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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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188 現実と記憶

 とりあえずカレンは口を開いた。


「あのー、何か誤解があるようだけれど……」


 こちらを向いたイサベラの額にしわが寄った。


「どこに?」

「わたしはあなたを知らないし、それに……」


 イサベラは制止するようにぱっと手を上げた。


「知らなくて当然よ。わたしもお母さまには今日初めて会ったのですもの」


 ぱっと頭を振る。何かとんでもない間違いがあるようだ。そうだ、場所……。


「……ここはどこですか?」

「イリマーンのカムラン、つまり、イリマーンの国都、ワン・チェトラの外れ」

「イリマーン? まさか……」

「かなり乱暴なことをしたようでごめんなさい。王の手はいささかせっかちで」


 つまり、あれはイリマーンの国王直属の部下たちで、そうすると、目の前の女性はイリマーンの王女ということになる。

 突然激しい目眩(めまい)がしてきた。両手で耳を押さえて震えを沈めることに努力する。


「大丈夫? お母さま、寒いの? いま羽織を取りに行かせたから」


 イサベラは床に膝をつくと心配そうにこちらを見上げた。

 そうではなくて、震えの原因はあなたよ。




 彼女はシャーリンと同じくらいの年頃に見える。キリッとした顔立ちで、振る舞いも優雅だ。

 カレンは手で頭を押さえたまま首を横に振った。


 突然、イサベラの両手が伸びてきて腰に回された。それからぎゅっと抱きつかれ、彼女のサラサラの髪が鼻をくすぐる。

 両手を宙に上げたまま固まってしまう。突然、何をするの、この子は?


 目の前には栗色の髪を束ねるように巻かれたふたつの白いリボンが震えていた。

 こちらの若い人はこの手の薄い布で作られた帯で髪をまとめるらしい。

 ジェンナもそうしていた。近くで見た感じでは光沢があり、自分の着ている内服の素材と同じように思える。

 今までは、飾り紐で髪をまとめることしか知らなかったが、幅広の布を使うと華やかに見えるようだ。


 そのままじっとしていると、温かい息が薄い内服を通して胸に伝わってきた。

 ようやく体を離して向かい合ったイサベラは小さな声を出した。


「どうやら震えは治まったみたいね? えへへ、一度こうしてみたかったのよ。本当の母親とね。でも……」


 鼻にしわが寄るのが見えた。


「あまり実感がわかないわ。だって……どう見ても、あなたはわたしの母親には見えないし、実際、誰が見てもわたしたち、たぶん姉妹としか思ってもらえないでしょうし」


 そう言って少し笑ったイサベラは突然、(まぶ)しそうに何度か目を(またた)いたあとぎゅっと閉じた。


 いきなり両手が伸びてきて体のあちこちを触ってきた。イサベラの手は温かく動きはぎこちなかったが、目の前の人を確かめるような仕草には思い当たることがあった。もしかして……。




「何も感じないわ……服のせいかしら……」


 ずっと目を閉じたまま、手を止めて考え込むイサベラの両手をつかんで胸からどかすと尋ねる。


「あなたの歳はおいくつですか?」

「イサベラよ、お母さま。その堅苦しいしゃべり方は必要ないわ」


 それから小さく息をついた後こちらを見る。


「十七歳……と九週」


 そう言うイサベラの吸い込まれそうな目を(のぞ)き込む。やはりシャーリンと同じ目だ。

 イオナの言葉が脳裏に(よみがえ)る。ケタリは双子を授かる……。

 いやいや、それはない。目の前の女性とシャーリンは全然似ていない。ああ、でも二卵性だとしたら……。

 それよりも現実的なのは、目の前の女性にもうひとり……。


「……イサベラ、あなたに……姉妹は?」


 イサベラは驚いたように目を見開いたが、その視線は違う方向に向けられていた。


「もしかして、ケタリの伝説を信じている?」

「伝説?」

「そう。……ケタリは双子を残す」

「えっ?」


 ということはやはり……。胸の奥からざわめきが広がる。




 イサベラはこちらを見て続けた。


「その伝説は、少なくとも半分は正しいわ。実際、わたしは双子だった」

「だった?」

「ええ、途中で……ひとりは消えたの。もしかすると、いや、二分の一の確率で消えていたのはわたしだったかもしれない」

「それでは、どうやって……」

「わたし……たちは代理母に託された。つまり、父の連れ合いのことよ。そこで双子が両方とも育つことはなかった」


 代理? わたしは子どもを産んだことはないはず。それはわかっている。シャーリンも人工子宮育ち……。


 わたしは、いったい何をしてきたの? シャーリンとイサベラを他人に託して、自分は眠りについたってこと?


 いやいや、シャーリンとイサベラは双子ではないし、そもそも別々の存在だ。

 つまり、どちらかがわたしの娘ではないということ? シャーリンは自分の娘ではなく、イサベラが本当の娘かもしれない?


 でも、わたしはザナに確認した、シャーリンが自分の娘なのかを。


 そこで重大なことを思い出し、背中を冷たいものが駆け下りていった。

 ザナから答えをもらったわけではない。ザナに尋ねたけれど答えをもらえなかったことで、勝手にそう決めつけただけだ……。わたしは本当に大ばか者だ……。


 なぜか、目頭が熱くなってきた。どうしよう?

 いや、待って。待ってよ。あのエレインの記録には……。




 ハッとして思考を断ち切ると目を開く。

 そのまま視線を下げると、イサベラが膝に頭を乗せこちらを見上げていた。その構えを解いたかすかな笑顔にドキッとする。

 彼女の姿はとてもかわいらしいはずなのに、どういうわけか単に寂しさだけが強調されていると思うのは気のせいだろうか。


 少しの間、時が止まったようにお互いの目の奥を(のぞ)き込んだ。このまま吸い込まれて時間を忘れそうだ。


 突然、ためらうような小さな声が聞こえ現実に引き戻される。


「イサベリータさま、お茶のご用意ができましたが……」


 イサベラはさっと頭を起こすと、スイッチを切り換えたように王女の振る舞いに戻っていた。次々と声をかけると、あっという間にカレンの目の前にテーブルと椅子が用意され、お茶菓子とお茶が並べられた。それを見ているうちに突然空腹であることに気づく。


「さあ、どうぞ、お母さま。おなかがすいているでしょう。わたしもよ」


 無言でお茶会が進んでいく。もう何を話していいのかわからなかった。

 気がつくとイサベラがしゃべっていた。


「……お母さまが眠っている間に、検査をしたの。裁定所も確認したわ。わたしたちが母娘であることを。まだ、夢のようだけど」


 裁定所。つまり、既定事実となってしまったのか。


「とても残念だけど、わたしはこれから仕事があるの。お母さまは(ひど)い目に遭ってお疲れでしょうから、部屋で食事をされたあとはお休みくださいな。また明日の朝お会いしましょう」


 こちらを見たまま続ける。


「ペイジ、お母さまをお願いね。ザーム、そこにいる?」


 カレンが答える間もなく、イサベラはゆっくりと立ち上がると、ザームとともに部屋を出て行った。

 どうやら、イサベラはとても忙しいようだ。彼女の父親も留守のようだし。


 後ろから声が聞こえた。


「こちらにどうぞ。お部屋にご案内いたします」


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