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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第1章

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176 耳を傾ける

 手を休めることなく作業をしながらも、ジェンナの口はひっきりなしに動いていた。

 どれも本人にとってはたわいもない話なのだろうけれど、ハルマンについて何も知らないカレンは、そのすべてに注意深く耳を傾けた。


 ジェンナがしゃべりまくる情報で、この館で暮らしている人たちについて、相当の知識を仕入れた。


 中でも驚いたのは、アデルに所属する人たちのかなりが前線に出ていることだ。

 ハルマンは南に位置しているから国土が前線に接しているわけではない。その代わりに、ハルマン、ローエンやニーランは自国の軍を送り込んでイリマーンの前線を維持しているとの話だった。


 それで謎が少し解けた。この館の大きさの割には閑散としていて、あまり人に会わないのは、ここで暮らしている人たちがそれほど多くないためだ。


 イリマーンは東西に長いから、きっと壁を維持するのも大変なことなのだろう。たとえイリマーンが作用者の国だったとしても壁を支えるのは作用者ではない普通の人たちだ。

 これも、例のイリマーンとほかの五国の間の盟約によるものかしら。




 話に耳を傾け考え事をしている間に、後ろでの作業を終えたジェンナがカレンの前に片膝をつきカレンの腕を持ち上げた。ホールで見たときは華奢(きゃしゃ)に見えたが、彼女は意外に力がある。軽々と運ばれたし、目の前であらためて眺めれば、服を着たままでも体つきがしっかりとしているのがわかる。


「変わった形をしてますね?」


 ジェンナが指さしているものに気づくと、カレンは自由に動かせるほうの手を使って、ふたつのペンダントを邪魔にならないように持ち上げた。すぐに細長いペンダントが赤く光り始める。


「まあ、すごいですね。光るペンダントは初めてです。何か特別なものなのですか?」

「これは……家族の形見なの」

「申し訳ありません……立ち入ったことをお聞きしてしまいました」

「気にしなくていいのよ、ジン。これはどちらも今は……家に入るための鍵というだけだから」

「なるほど、理解しました。つまり、カレンさまの作用に調整された符丁のようなものですね。以前、ミゲルに符丁の保管庫を見せてもらったことがあるんですが、そこに並んでいたのは大量の細長い板のようなものでした。ペンダントになっているのは初めて見ました」




 手の上で輝くペンダントを見つめていると、これを受け取ったあの瞬間が否応(いやおう)なく目の前に映し出される。その光景は、妹のことを頼むと笑いながら言うミアに取って代わった。


「このペンダントの持ち主はね、わたしを妹にしてくれたのよ」

「……その方はお姉さまなのですね。いいですね。そういえば、あたしにも姉がいると聞かされました。一度も会ったことはありませんけど」

「そうなの? いつか会えるといいわね」


 元気よくうなずいたジェンナは泡をすくった手を伸ばして優しく動かし始めた。


「ミゲルのお加減はいかがですか?」

「あの方なら大丈夫です。あのご老体は頑丈なので撃たれても死にはしませんよ。少し前に見かけましたが、まあ元気そうでした」

「ほっとしたわ。それで、ほかのふたりは?」

「ああ、全然何ともありません。ちょっと気絶しただけ」


 ジェンナは桶を持ち上げ肩口からお湯をかけた。


「よかった」


 カレンはうなずくと、ペンダントを元の位置に戻した。


「それにしても、カレンさまの護衛としてついて行ったのに、もう、だらしないったらありゃしない。あたしなら……」


 突然言葉が切れたのに気づき顔を上げると、ジェンナの頬は真っ赤になっていた。夕焼け色は髪と同じできれい……。

 こちらが見とれていることに気づくなり、ジェンナは首を激しく横に振った。


「今のはお忘れください。ちょっと余計なことをしゃべってしまいました……」




「ジン?」

「はい、何でしょう?」

「ほかの方は……このようなことをしてもらっているのですか?」

「ありませんよ。ご自分でしてらっしゃいます」


 ああ、もちろんそうよね。ほっとする。


「でも、あたしは好きですよ、こうやってお世話するのが」


 そう言うジェンナに戸惑いを覚える。


「ジンはイオナにお仕えしているのよね?」


 下を向いたままゆっくりと動かしていた手を止めたジェンナはこちらを見上げた。


「はい。実をいうと、あたしはイオナさまのオベイシャになるために連れてこられたらしいです」


 ジェンナは大変なことをあっさりと打ち明けた。


「まあ……」


 オベイシャ。やはり、そうだったのか……。

 ジェンナは両手を胸の前で組むとこちらを見上げた。


「でも、でもですね、イオナさまはオベイシャは必要ないと拒否されたそうで、単に遊び相手としてわたしをそばに置いていたと、うかがっています。そのことは大きくなってから聞かされました。イオナさまはとてもいい方なんです。それで、数年前から、あたしはイオナさまの側事(そくじ)になり、それから内事(ないじ)の勉強をさせられました」




「では、今はイオナの内事なの?」

「いえ、違います。イオナさまには正の内事、デリアがついています。あたしは、一応内事補ということにはなっていますけど……実際にはほとんど何もしてないのです。イオナさまの考えでは、カレンさまがご滞在中は、カレンさまの筆頭側事(そくじ)をするようにと言われています」

「あ、そうなの」


 自分で何もせず人にやってもらうのは……とても楽。今日のような(ひど)い目にあった日には。それでも人に体をいじられるのはとても不思議な感じがする……。


「はい、終わりです。ではお湯を出します。今日はぬるま湯に調節しました。あたしは退散します。一緒にいるとずぶ()れになっちゃいます」


 そう言って笑ったジェンナは、すばやく浴室から出て扉を閉めた。

 次の瞬間、四方八方から霧が浴びせられ、目を(つむ)るはめになった。とても細かい水流が肌に当たるのがくすぐったい。すぐにこの感覚に慣れると気持ちいいことに気づいた。

 全身が()まれているようで、疲れがスーッと取れていくような気がする。




 さすがにハルマンが技術大国を自負するだけのことはあるわね。

 出入り口で見た自動の扉にしてもそう。町まで乗せてもらった車にもいろいろな仕掛けが施されているようだし。


 うーん。ハルマンと比べるとオリエノールはちょっと田舎風で見劣りするわね。まあ、わたしは田舎も大好きだけれど。

 カレンは立ち上がると体をくるくる回して霧浴を堪能した。お湯の温度は低いのに、なぜか体がどんどんぽかぽかと温かくなってくる。もう痛みは感じない。


 しばらくすると、霧が止まり扉が開く。大きなタオルを持ったジェンナが待ち構えていた。


「ねえ、ジン。これ、すごいわね。気に入ったわ。毎日入りたい。次からはひとりで湯浴みをするから使い方を教えてね」


 最後のほうはタオルに包み込まれて、もごもごとした声になる。でもちゃんと聞こえたらしい。


「はい、かしこまりました」


 体が拭かれたあと全身に薬が塗られた。痛み止めだそうだ。それから先ほど見た真っ白い内服を着せられる。感触は昨夜の服と同じだが、こちらのほうが薄手で異様に軽い。薄いせいか布地がとてもしなやかで肌触りが心地いい。


 しかも今日のは、丈の長い一体もので足首まで覆われていた。腰のところを帯で結ぶ形になっているのを知り、一度解いてから自分で結んでみた。とても着心地がいい。薄くても温かだった。これも、何か特別な技術なのかしら?


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