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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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178 護符

 カレンは書き物机の前で椅子に座り、持ってきた本を調べた。


 一冊目は、この国の歴史について書かれたもの。しばらく最初のほうをパラパラと斜め読みした。イオナに聞かされた話よりあっさりと書かれている。


『この大陸で大戦争と呼ばれているものが勃発した。大陸を支配していた二大帝国の争いが発展し、双方の作用者たちによって究極の兵器が使われ、わずかの地域を残して大陸が不毛と化した。その後、メリデマールからインペカールの西に広がる未開拓地に移住が行われ、現在の六国の構図が固まった』


 それくらいしか書かれていない。本の大半はそれ以降の略史に費やされている。


 そういえば、大戦争によって不毛の地ができたと言われるが、どれほどの作用が使われたのだろうか。同調力を持った人や大勢の作用者がいても、そんな力を出せるのだろうか。あの庇車(ひしゃ)のように、正軍の力を借りて作用を増幅させていたとしても。


 きっと当時は、今とは比べものにならないほどの数の作用者がいて、ケタリといわれる人たちも大勢いて、想像もできないほどの強大な作用に満ちていたと考えるしかない。


 それに比べれば今の作用力は衰退したと言っていいほど弱体化した。

 そう考えれば、あのユアンが行なったという実験は、かなりの大事件だったに違いない。大戦争以来の作用力の大結集だったのかもしれない。


 その結果が今の事態を引き起こしたのだとしたら、この惨事を何とか修復する義務がわたしたちに課せられている。そう言われてもしかたがないことだった。たぶん、ヤンが話していたのはそういう意味だといま確信した。




 しかし、あれを止められるとはとても思えない。

 確かにこの前、少し打撃を与えたかもしれないが、トランサーが消滅したわけではなかった。

 おそらく指令系統の遮断で一時的に機能を停止しているだけのような気がする。再び活動を開始すると思ったほうがいい。この間にも、さらに相手が強大になっているかもしれない。


 アレックスが言っていたっけ。トランサーは形態を変えると。休眠は、さらに進化して動き出す前触れかもしれない。


 そう思うとなぜか体が震えてきた。もしかして、余計なことをしたかもしれないと気づいた。トランサーを刺激してさらに強く、新しい形態に進むのを後押ししただけだとしたら……。ただ事態を悪化させたに過ぎないとしたら……。


 また失敗したかもしれない……。

 今さらだけれど、もう一度、前線の向こうを見に行かなければならないと確信する。


 そうだ。ノアを連れてエレインの家に戻り、彼が何とかなりそうなところまでいったら、ザナに会いに行こう。そして、もう一度あの壁の向こうに……。

 きっと、もっと何かできることがあるはず。


 どうしようかと考えて部屋の中を歩き回る。

 その時、エグランドから届けられたものをまだ確認していないことに気づき、テーブルの前に座る。




 ひとつずつ順に取り出し中身を広げていると、目の前にシアが現れた。

 テーブルに肘をついたまま動かずにシアの顔をボーッと見つめる。


「カレン、元気ないね」

「そうお? まあ、いろいろあったからねー」

「ふーん」

「みんな、元気にしていた?」

「こっちに向かってるよ。ムリンガで」


 さっと体を起こす。


「何ですって? どうして?」

「そりゃ、カレンのことが恋しいからでしょ?」


 シアの顔を見つめる。まともな冗談を言えるようになったのかしら。


「それは違うと思う、シア」


 シアはテーブルに並べられたスライダを横目で見た。それから、散らばった包みを器用に避けてこちらに歩いてくると目の前にちょこんと座り、部屋をぐるりと見回した。


「殺風景だねえ。こんなに部屋が広いんだから植物とかを置けばいいのに……」


 やはり幻精は緑がないと寂しいのかしら。




「それで、いつ着くの?」

「それはわからない。別れた時は、まだウルブだった」

「ウルブ? 何で?」

「レタニカンをもう一度訪れたみたい」

「えっ? どこ?」

「カレンの家」

「ん? ああ、ウルブ6にあるエレインの家のこと?」

「そう」


 シアはスライダに目を向けて言った。


「この護符からはシルの守りを感じる。……どうやって手に入れたの?」

「やはりこれは特別なものなのね?」


 本当にローラが話してくれたとおりなのかもしれない。カレンは自分に贈られたスライダを手に取った。


「エグランドという店で買ったのよ。ローラという人が店主なの。これ、とてもきれいでしょ?」




「こういうものがカレンの好みなのか……」

「えーと、残りはシャーリンとメイのよ。それに、喧嘩(けんか)になると困るから、ペトラにもと思って。おかしい?」


 シアは一度だけ首を横に動かした。


「シルの護符はカレンの娘たちを守る」


 やはりこれはお守りなのか……。


「本当はね、ザナにもひとつ買いたいと思ったのだけれど、実は彼女の好みを何も知らなくて……」


 ザナのきれいな黒髪にこのようなのはあまり似合わないわよね……。


「かわいいものが好き……」

「えっ、誰が?」

「ザナ」


 しばらくシアの顔を見つめた。冗談ではないらしい。




「そうなの? そんなふうには全然見えないけどなあ」

「ティアはいつもそう言ってる。小さくてかわいいものを集めていると。何がかわいいのか、あたしには理解できないけど」

「ああ、そうなの。いいことを教えてもらったわ。それじゃあ、今度またエグランドに行って何か探してみようかしら」

「ティアには言わないで。また、怒られるから」


 そう言うとシアは立ち上がった。


「本当はこのままカレンと居たいけど、一度シルに帰らないと」

「そうなの。寂しいわ」


 シアは笑みを浮かべてこちらに近づくと手を伸ばしてきた。お互いに触れ合うと一瞬だけ感情の流れを感じる。シアは決まり悪そうに言った。


「あたしも……。じゃあ、すぐに戻るから……」


 そう言うとシアは消えた。とても慌ただしいこと。




 巾着から色ペンを取り出す。テーブルに広げた品を確認して、それぞれの包みに木の名前を書き込む。すぐに忘れることはないと思うけれど、念には念を入れておかなければ。

 終わると全部を包み直して箱に戻す。


 これはオリエノールに帰る日まで出番がない。それとも、こちらでみんなに会えるかしら。部屋をぐるりと見回し壁にはめ込まれた大きな棚まで箱を運んだ。

 それから、隠避帳(いんぴちょう)を出してこの二日間のでき事を書き連ねる。




 カレンは背中をまるめ両足を椅子の上に引き寄せると膝に顎を乗せた。そのまま、残してきた皆のことを考えながらしばらくボーッとしていた。


 突然、頭の隅で何か異質なものを感じたような気がした。しばらく、思考が停止したようで何も考えられず時間が止まっていたかに思えたが、何とか意識を切り換える。


 かすかに遮へい作用が感じられる。

 ここでは、誰もが大っぴらにしていることはわかっていた。クレアもここでは遮へいなんかしないし、全員がどこにいてどの作用を待機させているかもすべて明らかになっていた。


 つまり、これは、ここの作用者ではないということだわ。誰か客人の訪問でもあるのだろうか?

 しばらく、その遮へい者を追っていたが、対象者は本棟ではなく別棟の裏に回っているような気がした。しかも動きは速い。


 イオナかほかの誰かに知らせるべきだろうか? そういえば、イオナは出かけると言っていたっけ? もう帰っているだろうか?

 無作法だと思いながらも本棟のほうに感知を伸ばしてみる。見当たらない。まだ戻っていないようだ。クレアも留守だ。どうしよう。


 ジェンナに来てもらいたいところだけれど、どうやって彼女を呼び出すのか教えてもらわなかったことに気づく。

 部屋を見回したがペトラの部屋にあったような呼び鈴の類いが見当たらない。まったく、こんな離れに孤立するなんて……。




 この建物に意識を戻した瞬間、作用者たちがすぐ近くにいることを知った。とても動きが速い。もしくはわたしがぼんやりしていた? まるで、目的地に向かってまっすぐ来たかのようだ。

 大変。時間をむだにしてしまった。


 カレンは椅子を押してすばやく立ち上がった。自分の服を見下ろす。当然ながら湯浴みのあと着替えた内服のままだ。今日着ていた服は洗うからとジェンナが持っていったことを思い出す。

 別の外服はまだ用意されていない。


 もう一度、自分の着ている服を見下ろす。建物から出るなら少なくとも羽織が必要だけれど、あれも洗いに出されたままだ。まったく何もかもだめ。

 しょうがない、このまま……と考え、扉に向かう。そこで、慌てて机の所に戻り、巾着をつかんで体にかける。これを二度と手放すわけにはいかない。


 それからまた戻って、扉の取っ手に手を伸ばしたが、すでに遅すぎたことを悟った。振り返って窓のほうを見る。ここは二階だけれど、窓から……。

 そう思って扉に差し金をかけ、きびすを返したとたんに、後ろからバキッという扉が蹴破られる音がした。


 背後にどんな光景が見えるのかはわかっていたが、ゆっくりと振り返る。数人の作用者を見た次の瞬間には囲まれていた。


 彼らは言葉を発するでもなく、一瞬で近寄ると、両手が抑えられマントのようなものが頭からスポッとかぶせられた。声を出す暇もなく口の周りも布で押さえられる。かぶせられたマントがすごく重く足を踏ん張る。


 感知力を使おうとしたとたんに、胸に衝撃を受けて意識が遠ざかる。その状態で横に倒され運ばれていくのを感じたのが最後だった。


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