175 驚きは尽きない
カレンはジェンナと名乗った女性について行く。
音を立てずに滑るように歩く後ろ姿を見ながら考える。ジェンナはイオナの側付きのようだけれどずいぶん若く見える。
未だに他人の年齢がうまく言い当てられない。先ほどは自分と同じくらいと思ったけれど、よくよく観察すると、そのかわいらしい顔つきは少し幼く、ペトラに近いかもしれない。
灰色の服の上で揺れるふわふわした髪には黒っぽい布が巻かれている。じっと目を凝らすと、実際には何本ものリボンのような布が髪の中に編み込まれているようだ。
遠目には、明るい橙に艶のある黒と白に薄い黄色の流れが背中で踊っているように感じられる。
昨晩、案内された客間のある区画とは違う方向に向かうのに気づき声を出す。
「あのう、ジェンナ? 昨日の部屋とは方向が違うようですが……」
ジェンナは前を向いたまま答えた。
「はい。別棟にカレンさまのお部屋を用意してありますので」
「ああ、そうですか……」
ジェンナは肩越しに振り返ると付け加えた。
「ジンとお呼びください。たいていの人にはそう呼ばれていますので」
連結回廊とおぼしき通路に入ると、ジェンナは少し下がって隣に並び、前方に見えてきた建物を指さした。
「あれが、別棟です」
「遠いですね」
少し息が切れてきた。今さらながらかなり疲れているのを感じる。また体が痛み出した。イオナの見立てのほうが的確だった。少し力を使いすぎたかもしれない。それとも撃たれた後遺症かしら。
「別棟はそれほど大きくはないです、カレンさま。こちらは普段あまり使われていません。ここでは、長く滞在される方のために、別棟に部屋をご用意する決まりになっております。あたしもここに入るのは久しぶりなんです」
アデルの建物は、ロイスの城の複雑怪奇な造りと部屋の多さに比べれば、いたってわかりやすい。迷う要素も見当たらない。
むしろ近代的といってもいい、その新しさと洗練された内装が印象的だ。腰の高さに板張りされた通路は、ロイスの殺風景なむき出しの壁面と比べればとても温かみを感じるわ。
通路の出口で、何でもない段差に足を引っかけてしまい、あっと思ったときには体が前のめりになっていた。転ぶと感じた瞬間、腕を引っ張られて何とか踏みとどまる。大きく息をついて体を起こすと、心配そうなジェンナの顔があった。
彼女はつかんでいた手を放すと、眉を寄せてこちらを見つめた。
「大丈夫ですか? カレンさま」
ジェンナはこちらの真正面に立つと、全身に視線を走らせわずかに首を傾げた。
「体が痛みますか? 少し顔色が悪いですね。あたしにも、かなりお疲れのご様子がわかります。歩くのはやめにして、あたしが運んだほうがよさそう……」
そう言うとジェンナはさっと後ろに回り込んだ。
慌てて体を回してジェンナと向き合うと、ジェンナが伸ばしてきた腕を両手で押さえる。
「大丈夫です。歩けますから……。それに……」
「こう見えても、あたしは鍛錬しているんです。人ひとりくらい運べます」
「本当に、大丈夫ですから」
ジェンナはまた少し首を傾げたがすぐにうなずいた。
「それでは、あたしの肩におつかまりください。これ以上転んだら大変ですから」
素直にジェンナの肩に腕を回して歩き始める。
別棟の入り口まで来たところで、扉が自動的に開いたのに驚き足が止まってしまう。
「これは、どうなっているのですか?」
「連動扉のことですね。通ろうとする人が許可されていれば自動的に開くし、そうでなければ開かない仕組みになっているそうですよ。あたしにはさっぱりわかりませんけど」
すごい。すごく近代的だ。この国は。
別棟に入ったところに廊下と階段があった。
どちらかしらと考えていると、ジェンナの「失礼します」という声がした。
彼女が視界から消えたと思ったら、あっという間に体がすくい上げられる。そのまま、トントンと階段を上がると再び下ろされた。一連の行動は声を出す間もなく終わる。
正直なところ、階段を自力で上がるのはかなりきつかったかもしれない。なかなか足がいうことをきかない。ああ、早くお湯に浸かって体を休めたい。
「ありがとう、ジン」
階段に一番近い扉から部屋に通された。もう限界だった。
前室を通り抜けるとそこは大きな居間のようで、左側には寝室だろうと推定される部屋が続いていた。
反対側の奥には、たぶん浴室とか台所などと思える部屋がいくつか見えている。ほかにも扉がある。昨晩の部屋とは大違いの広さだ。
ジェンナは部屋の中を確認するようにぐるりと見回した。
「それではお休み前にまず、湯浴みにいたしましょう。本当は打撲にはよくないのですが、さっぱりしたほうが気持ちもいいでしょうから。そのあと、しばらくベッドにお入りください。晩食はお目覚めのころにこちらにお持ちいたします」
いやはや、至れり尽くせりだが、確かにじっくりとお湯に浸りたい気分だわ。もう疲れて一歩も動けそうにない。
よくないと言われても湯浴みは魅力的だが、やはり少し寝てからのほうがいいかもしれない。とにかく場所だけは確認しておこう。
「浴室はどちらですか?」
「こちらです」
右側の奥まで進むジェンナの後ろを、足を引きずりながらついていく。
「お召し物を置く場所はこちらになっております。ここに入れてくだされば洗濯所に回しますので。そして、こちらに新しい内服をご用意しています。丈が合っているといいのですが……」
こちらを見て上下に目を走らせた。
これは昨夜のものとは少し異なって見える。ただの白い内服なのにとても上品に感じる。何だか素材が違うような気がすると思い、確かめるために手を伸ばした。
ところが、さっとカレンの前に立ったジェンナの手が、肩に伸びてきて服を脱がせにかかる。慌てて声を出す。
「あの、ジン、自分でしますから。もう大丈夫です。あとは自分で……」
「そうはいきません」
ジェンナの腕を押さえようとしたが、彼女はかまわず作業を進めた。
「カレンさまは怪我をしておいでです。動けないほどお疲れです。それに、ここの浴室を使うのは初めてでしょう? あたしがお手伝いしますので、このままじっとしていてくださいな」
「えっ、ええっ?」
ジェンナはしゃがんで下衣も脱がし終わると、両足や上半身にできたいくつもの打ち身の痕にそっと触れた。
こちらを見上げて言う。
「これは酷い。しばらく体中にあざが残りそう……」
さっと立ち上がったジェンナは、茫然としたままのカレンの手を引き浴室に連れ込んだ。
そこは……何もない部屋になっていた。一瞬ポカンとする。
よく見れば、左側に蛇口らしきものと桶があるから浴室であることは間違いない。
「あのう……浴槽は?」
「カレンさまは東の方ですからご存じないと思いますが、ここでは普段、浴槽は使わないのですよ」
たっぷりのお湯に首まで浸かりながら思案を巡らせるという目論見がガラガラと崩れさった瞬間だった。
「それでは、どうやって……」
「壁と天井から霧状のお湯が出ます。さあ、こちらにお座りください。あたしは、むしろ浴槽を使う方式にびっくりしましたけどね」
「こちらでは全部こうなのですか?」
「もちろん、そうではありません。この館ではかなりの場所でこうなっています。ああ、実は、あたしはオリエノールから来たらしいです。それでですね、初めて使った時は驚きましたが、一度慣れてしまえばなかなかいいですよ。すぐにわかります」
あっけにとられたカレンは促されるままに、どこからともなく出現した椅子に腰を降ろした。
ジェンナは壁際の蛇口からお湯をくみ取った後、目を閉じるように言う。頭からかけられたのはぬるま湯で、体を伝ってもさほど刺激を伴わなかった。ついで、髪に洗剤が注がれ丁寧に洗われていく。
「痛かったらすぐに言ってくださいね」
カレンは目を瞑ったままジェンナに体を委ねるしかなかった。




