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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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177 強引な申し出

 ジェンナは周りのものを片付けると、カレンの手を引いて別の部屋に向かった。


 大きなベッドが部屋の真ん中にでんと置かれている。

 鏡の前の椅子が引き出され、言われるままに座ると、ジェンナは暖かい櫛で髪を()き始めた。


「あなたはずいぶん手際がいいのね。それにとても優しいわ」

「お褒めの言葉、ありがとうございます。ところで、カレンさまには主事(しゅじ)内事(ないじ)はおりますか?」


 突然の話に戸惑う。


「……いいえ、どちらも」

「よかった。とても厚かましいお願いなのはわかっているのですが、あたしをカレンさまの内事兼側事(そくじ)として雇っていただけないでしょうか……」


 ……ここで職替えなの?


「いきなり何を言い出すの? あなた、イオナの内事補なのでしょう?」

「ああ、それなら大丈夫です。イオナさまにはあたしの好きなようにと言われていますので」

「でも、なぜ、見ず知らずの人に声をかけるの?」

「それは……たぶん同じ東の方らしいですし、それに、どういうわけか、お見かけしたときからこの方について行くことになるのだという感じが……」


 この人も直感で生きているらしい……。




「そのこと、イオナに話したのではないでしょうね?」

「なぜですか? もちろんお願いしました。そうでなければこのようなことは申し上げられません。それに許可もいただいています。オリエノールにお帰りの際はご同行いたします」


 そこでジェンナは突然口を押さえて(うつむ)いた。


「あたしったら、大事なことを忘れていました。……もしカレンさまのお許しがあれば……なのですが」


 いささか強引な物言いだが、確かに彼女はとてもしっかりしている。

 考えていたより年齢は上かもしれない。わたしにはたぶん、自分が転ばないように支えてくれる人が必要なのはわかっていた。特にどんどん記憶を失っていることを知ってからはなおさら。

 こちらをまっすぐに見る真剣な目つきを前にため息を漏らす。


「それでは、考えておくわ」

「よかったー」


 ジェンナは両手をぴたっと合わせると目を閉じた。


「でも、わたしは、あまりいい雇い主ではなくてよ。よく変なことをしでかすし、何でもかんでもすぐに忘れちゃうから……」

「ああ、そんなこと問題ありません。代わりにあたしが覚えていますからご安心ください」

「はあ……。そういう意味ではないのですが……」


 ジェンナは肩に掛けられていたタオルをはずすと、鏡越しに目を合わせたまま黙り込んだ。

 まだ、何か話したいことがあるらしい。




 そのままじっと待っていると、ジェンナは少しためらうように言った。


「主事のほうも雇っていただけないでしょうか?」


 思いがけない言葉にしばらく言葉が出なかった。


「……あなたは……ひとりで三つともこなすつもりなの?」


 いくら彼女が仕事ができるといっても、それはあり得ないわ。

 一瞬の間があったあと、ジェンナは慌てたように首を何度も振った。


「いえ、いえ、違います。……もうひとりいるんです」

「えっ?」

「あっ、呼んできます。少しだけお待ちください」


 そう言い残して、ジェンナは走るように部屋を出ていった。

 あっけにとられてパタンと閉まった扉を見つめる。


 ああ、つまり、もうひとり雇ってほしいということか。しかし、急な話だわ。それほど慌てることでもないのに……。


 ジェンナはあっという間に戻ってきた。後ろ手に男の人を引っ張って。もうひとりの若さに驚いた。ジェンナと同じくらいか年下かしら。

 主事にというから、てっきり壮年の方が現れると思っていた自分は、やはり世間知らずなのかしら。


「カレンさま、こっちはミランです。あたしの連れ合いなんですけど……」


 紹介された男性は緊張で固くなったような表情のまま答えた。


「突然押しかけて大変申し訳ありません。ミランと申します」


 そう言ったきり直立不動になった。

 ということは、やはり、ジェンナはもっと年上なのか。うーん、とてもそうは見えないわ。ふたりを見比べながら、次々と予想がはずれたことにがっかりして何度も首を振る。




「あの、カレンさま? ミランは不採用でしょうか……」

「えっ、何が?」

「カレンさまの主事です」

「ああ、主事ね」


 あらためて突っ立っているミランを見る。


「……ミランは作用者なのよね」

「ええ、そうなんです。あたしと違って、すごいでしょう? でも、ここで十分に仕込まれたので、主事の仕事もできると思います。……たぶん」


 カレンは目の前に立つふたりを交互に見た。

 そうではない。作用者は進んで誰かの主事になどならない。自分の作用力を生かした仕事があるはず。ハルマンでは違うのかしら。

 ミランを見上げる。


「ジンはともかく、ミランは作用者でしょ。ねえ、ミラン、あなたの能力に相応(ふさわ)しい仕事があるでしょう?」

「ミランは主事に向いていると思うんです。この人の几帳面(きちょうめん)な性格からして。それに、あたしの行くところについて来ると言ってますし……」


 カレンはジェンナに目を向けた。


「……ねえ、ジン。あなたのミランがどう考えているのかを聞きたいわ」


 ジェンナの頬がさっと赤くなった。(うつむ)いてミランの袖を引くのが見える。


「カレンさま、わたしは自分の作用力を主事の仕事に役立てたいのです。自分の力はいろいろな使い道があると考えています。自分なりにその勉強もしています。別に、ジンのいいなりになっているわけではありません!」


 ジェンナはぱっと顔を上げた。


「ミラン! 別に、あたしは強制したわけじゃないよ。あんたがいやなら、あたしもこの話はやめていい……」

「別にそんなこと言ってないだろ?」


 そのあと、ふたりは無言でにらみ合った。

 また、ため息が漏れる。すごく眠くなってきた。そろそろ横になりたいのだけれど。




「ねえ、ジン。わたしはイオナの館から有能な人をふたりも引き抜くことはできないわ」


 ジェンナはさっとこちらを見た。


「それはつまり、イオナさまがいいとおっしゃれば、ふたりとも雇っていただけるという意味ですよね?」


 その強引な物言いに再びため息が出た。


「そこまで言うのなら、わたしもイオナに聞いてみるわ」

「はい、よろしくお願いします」


 ジェンナはすっと膝を落とすと頭を下げた。赤い髪が灯りを映して金色に輝く。その手が隣のミランの腕を強く引っ張り、彼がよろけて倒れそうになるのを見て、笑いがこみ上げてくる。


「ありがとうございます」


 ふたりが口をそろえるのを上の空で聞く。


 約束はしてしまったものの、わたしの主事と内事になってもちゃんとした仕事は全然ないだろうな、きっと。

 ペトラの言葉を思い出した。フィオナがわたしの内事を兼務する。

 ふたりを雇えばフィオナに迷惑をかけずにすむわね。これでよかったのかしら。


 そう考えている間に、ジェンナはミランを部屋から追い出した。

 何事もなかったかのように、ジェンナは仕事を再開し、ベッドの上掛けをはずして整えるとこちらを向いた。


「体が温まっていると思います。このまま少し横になって休憩されてください。食事のときにまた参ります」


 ああ、よかった。これで解放される。


「ありがとう、ジン。確かにとても眠いの。助かったわ」


 ジェンナは軽く膝を曲げて挨拶すると、滑るように部屋から出て行った。



***



 目が覚めると、隣の部屋からカチャカチャという音が聞こえた。

 ベッドから滑り出て見に行くと、ジェンナが食事の用意をしているところだった。もう外は真っ暗になっている。


「カレンさま、エグランドからお届け物がありました」


 テーブルの上に小さな箱が置かれている。

 近づいて箱の中を(のぞ)き込むと、白い布が丁寧に巻かれた包みがきれいに並べられている。


 晩食の用意ができたとジェンナに言われ、開きかけた包みはそのままにして先に食事を()った。


 一眠りしたからだろうか、食べ終わったあとも、すぐに寝る気にはなれなかった。

 ジェンナに教えてもらった同じ階にある談話室まで連れていってもらい、その隅にひっそりと置かれている書棚に並ぶ数少ない本の中から何冊かを借りてきた。


 その間、ジェンナは食事の後片付けをし寝室を整えていたが、すべて片付くと、何か必要なものがないかと尋ねてきた。

 あんなことがあったあとだから、また街に出かけるなど許されないわね。でも……。


「わたしの外履きはどうなったの?」

「ああ、あれでしたら、補修と洗いに出しています。だいぶ汚れていましたので。朝には別の外履きを持ってきますので、少しの間それをお使いください。でも、外出は控えたほうがよろしいかと思います。また、襲われると困ります」

「わかっています。ただ周りを散歩したいと思っただけです」

「わかりました。その際はあたしも同行します」


 そうね。誰か案内がいないと無理だわ。


「ええ、お願いするわ。初めてだから」

「大丈夫です。カレンさまを危険にさらしたりはしませんから。あたしにお任せください」


 そういう意味ではない。


「別に、ここの敷地から出なければ危険は全然ないと思うけれど……」

「うーん、そうですね。ここの護りは堅いはずですから……」


 ジェンナは苦笑いを見せたものの、そのあと少し考え込むような表情になった。

 しかし、すぐに元の笑顔に戻り、挨拶をすると部屋から出ていった。


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