171 対樹
ジャーレンが何十種類もの瓶の中身を全部覚えていることにも感心したが、得体の知れない客に対して延々と説明させるローラもかなり変わっている。
わたしがこのどれかを買うのが前提としか思えない。
それとも、この並べられたものを全部まとめて買い上げるのが格上店での作法なのかしら。
それだと非常に困る。とても食べきれない。お土産にしても多すぎるし。
彼の説明の中で突然聞き覚えのある名前が飛び出した。
メイレンにランセアと聞こえた。
思わず、彼が指で押さえている瓶を見つめる。
あのメイレンランセアのことだろうか。ロメルの館に植えられているという木……。瓶の絵柄を見ても何の手がかりもない。
そうか……。それぞれの木に由来するハチミツがあるのなら、もしかして、シャーリンの木も出てくるのかしら。
期待に胸を高鳴らせて残りの説明を聞く。ハチミツの説明よりも木の名前に意識を集中する。
きちんと箱の中に並べられていた瓶は、今やほぼすべて取り出され、どんどんと目の前に置かれ、テーブルの上は琥珀色の瓶で埋め尽くされた。
「お気に召した品はありましたでしょうか? 試食も可能でございます」
最後にそう問われたカレンは、どうだと言わんばかりのジャーレンの顔をしばらく見た後、ローラに顔を向けた。
彼女が微笑を浮かべながらもかすかにうなずくのを確認する。
これは……まるで何かの試験のようだわ。二度、三度首を振りながら、カレンはテーブルに置かれた瓶たちを見回し、シャーリンの木に由来する瓶を選ぶ。
「シャーリウラニシオンにします。それから……」
腰を少し浮かせてテーブルの上をもう一度ぐるっと確認すると、埋もれていたもうひとつの瓶を探し出して手を伸ばす。
「メイレンランセア」
ジャーレンはカレンが取り分けたふたつの瓶を見たあと、顔を上げローラに目を向けるとうなずいた。
彼の近づきがたくも厳しい顔つきが、急に穏やかになったような気がする。
「これ以外はよろしいのですか?」
カレンはジャーレンの静かに光る目を見つめた。
「もしかすると、ミアサラセノイアというのもあったりしますか?」
彼は少し驚きを浮かべてこちらを見る。
「ランセアと対になる木ですね。ございます」
ジャーレンはワゴンを押してきた若い男に指で合図した。
「カレンさまは対樹に興味がおありなのですか?」
「えっ? 対樹というのですか。いえ、そういうわけではないのですが、これだけの種類があるなら、すべての木に由来するものが作られているのではないかと思ったので」
「なるほど、カレンさまのお察しのとおりです。すべてそろっていることがエグランドの誇りです。ちなみに、こちらのラニシオンも対樹となっています。そちらのほうはどうなさいますか?」
カレンは固まったように彼の顔をしばらく見つめた。ハッとして口を開く。
「えーと、その名前は何というのですか?」
「通称、アダシオンです。正式名称はペトゥー・リアダシオンです」
えっ? ペトゥーリアダシオン? 手が震えた。慌てて腕を下ろして膝の上に置く。
ペトゥー、ペトゥーリアダシオン。
いや、でも、シャーリンは双子ではない。
それでも、否応なくイオナの言葉が蘇り頭の中に響き渡る。その言葉を振り払うように頭を動かす。
「ええ、では、そちらもお願いします」
声がか細く震えてしまう。
「お選びになったものは試食されますか?」
「いえ、いえ。もう、買うと決めましたから」
ずっと黙ったままでいたローラが口を開いた。
「カレンさまは樹木に並々ならぬ思い入れがおありのようですわね。ハチミツと樹木は切っても切れない深い関係にあります。当店では、木に由来する特別の品もご用意していますのよ。興味はありまして?」
カレンはローラの顔を見つめる。
「カレンさまがお求めになる四つのハチミツの由来となる木、そのランセアとセノイア、それにラニシオンとアダシオンでしたかしら」
この誘惑に抗うことはとてもできなかった。何が出てくるのかわからないけれど、見せてもらうしかない。
「はい、ぜひ拝見させてください」
声が裏返った。
呼ばれもしないのに別の男性が奥に消えたかと思うと、ほどなく木の台を持って現れた。
「対樹と言われるものはほかにもいくつかあります。双子が生まれたときに対の木をお守りにするという風習が大昔はあったそうですよ」
双子……対の木。ということは、あれは、そういうこと?
「ちなみに、作用者が双子を授かるのはとても珍しいのですけれど、そのような際には、対の木が力の糧として必ず贈られたそうですよ。今ではそんな習慣もすべて忘れ去られているようですが」
双子の作用者というのはどれくらい存在しているのだろうか? そもそも、作用者自体が最近はまた激減していると聞いたのはまだ記憶に残っている。
「対の木にはいろいろ言い伝えがあって、不思議な力が宿っているとかいないとか?」
謎かけのような言葉を残して、ローラはいたずらっぽく微笑んだ。
「えっ? それはどう……」
「ああ、きたきた。さて、これが、ランセアとセノイア。こっちがラニシオンとアダシオン、正しくは、ウラニシオンとリアダシオンと言うべきね」
目の前に白い布が広げられ、その上に四つの品が順に並べられた。
これは、髪飾り?
「女性の作用者は、男性と違って、レンダーを多く身につけられます。髪にも」
えっ? これはレンダーなの? カレンは手を後頭部に伸ばした。
確かに力絡は頭にも伸びているが、髪につけるレンダーは補助的なものだ。これは、実際には髪をまとめるための実用品に過ぎず、実践ではほとんど役に立たないはず。少なくとも、髪飾りが力のたしになったという記憶はまるでない。
「不満そうね」
「いえ、そうではなく……」
「ええ、わかるわ。スライダが作用の助けになっているようには思えないのでしょう。役に立っているのは指と腕にはめるものだけ。そもそも、男は髪になどつけませんし」
この手の髪留めというか髪飾りはスライダというらしい。それすら知らなかった。
「ちょっと待ってください。これは木ですよね。メデュラムではない……」
「そうです、表面は。でも内側はメデュラムなのよ」
それでも、メデュラムに直接触れなければ効果はないはず。
ローラはひとつのスライダを持ち上げて見つめた。彼女の手の中にあるシャーリ・ウラニシオンはあの本物と同じく表面がザラついた白っぽい木肌そのものだった。
「これはね、かなり昔にイリマーンのケタリシャの手によって作られたものなの。それが、なぜか祖父がどこからか手に入れた。物好きよねえ。それ以来、買い手もなくうちの倉庫に眠ったまま。それが、やっと日の目を見そうよ。そうね、こちらをお買い上げいただけるのなら、先ほどのハチミツは四つともただでお付けしますわ」
それって、こちらが高級ハチミツよりもずっと高いという意味だわ。
うーん。ということはかなりの逸品に違いない。目の前のスライダを眺めていると、ローラが誰にともなく話し始めた。
「これを作ったケタリシャは優れた権威ある者だったそうだけれど、引退後に彼女は対樹の研究を重ねて特別な装身具を編み出したそうよ。聞いた話では、これらは双子の作用者に大きなご利益があるらしいわ。わたしは双子ではないので真偽のほどはわかりませんけれど」
うーん。しかし、ミアはいないし、シャーリンは双子ではない。
でもきっと、ペトラはこういうものには小躍りして喜ぶわね。その姿がまざまざとまぶたに浮かんできた。そうね、あの子には何か贈り物をしたほうがいいわ。
セノイアのスライダもメイにあげれば、彼女が娘を授かった時にそれを贈ることができる。
そうだわ、せっかくだし……。
「どう? 決断はできまして?」
「いかほどになりますか?」
ローラは後ろに控えていた使用人から書機を受け取ると、パパッと操作してテーブルに置くとこちらに見えるようにくるっと回した。
その数字を見て驚く。これは、この前に買った遠視装置の時よりも桁が多い。
本当にそのような価値があるのだろうか? 実は双子のためのただのお守りにすぎないかもしれないものに。
数字を見つめたまま頭の中でぐるぐるしていると、ローラは何気ないふうに付け加えた。
「これを普通のお客さまにお見せすることはないのよ。イオナさまのご姉妹でいらっしゃるのでご覧いただいております」




