186 知りたかったこと
ディオナの話を聞き漏らすまいと、シャーリンは息をひそめて耳を傾けていた。
「でもね、カレンには別の問題があったのよ。そして、わたしたちがそれを知ったときにはすでに手遅れだった」
「手遅れ?」
「ええ、カレンが……成長するにつれて徐々に記憶を失っていることに、わたしもエレインも気づかなかったの。彼女自身は……ずいぶん前から知っていたのだと思うけれど、ずっと気づかれないようにしていた」
「ええっ? それでは、カレンがロイスに来たときのあれは……」
「ええ、そのとおりよ。カレンは十六年の眠りの間に、まだ残っていた記憶をすべて失ってしまった。眠りにつく前までは、少なくとも一年分の記憶は保ち続けていたのだけれど、目覚めた時にはわたしたちのことがわからなかった……」
ディオナは両手を合わせて目を閉じていたが、再び話し始めた。
「わたしはね、カレンの記憶は戻らないと諦めたのだけれど、娘は何かきっかけがあれば思い出すかもしれないと主張するので、しばらく様子を見ることにした」
ディオナは謝るかのように頭を下げた。
「シャーリン、あなたには知らせるべきだったとは思うけれど、カレンについてどう説明すればいいかわからなかった。それに、あなたがカレンの娘であることが、ローエンやインペカールに知られると過去を詮索される恐れもあった。それで、母親のことは伏せておくようにしたの。ごめんなさい」
「いえ、それはいいんですが、ザナが何も言わなかったのは、そういうことだったんですか……。そうすると、カレンがひとつもちのようになっているのも、その眠りとか記憶と関係あるのですか?」
「それがわからないのよ。作用者は、何かの拍子に別の作用を使えるようになることはあるけれど、逆は聞いたことがない。とにかく見当もつかない……。力覚できない理由についても」
突然、ペトラが口をはさんだ。
「力覚というのは実際どうなることなんですか?」
「作用を使えなかった人が作用者になる、あるいは、特別な作用を使えるようになることよ。でも、わたしたちが力覚と言ったときは、普通はケタリになることを指しているの。ケイトとカレンはケタリだから、その子どもは高い確率でケタリの種を持って生まれる。娘にケタリの種があれば、母親は力覚できる、普通なら……」
「ああ、なるほど。それで、そのケタリというのは実際、普通の作用者と何が違うのでしょうか?」
「ケタリは同調力を持っている人のことだけれど、この力があると、ほかの作用者とつながって作用のやりとりができるのよ」
そうか、やはりそういうことなのか。
ペトラの質問はなおも続いていた。
「三つ以上の作用を使えるのですよね?」
「必ずしもそうとは限らない」
「えっ? そうなのですか……。それでは、ケタリシャというのはなんですか?」
「ケタリシャにもいろいろな意味があるけれど、わたしたちがケタリシャと言うときは、もっぱらケタリを守る立場の人たちを指すの」
「つまり、ディオナやザナのこと?」
「ええ」
「つまり、ザナはカレンを守護する立場なのね?」
「そうね、娘には彼女なりの考えがあったのだと思う。ザナはケイトとカレンの守り手だから」
***
「カレンの行き先はどこまでわかっているのかしら?」
シャーリンはペトラのほうを見て考えた。どこまで話すべきなのか……。
ペトラはこちらにちらっと目を向けたあとディオナに向かってしゃべり始めた。
「カレンは、イリマーンのカイルとかいう人に拉致されたことがあるんです。カイルはオリエノールに現れてまたカレンを捕まえようとしたんですが、たぶん今、カレンはハルマンに向かってます。もう着いているかもしれません。アデルのイオナという人と一緒です。イオナに何か頼まれて同行した……とわたしたちは思っています」
ディオナは少し考えるようなそぶりを見せた。
「そうね……。このところ、ハルマンはイリマーンと距離を置いている。とはいっても、敵対するのは避けるでしょうね。それでも、アデルがカイルとことを構えたということは、よっぽどの理由があると思えるわね」
ディオナがこちらを見た。
「カイルはイリマーン王の従兄の子にあたるわ。だからといってディランの意向で動いているとは限らないけど、十分に気をつけたほうがいい」
「はい、そうします」
「それでね、ニコラをあなたたちに同行させるのがいいと思うの。ニコラはきっとあなたたちの役に立つわ」
「あのう……ニコラは……」
「彼女は、第三作用の陰陽の持ち主よ」
シャーリンはニコラのほうを向くとゆっくりとうなずいた。感知者にして遮へい者。
どうりでこちらの居場所がすぐにわかったはずだ。誰が来るのかザナから聞かされていればこの集団だと立ち所に判明する。
それに、カレンがいなくなってからは感知者のありがたみを再認識している。
感知者が一緒かどうかはこれから敵と遭遇したときに大きな違いになる。というより、感知者がいないと、敵だとわかる前に攻撃を受ける可能性が高い。
「それではよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、シャーリン。あなたたちとご一緒できてとてもうれしいわ」
「えっ、どうしてですか?」
「そんなに何でも疑ってかかるのじゃなくてよ、シャーリン」
そう言うディオナにニコラはちらっと目をやった。
「ディオナには悪いけど、ここは……少し刺激に欠けるのよ、わかるでしょう?」
いやはや、ペトラと同じように外に出たがるというわけか。彼女をちらっと見ると、なぜか目が合ってしまった。
「なによ、シャル? 言っておくけど、わたしはお母さんのことが心配だから来たのであって、別に刺激は求めてないわよ」
「わ、わかってるよ。別に何も言ってないだろ?」
「シャルの目が語っているわ」
「あなたたち、仲がいいのね。姉妹がいるというのは本当にうらやましいわ」
姉妹だって?
「あっ、ごめんなさい。わたしはそういうつもりでは……」
ペトラが謝ったが、すぐにニコラは首を振って微笑んだ。
否定はしないんだ……。
「いいのよ。わたしもあなたたちのような妹がほしいわ……」
まあ、何にせよ、わたしが一番年下だな……。
視界の端で、ディオナが口を開くのが見えたが、結局何も言うことなく立ち上がった。それを合図に全員が動き出し、いつの間にか部屋に入ってきていた家事たちに、その日に泊まる部屋まで案内された。
いろいろなことを聞いて、頭がパンクしそうだ。すぐには眠れそうもなかった。
***
日が昇る前に出発する。
海領に出るとすぐに、ディードとエメラインは船を海面から浮かせた。これで、少なくとも倍以上の速度で進める。
といっても、ムリンガに乗っている作用者で飛翔術が使えるのはこのふたりだけだから、飛べるのは無理しても一日のうちの半分だけ。
残りの時間は普通に海の上を進むしかない。それでもハルマンに着くまでの所要時間をかなり短縮できる。
ペトラもふたりと一緒に飛翔制御室に籠もって、ディードからいろいろ手ほどきを受けているようだった。彼女が実際にムリンガを動かせるようになるのは、かなり先のことだと思うが。
船尾のほうを見ると、ニコラとフィオナが並んで話し込んでいる。
服を作り終えたフィオナはすでに着込んでいた。ここから見る限りごつい下衣を重ね着していることなどまったくわからない。
それを知ってからは、本当に効果があるのか不安になってきた。まあ、これはメイが身につけているお守りみたいなものと考えておこう。
フィオナがオベイシャであることはニコラにも話してある。何か異変を感じればすぐに手を打ってくれるだろう。ニコラが一緒に来てくれて本当によかった。
フィオナが、パメラの連れてきた、ペトラの優秀な内事であり守り手でもあることを知ってからは、ニコラはよく彼女と一緒にいるようだ。姉のお気に入りなのだから当然かもしれない。
クリスが現れてふたりの会話に加わるのが見えた。
笑い声が上がるのを聞きながら思い出す。彼もこのふたりとよく一緒にいるな。確かにこの三人は気が合いそうだ。
しばらく楽しそうな様子をぼんやりと眺める。いや、それ以上なのかもしれない。
いまごろカレンはどうしているだろう。元気にしているかな。何もやらかしていないといいのだけど。




