかいっぱい。食べ過ぎで一歩も動けなかった。
わたしは、こんなところで何を楽しんでいるのだろう? みんなに心配をかけているというのに……。罪悪感を感じるにつれておなかがキリキリしてきた。
そこにエドナがやって来て、今度は手足のお手入れをすると言う。よくまあいろいろとやることを見つけるわね……。
すぐにはここから動けそうもなくエドナにされるがままとなる。もはや抵抗する気力も失せた。
ふたりの側事からようやく解放されて、いざ寝ようとベッドに潜り込んだところでシアが現れた。
すぐに手を差し出してきた。本当は接触は必要ないのだけれど……。指でちょんと触れる。
「あら、早かったわね」
「うん。今は要だから……」
「何の?」
「カレンの記憶を補完するとき」
「どういうこと?」
「王女の父が戻ればわかる」
イサベラの父親。すなわち、わたしが関係したひと……。
「あのね、シア……」
シアがかわいらしい首を横に振ると、緑の髪がぱっと扇状に広がる。
カレンはため息をついた。もうすぐわかる……それまで待てということ。




